第1章 王子脱走


  3.

「コール」
 ラスティの取り揃えたカードの役を見て、男は顔を歪めた。周囲は歓声をあげる。ディレイスとアレックスは当然のように頷き、少年は目を丸めてテーブルの上に見入っていた。
「4カードなんて、なにかの間違いじゃ……」
 信じられないと、男は呻く。それもそのはずで、彼はラスティ相手にも小細工を使っていた。だが、相手がラスティだったのが運の尽き。
「ラスティには幸運がついてまわってるからなぁ」
 アレックスはラスティの肩を抱いた。その白々しい台詞に呆れたが、顔には出さない。
 ディレイスの命あって、ラスティは目の前にいる大男と賭けをすることになった。一度きりの勝負で、少年の取られた物を取り返そうという魂胆である。代わりにこちらが提示したのは、ディレイスがたまたま持っていた装飾品で、王族が持っているだけあってかなり高価なもの。相手もこれには納得し、勝負に乗ったのだが。
 結果は見ての通りだ。
「さて、約束は守ってもらおうか」
 男はこれ以上ないほどに顔を歪ませ、だが、本当の事を言うわけにもいかず、渋々引き下がった。
「ついでに言えば、マスターが、迷惑だから今日のところはお引き取り下さいってさ」
 つまり、さっさと失せろということだ。ここの店主はこのような質の悪い客は好まない。喧嘩上等、揉め事にも寛容だが、後腐れなくというのがルールだ。そして、ルールを守らないものには容赦はない。
 周囲を見回しても味方をしてくれそうな者は誰もおらず、分が悪いのを悟ってか、男はアレックスの指示通り、仲間を引き連れて速やかに出て行った。
 しばらく酒場内に沈黙が降り、それをかき消すように爆笑が起こる。
「ラスティ、よくやった」
 近くにいた中年親父が力強く肩を叩く。結構痛かったが、それを堪えて笑みを浮かべて頷いてみせた。
 気分が高揚したのだろう、男たちが皆酒を注文して、乾杯をし始める。ラスティたちの下にも酒があてがわれた。それも無料。
「これを」
 ラスティは酒を運んできた給仕にカードの山を渡した。テーブルの上にある山とは別の物。それを見て、少年は目を丸くする。だが、給仕は当然のようにして受け取り、
「いいものを見させていただきました」
 相変わらずいい腕ですね、と言い残して、テーブルの上のカードの山も回収していく。
「イカサマ、してたんですか」
 ラスティたちのテーブルに来た彼は、気が付かなかった、と呟いた。
 幸運がついてまわっている、なんていうのはアレックスの詭弁だ。運だけでイカサマをする相手に勝てるはずがない。
 昔、ラスティは器用さを買われて、この酒場に立ち寄った流れ者にカードのすり替えの技を教わった。それを用いたのである。もともと手品とかが好きで、この技術も遊び半分で覚えたのだが、いつの間にか技術が磨かれて上達してしまった。だが、実際に賭けの場では使ったことがない。この酒場では、後腐れなく、がルールであるし、そこまでして勝とうとは思わない。今はディレイスをからかうか、今回のようにイカサマを働いた相手に目に物見せるときに使うだけである。
「騎士さまには珍しい特技だろ」
 笑いながらアレックスが言うと、少年はますます驚いたようだった。
「騎士、なんですか」
「ラスティだ」
「あ、僕はレンといいます」
 さっきはありがとうございました、と、ぺこりと頭を下げる。
 少年の髪は限りなく白に近く、肌の色も薄い。濃い色素を持っているのは唯一血の色の瞳である。衣服は黒一色。それだけに色素の薄さが際立った。身体も華奢だし、可愛らしい顔立ちで、失礼かもしれないが、ひ弱そうに見える。だからこそ、先程の騒ぎで彼に味方をしたのだが。
「サリスバーグから来ました」
 サリスバーグとは、大陸南方の国だ。リヴィアデールの真下にあり、アリシエウスからも近い位置にある。大部分を海に面しており、ものづくりの技術に特化していると聞いた。リヴィアデール、クレールと並んで、ミルンデネス大陸の三大国として名を連ねている。
 旅をしているのだ、とレンは言った。
「宝とか遺跡とかに興味がありまして。それらを捜し求め、大陸中を歩き回っているわけです。……まだ始めたばかりで、そんなに行ってはいないんですけど」
「ひとりで?」
「はい」
 ひとり旅とは恐れ入った。
 町の中はともかく、このあたりはいろいろと物騒だ。アリシエウスには野盗の類は少ないが、それでも魔物はあちこちを徘徊している。平和なアリシエウスに騎士団が設置されているのは、警備のためやいざという時の戦の備えのためでなく、魔物から国民を守る意味合いが強い。それなのに旅をしているなど、無謀にも等しいように思えるのだ。
「旅ねぇ……」
 ディレイスが遠い目で天井を見上げる。
「よしたほうが良いぞ。お前が出ていく度に捜しに回るラスティの立場も考えろ」
 その通りだ、と頷くと、しねーよ、と言い返した。
「……それより、お前飲まないのか?」
「勤務中だ、これでも」
「じゃ、もらってい?」
 ラスティは黙ってグラスを差し出した。
「それより、旅の話を聴かせてくれよ」
 旅に出られないことをわかっていても、外への憧れはあるようで、ディレイスは身を乗り出した。
「そうだな……まず、なんでアリシエウスに来たんだ?」
「アリシアの剣」
 レンは全員の注目を集めた。
「……て知ってます?」
「そりゃ、知らないっていうほうが珍しいよ。ましてや、アリシエウスでは余計」
 アリシエウスは、破壊神アリシアの信仰が盛んな国だ。この国の王家は、かつてアリシアに選ばれたと言い伝えられているから、王族はアリシアを信奉する。国民はそれに倣ったから、アリシアを信仰する者が多くなった。
 そんなアリシエウスだからこそ、破壊神に関わる言い伝えは知れ渡っている。アリシアの剣もそのひとつ。もっとも、
「創世紀に破壊神アリシアが旧世界を破壊するのに用いた剣のことだろう」
 世界の成り立ちに関わることなので、知らない人のほうが少ない。
「それがここにあるって、噂を聴いたんです」
 アレックスは首を傾げた。
「あれって、ただの伝説だろ? 本当にあるのか?」
「それを疑うのは、神の存在を疑うのと同じですよ」
「ああ……そうか。そういう考え方になるんだなぁ……」
 ほうほう、と頷くと、
「で、それって本当なのか、ディル」
「さあ。俺は知らない」
 尋ねられたディレイスは、素知らぬ顔で肩を竦めて首を傾げるポーズをする。そういえば、自分から聞いたくせにさっきからこいつは話に入ってこない。これはなにかあるな、とグラスに口をつけようとしたディレイスを見て、ラスティは思い出した。
「ディル、飲むな!」
 ラスティの声に反応して、ディレイスは突然動きを止めた。グラスの中の酒が跳ねて、雫が飛ぶ。
「仕事が残っているのを忘れたのか!」
 時計を見ると、ハイアンの指定した時間まであと15分ほどしかない。慌ててディレイスからグラスを奪い取ってアレックスに渡し、王子の腕を掴む。考えてみれば、雑談なんかしてる場合ではなかった。いや、そもそも賭けなんかしたのが間違いで……。
 後悔しても時間は戻りはしない。今はとにかく先を急ぐことだ。
「帰るのか」
「ああ」
 じゃあな、とアレックスは手を振る。レンもまた残念そうに別れの言葉を口にした。
「また来る」
 酒を飲めなかったのが、残念で仕方ないから。



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