第16章 オペレーション・デイブレイク


  2.

 ルクトールが陥落して1週間。開戦後初のリヴィアデールの作戦が遂行された。
 作戦名“ルクトールの夜明け”。クレールの奇襲によって奪われた交易都市ルクトールの奪還作戦である。この作戦は、リヴィアデール軍と〈木の塔〉の勇士たち10名のルクトール城壁内部への侵入によって開始された。
「まったく、カッコ悪い作戦名だよね〜」
 夜明けまで少々時間を控えたルクトールの城壁の外で、リズはぼやいた。
「どうせなら、単純に“ルクトール解放作戦”にすればいいのに」
「そうだね〜」
 話に乗るのは、〈木の塔〉に所属するアビィ・ラウール。地質を研究しているのに小隊の隊長もやっている、いろいろと凄い人だ。
「きっと気障で芸術被れなんじゃないかなー。とにかくセンスがいまいち」
 ですよねー、と意気投合する女2人。状況を理解しているかと問いたくなるが、〈木の塔〉の小隊にはこういう人が多いので、グラムたちは慣れたものである。雑談をして、過ぎた緊張を解しているのだ。
 夜明け前の暗闇に紛れ、リズの術によってここまでやってきた。光を曲げる水の術を使って姿を隠したから、草原は敵に見つかることなく越えられたが、光を持つことはできなかったので暗闇を移動しなければならなかった。音については風の術を使って拡散させたのだそうだ。詳しい原理はグラムには分からないが、無理に足音を忍ばせる必要もないし、小声なら会話もできる。だからこそのこの会話である。
 しかし、こういう雰囲気は、慣れていない人間は戸惑うらしい。
「あの……そろそろ……」
 躊躇いがちに、メンバーの1人が口を挟む。彼はリヴィアデール軍の兵士であるために、場の空気についていけないようで、さっきからきょろきょろと周囲を伺っている。
 そんな彼に少しだけ同情を向けながら、グラムは己の感覚でどれくらいの時間が経ったのかを計る。そろそろ頃合いだろう。
「おっし。じゃあ状況を開始するか」
 ぱしん、と音が漏れない程度の大きさで手を叩き、気合いを入れる。
「せいぜい巧くやってくれよ」
 思わずよろめきそうな強い力で肩を叩くのは、こちらも〈木の塔〉、アビィの部下のダグラス・ウィクリフ。グラムの親友で、寮では同じ部屋で暮らしている。今回この作戦で、アビィと共に門を開ける重要な役を担っていた。
「ダグこそ、ちゃんと門を開けてくれよ。じゃないと、おれら死ぬ」
 これは結構切実な願いだったのだが、
「部屋が広くなっていいな」
「そしたら化けて出てやる」
「それ、あたしにやれってんじゃないでしょうね」
 死体を操ったりする術は、黒魔術に該当する。もっとも、リズが一番嫌いな手の術なので、本気で化けてでようと思っても実現不可。
「はいはーい、そこまで。軍の人が困ってるからね?」
 アビィが止めに入り、じゃれあいは終了する。
「じゃあ術を解きます。これからは、迂濶なことするとバレますから、慎重に。特に、音に気をつけて」
「それじゃあみなさん、健闘を祈るっ」
 グラムのびしっとした敬礼を合図にリズの術が解け、潜入班は散開した。

