第9章 魔族


  5.

「はあ……」
 外に出たレンは、砦の壁に凭れて溜め息を吐いた。立方形の砦の内側には芝が敷かれている。他にも木が植えられていたり、隅には花壇などあったりして、まるで中庭だが、その広さはちょっとした公園並みだ。
 その庭、レンの目の前で、子どもが遊んでいる。もちろん、魔族の集落で人間の子どもがいるはずがない。みんな魔族の子どもである。
 無邪気に、楽しそうに、殺される恐怖や虐げられる不安も全く抱いた様子もない光景を見ていて、レンの内を靄が覆った。溜め息を吐くことで晴らそうとするが、一向に晴れる様子はない。
 ――まるで人間だ。
 足元にボールが転がってくる。視線を上げると、子どものひとりがボールを拾うためにこちらへ来ようとしていた。
 レンはボールを拾った。柔らかく弾力性のあるボール。これなら思い切り投げたとしても、たいして痛くはないだろう。子どもが遊ぶには最適だ。
 アンダースローで軽くボールを放る。綺麗な放物線を描いて、子どもの腕の中にすっぽりと納まった。
「ありがとう!」
 にぱりと笑うのは、可愛い女の子だった。活発でふわふわとした、5歳くらいの女の子。こうしてみると、本当に人間のようだ。
 ……額に、1本の角がなければ。
 一角獣かなにかか、と突っ込みたくなるような見事な角が生えていた。
 駆けて友だちのところへ戻ろうとする姿は今にも転びそうでそれにはらはらして、そんな自分に気が付いて、レンは空を仰いでもう1度溜め息を吐いた。
「楽しそうだね」
 振り向けば、ユーディアがいた。
「みんな可愛いなぁ……」
 本心でそう思っているらしく、保母さんさながらの笑みを浮かべて眺めていた。今にも中へ入っていきそうだ。
「用事はいいんですか?」
「うん。残念だけど、知らなかったみたい」
 ――そりゃ、こんなところに住んでいるんだから。
 人との交流はないだろうに、どうして情報が入ってくるというのか。
 その疑問に、ユーディアは答えてくれた。
「アーヴェントさんのお父さんは人間と鴉の合成獣なんだって。そのせいか、鳥の言葉がわかるみたい。それで、鳥たちが噂をしていたことを教えてくれるんだって。でも、あくまでそれは鳥の視点だから……」
 役に立つかどうかはわからない、とはそういうことらしい。
「みんなレンくんのこと心配してるよ?」
「僕が魔物嫌いだからですか」
「そうじゃなくて、なんだか思い詰めてるようだったから。……正直に言うと、少しはそっちの心配もしたけれど」
「信用ないんですね」
 元より期待していなかったが。寧ろ、自分で自分が意外なのだ。だから、他人が信じていないからと傷つくわけがない。
 皮肉交じりのレンの言葉だったが、ユーディアは結構真面目に受け取ったようだ。
「どんなに信頼している相手でも、少しは疑いを持つのは当然のことだよ。無条件に相手を信じるのは、信用でも信頼でもなくて、盲信だから」
「盲信……」
 神や所為じゃ相手じゃあるまいし、大げさなとレンは呆れるが、
「その人の全てを信じるのは素敵なことに思えるけど、それはなにも見ない、なにも考えないのと同じことなの。全てが自分の都合のいいようにあるだけ。それは結局独り善がりな世界でしかない」
「神殿にそんなような人が?」
「結構いるんだ、そういう人。特に神さまはそれを諌めることもしないから、みんな自分で勝手に解釈して、信じ込むことが多いの」
 それのなにがいけないのかと、宗教・信仰に疎いレンは訝しむと、自分の言葉を誤解されたまま受け止められたときどう思うか、と訊かれた。なるほど、と納得する。困るのは、それが誤解レベルでは留まらないこと。ときに犯罪すら正当化してしまうのだから、手に負えないのだという。
 これが正しいと信じた人間に本当に正しいことを伝えようとしても伝わらない。結局そこに救いはない。
