第12章 帰郷


  1.

 久しぶりの故郷は、かつての面影を残しながら、ラスティの記憶の中とは全く違う姿で現れた。
 あの日出ていった門から一歩町中へ入ると、あまりに衝撃を受けて歩みを止めてしまった。襲撃され、負けたにしては、被害は少ないだろう。ところどころに傷跡はあるが、建物が崩れている様子はない。人々もいつものように生活しているように見えた。
 だが、活気がない。皆、俯いている。
 アリシエウスの民は、基本的に皆朗らかで活動的だ。仕事は熱心に取り組み、だが適度に息抜きしてストレスは溜めない。無気力なラスティのような人間こそ珍しいのだ。
 それが今は信じられないほどに、陰気な街となってしまった。
 物悲しく寂しい面持ちで、ラスティは街を見つめる。
「ラスティ」
 レンの声に、ラスティは物思いから覚めた。いつものおちゃらけたようすもなく、レンは低く言う。
「僕とフラウは、先に宿を取ってきます。それから、一応情報収集とかしておこうと思うんです」
 だから荷物を渡してくだされば置いてきますよ、とレンは手を差し出した。
 シャナイゼでは完全に別行動だったフラウだが、何処でその話を聞いたのか、旅立ちの時には当然のようについてきた。彼女はミルンデネスの地理に明るいし、剣の腕となるとラスティたちが敵わないほどに強いので助かったのだが、その一方でなにを企んでいるのかと不安でもあった。今のところは、特に変わった動きはない。
 彼女の正体をグラムたちから聞いたが、ラスティも、レンもユーディアも、彼女からそれについての話を聞けずにいる。なんて尋ねたらいいのかわからない、というのが本音だろうか。接するのにぎくしゃくとしてしまったので、彼女も薄々感じてはいるのだろうが、向こうからなにか言ってくることもなかった。
「俺も行く」
 荷物を預けるなど悪いし、部屋を借りて荷物を置くくらいの作業は、いくらラスティでも面倒臭がりはしない。レンは首を横に振った。
「いつここを発つかもわかりませんから、早いうちに心残りを片づけてしまってください。僕たちは、ここには用がないので」
 ラスティは未だに狙われる可能性のある物を持っているし、これから国境線は荒れる。トラブルはいつ起こるのかわからない状態だ。もし、そうなったら直ちに国を出ることを、レンに約束させられていた。破ったらただじゃ置きませんから、とハルベルトを撫でながら言われてしまえば、もはや逆らう術はない。
 ここは素直にレンの好意に甘えることにした。
「私もついてっていいかな」
 遠慮がちにユーディアは言った。何故か、ラスティでなくレンに同意を求めている。
「ええ。もちろんですよ」
 レンはそう言うが、はじめからラスティにユーディアをついていかせるつもりだったのだろう。さっき、僕とフラウは、と言っていた。いったいなにを考えているのかは知らないが、ラスティ自身、特に断る理由もなかった。
「じゃあ、先に行ってるから」
 ユーディアの分の荷物を抱えあげ、そう残して早々にフラウは先に行ってしまった。相変わらず淡白だ。
「では、またあとで」
 そして、またレンも背を向けた。

 ラスティは、あたりを見回すこともなく、真っ直ぐに王城を見つめながら大通りを歩いていた。運がいいのか悪いのか、今のところ知り合いとすれ違ってはいない。
 いくら狭い国でディレイスに連れられて遊びまわったことがあるからといって、城下町に住む人全員と顔見知りであるわけではない。友人や知り合い、そして一応家族の安否を確認したいところだ。そう思って城へ足を伸ばしているが、いつもの安酒場へは足を伸ばす気にはなれなかった。
「あの」
 声を掛けられ、ユーディアといることを思い出し、ラスティは振り向いた。彼女は後ろで腕を組み、わずかに顔を背けて、
「ついていくなんて言ってしまいましたけど……、やっぱり、まずかったかな……」
 その言葉だけで、彼女の言わんとしていることがわかった。さっきから、周囲の人間がちらちらとこちらを盗み見ているのだ。自分たちの国を襲ったクレール人の女と、敵国の人間と一緒にいる自国の人間。
「別に、気にするな」
 応対するのが面倒臭くて、そう言った。彼女はいかにもクレール人の容姿だが、だからといって、クレールの国の人間であると決めつけることはできないはずだ。仮に疑われたとしたら、リヴィアデールの出身だということにすればいいのだ。あの国は他の国々とは違って様々な民族が入り混じっているし、他の国だっていないことはない。
「なんでついてきたんだ?」
 現に今気にしているように、ユーディアがそのことを考慮していないはずがないのだ。それなのに、こうしてついてきていることを不思議に思い、ラスティは尋ねた。
 その質問に誤解を受けたらしく、ユーディアは少し傷ついたような顔を見せる。ラスティは慌てて言い繕った。
「いや、ただ単に疑問に思っただけで……、他意はない」
 ユーディアはラスティの眼を覗き込み、それが真実であると確認したようで、ほっとした表情をつくると、口を開いた。
「クレールがなにをしようとしているのか、見ておこうと思ったんです。それで、私になにかできることはないかなって」
 アリシエウスの事。手記の事。これから起こる戦争の事。どうにかしたい事はたくさんある。
 けれど。
 街並みに目を向けて、見渡す。ひそかに横目でこちらを伺うアリシエウスの民たち。敵意が混じることは、仕方のないことだろう。
「でも、やっぱり無理なんでしょうか。それは私の欺瞞でしかないのかも。襲ったくせに助けたいとか、リズたちと戦いたくないとか、私の身勝手でしかない」
「……真面目だな」
 必要ないほどに。
「え?」
 聞き返す彼女を無視して、ラスティは先を行く。
 真面目すぎるのだ、彼女は。アリシエウスの事も、手記がクレールに渡った可能性がある事も、これから起こる戦争の事も、何一つ彼女の責任ではないというのに。
 ――むしろ、責任はこちらに……。
 ふと顔を上げて、ラスティは足を止めた。ある人が立ち塞がっていたからだ。
 その人は、黒い髪に、このあたりではあまり見られない浅黒い肌をしていた。
「アレックス……!」
 実に何週間ぶりの再会だった。



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