第10章 誰そ彼 3. アーヴェントの元へ行ってから3日、ラスティは、行く宛てもすることもなく、ただぼんやりと日常を過ごしていた。たまにレンやグラムたちに振り回されて、遊んだり街を見物にいったりとそれくらいしかしていない。あとは、ひたすらこの屋上から景色を眺めていたり、うとうとしていたりしていただけ。 そして、今も。 手すりに両腕を預けて、そこに顔を埋めながらラスティは眼下に広がる街並みを見る。直射日光の当たるところがほとんどないこの街は適度な薄暗さに包まれていて、暑さを感じない。こうして上から見ると、肌で感じないほどの弱い風によって揺れる木漏れ陽が綺麗だ。常に形を変える光が、なかなか飽くことのない景色を見せてくれる。 今は黄昏。梢の間から洩れる橙色の光だけが照らす、ほどよい暗さが、眠気を誘う。 「またここにいたんですね」 耳に心地よい高さの声に、吹っ飛びかけた意識を取り戻してラスティは振り返った。塔の出入り口にユーディアが立っている。 「1日中ここにいて、ぼうっとしてたり、寝ていたり……。退屈ではないですか?」 「なんで知っている?」 「私もよくここへ来ますから。……気がつきませんでした?」 そうだったのだろうか。ユーディアと接触した記憶はあまりなかった。なので、知らない、と答えると、彼女は少し拗ねてみせた。 「お前は、なにをしていたんだ?」 「私? 私は、図書室で本を読んだり、リズたちと話をしたり」 リズとユーディアは、出会ってすぐに打ち解けた。やはり女同士だからだろうか、沙漠越えの間にも、シャナイゼに来てからも、何かと一緒にいる2人を見かける。はじめは“さん”付けだったのも、今では呼び捨てだ。ここ最近では、リズたちの友人である女子とも仲良くなっていた。 「それから、〈木の塔〉のいろんな場所に案内してもらいました。なかなか面白かったですよ」 楽しそうにユーディアは語る。 旅をした仲間には、意外に勉強熱心な奴が多くないだろうか。ラスティは赤い目をした少年の姿を思い浮かべた。彼は、そういう機会が得られなかった反動からか、知識に関しては貪欲だ。宝探し屋なんぞやっている割に、金目のものよりもそちらのほうに興味があるらしい。学問嫌いであるらしいグラムも天体にはある程度興味があるみたいだし、専門家であるウィルドはもちろんのこと、研究にあまり熱心さを見せないリグとリズも何かと専門的な話をすることが多い。フラウは……、未だに掴めない。 ところで、さっきから気になっていることがある。 「敬語」 「はい?」 「外していいぞ」 目に見えて、ユーディアは狼狽えた。背後から突然不意打ちを食らったかのようである。 「あ、でも、年上ですし」 慌てて言い繕うがすでに遅い。必死に動揺を隠そうとしているが隠せていない姿に、ラスティは頬を緩めた。レンといい、リズといい、ウィルドにフラウといい、誤魔化すことに慣れた者ばかりだったから、彼女のように裏表のない人間がいるとなんだか安心する。 「リグとリズは1つとはいえ年上だろう」 笑みを含ませながら、指摘した。 彼女は、年下や同い年のレンやグラムには当然のこと、リグやリズにも敬語を使っていない。ウィルドやフラウは5つ以上歳が離れているのでわからなくもないが、ラスティとユーディアの歳の差はたった2つである。今更年上だからという言い訳が通用するはずもない。 「まあ、無理にとは言わないが」 少し、気になっただけである。もともと自分は王相手でさえ、無礼なことを言っていた身だ。時と場所をわきまえるなら、年下に気安く話しかけられてもあまり気にならない。 「恨まないんですか?」 不安そうに揺れながら、ユーディアは茶色の瞳でラスティを見上げた。ラスティは訝しむ。 「私は、クレールの人間なのに」 なるほど、とラスティは察した。さっきの会話は、これを聞くための糸口だったようである。 アズィル・フォーレから帰ってきたその日の夕方、シャナイゼの北〈木陰〉と呼ばれる場所へ行っていたリズから、ある事実を聴かされた。ラスティがずっと気にかけていた、ハイアンとディレイスの安否についてである。 2人とも死んだ、とただ一言伝えられた。 そのときラスティを支配したのは、虚無感だ。本当はなんとなくそんな気がしていた。覚悟もしていた。国が滅びて、王族が生きているだなんてこと、そうそうにあるはずがない。だが、やはり事実を突き付けられたときの衝撃は大きかった。 「あんたがやったわけじゃない」 ――責められるはずがない。 アリシエウスがクレールの手に落ちた頃には、ユーディアはすでにクレールにいなかったはずだ。彼女は、故国の崩壊に関わっているわけではない。恨む道理がない。 「でも、ご友人だったのでしょう?」 彼女だけは、ラスティがアリシエウスでどういう立場にいるのか知らなかった。まさか王やその弟が友人だったとは、夢にも思わなかったろう。それだけに、彼女の内を占める罪悪感は大きかったに違いない。 彼女はその国の出身だというだけで、なにも罪はありもしないというのに。 「国は俺の親友を殺しても、あんたはなにもしていない。それでいいんだ」 そして、ラスティは懇願する。 「……頼むから、恨ませないでくれ」 そう、本当は恨んでしまいたいのだ。自分が不本意にも国を飛び出してしまったのも、故郷が国として失われてしまったのも、大切な親友が死んでしまったのも、すべてクレールの、それに属する者全ての――そして、現在隣にいる娘の所為であると。 はっきり言って八つ当たり。それは理不尽というものだ。だが、ユーディアはそれを受け入れる気でいる。不思議と彼女の気持ちが手に取るようにわかるのだ。自分に置き換えて、当てはまる。当然だと甘んじて受け入れ、ずっと苦しみ続ける。それがわかるからこそ、この3日間、ラスティは必死に憎しみを殺してきた。 [小説TOP] |