『状況は?』
 グラムとそれからリヴィアデール軍の兵士の1人と共に城壁に沿って密かに移動していると、頭の中でハティの声が響いた。
『順調。ただいま移動中。他は待機中』
 声を出さずに答える。考えるだけで会話できるのは、召喚術の魅力の1つだ。
 しばらくして、返事が返ってくる。
『“こちらも順調。予定通り日の出と共に進軍する。夜明けまではあと20分”と」
 ハティの声で伝えられたリグの伝言を聴いて、リズは空を見上げた。
「確かにだいぶ明るいな。思ったより時間ない?」
 思わず声を出す。隠蔽の術は掛け直しているので心配はない。ただ、同行している他2人の注目を浴びただけだ。
『“お前らなら大丈夫。寧ろ全員狩られないかが心配”と言っている』
 ふっ、とリズは笑った。本来そういうことは好きじゃないくせに、全員狩る、なんて言うとは。言動が似てくるのも兄妹ならでは、か。
「なんだって?」
 うっかり喋った内容から、リグと連絡を取っていることを察したグラムが問い掛けてくる。
「20分足らずでなんとかしてくれってさ」
「ん〜まあ、大丈夫じゃね?」
 軽い。が、真剣でないわけではない。これでも状況をしっかり見て判断しているのだ。大丈夫というのも、根拠があってこそ。
 ――だと思う。
 まあ、仮に勘で言っていてもさして問題はない。リズはどんな状況になっても、グラムについていく覚悟がある。もはや運命共同体。なにを心配することがあるのだろう。大丈夫ではなさそうだったら、どうにかするだけだ。
「魔女殿は、このまま一緒に……?」
 そういうのは、最後の1人、リヴィアデールの軍人のディックスだ。実直な青年で、兵士よりは騎士のほうが似合いそうだった。無表情で無気力なラスティよりはずっと適任である。今だってほら、リズの心配をしてくれるし。
「むしろノリノリなんじゃない?」
「まあ、敵を踊らせるのは、なかなか楽しそうかなー、なんて」
 ただ真っ向から戦うよりもこちらのほうが好きではある。そもそも、グラムはじめとした我が小隊は、ゲリラ戦のほうが得意だ。
「さすが魔王様」
「作戦のあとで覚えてろ」
 魔女殿、も嫌だが、魔王様、は本当にやめてほしい。
 性の悪いことを言っている自覚はあるが、いったい何処が物語に出てくる魔物の王に結び付くのやら。だいたい、いつからそう呼ばれるようになっただろうか。どちらかといえば、魔族の長たるアーヴェントのほうがお似合いの称号だろうに。
「しかし、危険では」
 彼は心配症のようだ。リズが魔術師であることが原因ではあるかもしれない。魔術師は後衛担当で、前衛に立ったり、こういう隠密行動をしないものと一般的に思われているからである。この潜入組に、魔術を主とするのはリズしかいないし。
 実際は、リグみたいに剣などの武器を使える魔術師もいるから、必ずしも後方支援とは限らない。隠密行動ともなれば、隠蔽の術を使えば良いから、むしろ最適でもある。
「平気だって。リズは魔術が使える限り、そうそう死ぬことはないから」
 グラムの言葉が胸に刺さる。ウィルドとの最後の会話を思い出してしまったからだ。
 本当に皆同じことを言うのだな、と思った。事実なので腹は立たないが、褒められているのか馬鹿にされているのではないかと思ってしまう。実際、ウィルドには侮られている。
 悔しい気持ちを振り払う。だったら、望み通りにしてやろう、と心に決めた。
「ここらで行くか?」
「そうだな。じゃあリズ、解いてくれ」
「了解」
 杖で地面を軽く突く。それでリズの周辺に掛かっていた術がとれた。動作はそんなに重要ではないのだが、あったほうがやりやすくはある。
 グラムは、なんとか乗り越えられそうな大きな窓の1つに近寄ると、その脇で壁に背をつけて隠れて鏡を取りだし、中を見た。リズとディックスはその隣で待機する。鏡で中の様子を観察すると、グラムは指を2本立てた。それから、右、左と人差し指を向ける。この窓の両側に1人ずついるようだ。
 リズは右を指差した。するとグラムは左を指す。互いに頷きあったあと、グラムはブーツから短剣を取りだし、窓を越えた。窓枠を蹴ると同時に、正面から右に短剣を投げる。壁の向こうで見えなかったが、声が聴こえないことからおそらく喉にでも刺さったはずだ。
 もう1人が事態に気付いて動こうとする前にリズも窓の外から兵士の足元に棒手裏剣を投げた。刺さった箇所から魔法陣が現れ、敵を氷づけにする。
 氷づけの兵士が動かないのを確認してから、リズは窓枠を越えた。
「侵入成功、だな」
「楽勝楽勝」
 ハイタッチ。ぱしん、といい音が響く。もう音を警戒しなくていいので、気が楽だ。
 ディックスが中に入ってくるのを待つ間、リズは氷づけにした兵の足元の棒手裏剣を回収した。投擲類は消耗品だが、回収できるのなら回収したい。
 手裏剣を抜くと氷が消えた。兵士の身体が崩れ落ちる。気絶しているようだ。留めはささずに放置した。目が覚めても寒さでしばらく動けないだろうから、敢えて殺す必要はない。
「よし、それじゃあ」
 全員が揃うと、グラムは悪巧みする子どものような、不敵な笑みを浮かべて言った。
「派手にいきますか」



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