第9章 魔族


  3.

 詳しいことは集落で話そう。
 青年はそう言って、森の中を歩き始めた。ラスティたちもそれに付き従う。
 レンは拘束を解かれていた。しかし、ハルベルトはリグに取り上げられた。他にも短剣や〈魔札〉など隠し持っているはずなのだが、そちらは身に付けさせたままだった。彼を襲うことはないと信じているのか、それとも、身を守る手段がなくなってしまうためか。
 集落。魔物――否、魔族の集落ということだろうか。目の前の彼の様子と、仲良さげにするグラムたちを見る限り、危険はないのだろう。だが、魔物がたくさんいるなかに飛び込むのだと考えると、恐怖は拭えない。目の前にいるのは、レンの言うことをそのまま受け取るならば、人型の魔物だ。つまり、グラムたちが危険だと忠告した、あのヒューマノイドではないのか。
 そんなことを考えながら後を追っていくうちに、砦が見えた。石造りの前時代的な大きな砦だ。大きさからいって、重要な役割を負っていたのだろう。だが、今は見る影もなく、植物に侵食されていた。
「フェヴィエル砦だ」
 リグが説明する。
「500年前、北のマルディンと戦争をしていたときの、ウィトリスの防衛の要のひとつだったんだそうだ」
 中へ入る。森に飲み込まれかけていた外観とは裏腹に、中は綺麗だった。武骨で殺風景だったろう石の回廊は、落ち着いた色の模様のある絨毯が敷かれ、壁の明かりはすべて灯されていて、明るく温かになっている。銃窓には鉢植えが並べられ、可愛らしい花などあるものだから、中からではとても砦とは思えない。
 こちらの姿を認めて、1人の女が近寄ってくる。
「あ、エルザ」
 知り合いらしく、グラムが声を掛けた。ラスティはその姿にぎょっとする。
 世にも珍しい緑色の髪。麗しい容貌。耳は尖り、虹彩は大きい。豊満な身体にぴたりとしたドレスを纏っている。思わず息を飲むほどに美しい女だが、それ以上に驚くのは肌の色。なんだか白いなと思ってよく見れば、うっすらと緑がかっているのだ。おおよそ人間ではないことは明らかである。
「久し振りだな。元気か?」
 エルザと呼ばれた女は、なにも言わずにこくん、と頷いた。そして、喋れないのか、それとも喋らないのか、じっとアーヴェントのほうを見つめる。表情を動かさず、目だけで物を訴える様は何処か愛嬌がある。
「談話室に茶を持ってきてくれ。人数分な」
「あ、お菓子も欲しい!」
「たかるな」
 無邪気にねだるグラムを、リグの平手が襲う。
 エルザはその光景を見て少しだけ口角を釣り上げたあと、ラスティたちに頭を下げて、背を向けて回廊を行く。
「彼女も……」
 呆然と背を見送るユーディアはそこで言葉を切った。
「〈ドリュアス〉のエルザ。お察しの通り、魔族だよ、お嬢ちゃん。そして、ここが魔族の集落」
 お道化た調子で言ったあと、魔族という彼は姿勢を正して気取った礼をする。
「ようこそ、人間のお客様、我らが魔族の集落アズィル・フォーレへ。私はアズィル・フォーレの長〈ルシフェル〉のアーヴェントと申します。色々と驚かれ、気も休まらないかと存じますが、どうぞご自由にお過ごしください」
 それではこちらへ、と案内されて回廊を進む。
「〈ルシフェル〉?」
「種類名みたいなものだ。魔物にもあるだろう? 〈闇鴉〉やらさ。それと同じだよ」
 砦の入り口からだいぶ奥まったところの部屋へと通された。
 部屋の中は結構広い。部屋の中央に長机が置かれ、部屋の角には観葉植物。壁には得も飾ってある。詰所かなにかだったのだろうが、全くもって砦の中だとは信じられない光景だ。