「だから、レンくんもなにを信じようとしているのかは知らないけど、盲目的に信じないで、ちゃんと物事を見ないと駄目だよ?」
 レンは瞠目した。
「……説教、上手いですね」
 はじめから説教だとわかっていたら聴いていなかったかもしれないが、こちらが振った話題をこう展開されるとは思っていなかったので、ついつい聴き入ってしまっていた。その所為で、最後の言葉をしっかりと聞いてしまって、耳が痛い。
「神殿騎士も聖職者だからね。それに、騎士でも任務先で現地の人を納得させるために、多少の話術は必要になるの」
 任務にいかに正当性があるかを説き、納得させるのだという。これは国仕えでも同じだが、神殿騎士はそこに神を引き合いに出す。そうなると、説教くさくなることもあるらしい。
「本当は、これは昔私が言われた言葉。あくまでも任務に……神殿に忠実であろうとして頑なだった私を、そう言って諭してくれた人がいたの。あの言葉がなければ、私はきっと道を踏み外していたでしょうね」
 昔を思い出してか、遠くを見る目付きをする。その人にとても感謝しているらしいことはすぐに察せられた。
「恋人ですか?」
 こういう場合、大抵そういう流れになる。特に、騎士なんて男ばかりだ。
「いいえ、幼馴染み」
「それはよかった」
 ユーディアは首を傾げた。レンは軽く笑う。こちらの下世話な考えなど、全く気付いていないに違いない。
 そこでラスティが来るものだから、レンはますます笑ってしまった。
「少しは落ち着いたか」
「はい」
 落ち着いたどころの話ではない。寧ろ晴れ晴れとしているくらいだ。
「なにがあったのか知らないが、言いたくないなら言わなくていい。アーヴェントと仲良くなれとも言わない。だが、心無いことを言っていい理由にはならない。それはわかるな?」
「……はい」
 ラスティの言葉を重く受け止めた。それはレン自身思っていたことだ。だが、改めて言われると、やはり受け取り方が違う。
「それだけは謝ってこい。気にしていないと本人は言っているが、全く気にしていないわけではないだろう」
 普段なら反抗していただろうが、今は不思議とそんな気にはならなかった。ユーディアの話を聴いたからだろうか。だとしたら、彼女の説法はなかなかのものだ。この点に関しては、絶対に譲ることはないと思っていたから。
 なんとなく、話す気になった。
「僕の姉、合成獣にされたんです」
 2人ともなにも言わなかった。
「僕が、殺しました。姉さんに頼まれたから。生きていても、まともな人生を送れるはずがないと思ったから」
 こんなんじゃ帰れない。故郷の人たちに追い立てられて殺されるかも。そんなの嫌だ、嫌だ、生きていけない。
 狂いたくても狂うこともできなかった姉がすがったのは、変わり果てた自分の姿を見た弟だった。髪を振り乱して泣くばかりの姉を見ていることができず、かといってどうにかできるはずもなく。姉の願いを聞く他なかった。
「だけど……こんな所があるなら、殺さなきゃよかったなぁ……」
 そしたら、少しはまともに生きていけただろう。もしかしたら、ずっと幸せに生きられたかもしれない。変わった姿ではあるが、家庭を作ることだって。そう考えたら、自分を責めずにはいられない。彼らを羨まずにはいられない。
 そう、結局彼らに抱いているのは羨望、嫉妬だ。姉が享受できなかったもの、レンが摘み取ってしまった可能性を彼らが持っているのが羨ましいだけなのだ。
「……謝って、きます」
 レンのしたことは八つ当たりだ。いくら自分が不幸な目にあったからって、誰かを傷つけていいことにはならない。幸せになってほしかった相手と同じような境遇なら、なおさら。
 レンは、魔族の子どもたちが遊ぶ庭に背を向けた。楽しそうな声が、心の内を引っ掻く。
 その背をラスティが軽く叩いた。



43/124

prev index next