 席を勧められ、思い思いの場所に座る。アーヴェントは入口の近く。レンは彼から最も離れた席。ラスティ、ユーディアと続く。ラスティの目の前にはグラムが座り、その隣にはリグがいた。
 間もなく、エルザが台車を転がして入ってきた。1人1人の前に茶器を置き、お茶を入れる。仕上げに菓子の乗った大皿を真ん中に置くと、頭を下げて部屋を後にした。
 湯気の立つカップの中を覗き込む。見た目は普通の褐色の液体が入っていた。
「そのお茶は俺が街に遊びに行ったときに買ってきたもんだよ。変なもんは入ってない」
 考えていることを見抜かれ、ラスティとユーディアは鼻白んだ。誤魔化すようにカップに口を付け、菓子に手を伸ばす。お茶は至って普通のお茶。菓子は食べたことのない物だったが、美味だった。なにか植物――ハーブのようなものが入っているらしい。
 しばし無言になり、茶を楽しむ。
「……なんの茶番だよ」
 隣からラスティにしか聞こえない声で、レンは言う。全員がお茶を堪能している傍らで、彼は1人据わった目をしていた。いつもの敬語すら消えて素の言葉に戻っている。茶にも菓子にも手を付けず、じっとアーヴェントのほうを見ている。レンの魔物嫌いは知っているが、それはどうやら人に近い彼らにも適応されるらしい。
「さて、本題と行く前に……」
 かちゃり、と小さく音を立ててカップを置き、アーヴェントは口を開いた。
「少年。合成獣のこと知ってるの?」
 嫌そうに顔を顰めながら、レンは頷いた。
「……知ってます」
「何処で聞いた?」
「……僕の故郷で」
「故郷って?」
 レンは言葉を詰まらせたあと、しばらく黙りこんで俯いた。やがて顔を上げると、上目づかいに魔族の青年を睨みつけた。
「……なんで魔物なんかに言わなくちゃいけないんだよ」
「できれば魔族って言って欲しいなぁ」
 明らかな拒絶の言葉、そして敵意を、アーヴェントは笑って流した。
「知りませんよ。合成獣じゃないんだったら、他はみんな魔物じゃないか」
 静寂が訪れる。グラムたちがはっと息を飲んでレンのほうを見つめた。それぞれ複雑そうな面持ちである。特に、リグがつらそうな表情を浮かべていた。
「そこまで知ってる、ね。まあ、当然か」
 ふ、とアーヴェントは笑う。いささか自嘲めいていた。
 ラスティは隣のユーディアと視線を交わした。2人だけ置いていかれて、なにがなにやら全くわからない。ついこの間までは避けていたというのに、今は彼女の存在が有り難い。
「合成獣とは?」
「既存の生物を素体とし、魔術によって造られた生物。基本的には、他の動物と合わせた奴だな。犬に鳥の翼を付けて見るとか。植物の細胞を植え付けるなんてのもあったな」
 今から300年前、シャナイゼがウィトリスとマルディンの2つに分断されていたころ、魔術師の間で合成獣の研究が流行っていた。過去の伝説の生物たちを真似て、色んな合成獣を作ったという。 もちろん、生命倫理に引っ掛かるために秘密裏に行われていたらしい。
 これだけでも信じられないのだが、更なる事態が起こった。
 ある日、その研究サンプルが不徹底の管理によって野に放たれてしまったのだ。すぐに狩りが決行されたが、研究者のミスか、それとも高をくくっていたのか、生殖系を弄られることのなかった合成獣は、逃亡生活の間に基になった生物と交わり、子を作り繁殖した。
「それが魔物……?」
 信じられないと言った風に、ユーディアは尋ねる。否定して欲しいと淡い望みを抱いているようだが、無残にもその仲間と思われる青年によって打ち砕かれる。
「そして、人間を基にして作られた合成獣、その子孫たちが俺たち魔族というわけだ」



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