第8章 盗まれた禁書


  3.

「ちょっと来い」
 リグは突然ユーディアの腕を掴むと、そのまま閉架書庫の外へ引っ張っていった。グラムとルーファスはあとをついていく。
 閉架書庫を出たリグは、あたりをきょろきょろと見回していた。グラムたちに気が付くと、助けを求めるように振り向く。
「話を聞かれない場所ってないか?」
「お前たちの部屋は」
 確かにあそこなら、滅多に他の人は入ってこない。盗み聞きされる心配もおそらくない。優秀な魔術師がそろっているから、そのための魔術はすぐに見破ってしまうだろう。そこの住人であるジョシュアとクラウジウスは口が堅いし、信頼もできる。
 だが、リグは少し考えたあと首を横に振った。
「駄目だ、あそこにはラスティがいる」
 驚いていただけだったユーディアの表情が曇る。ラスティのことについては、まだいろいろと複雑なようだった。前に比べると言葉を交わすようにはなったので、少しはマシになったとは思うのだが。
 事情を知らないルーファスは眉を潜めたが、リグがユーディアの腕を掴んだままであることに気が付いた。
「どうでもいいが、手を離してやれ。アディーナに見つかったらどう言い訳する気だ」
 慌ててリグはぱっと手を離す。
「いや、別に俺はそんなつもりじゃ」
「いいから場所探せ」
 ガールフレンドの名を聞いて挙動に不審ささえ見せ始めるリグに、ぴしゃりとルーファスは言い放った。

 考えた末、行き着いた場所は屋上だった。展望台としての役割を果たすここは、憩いの場としても人気の場所だが、接近されればすぐにわかるし、広いから声も響かないので、立ち位置と声の大きさを考慮すれば、内緒話をするには充分だ。端から見れば、世間話をしているように見えるから、不審さもない。
 眼下にシャナイゼの街が見える。穏やかな街並み。街の中を太い根が這う以外は、他の街となんら変わりない。
「あんたの借りにきた本って、セルヴィスの手記なんだな?」
 柔らかな木漏れ陽のあたる屋上で、問いただすリグの声は些か厳しい。それほどまでに、この件は重大だ。
「そうだけど」
 あまりに突然の事態に、ユーディアは戸惑いながらも頷く。
「それも、晩年の手記?」
 またユーディアは頷いた。
「なにか、問題でも?」
「おおありだよ。晩年のセルヴィスについては知ってるな?」
 頷く。
「禁術について調べる気か?」
 これには首を傾げた。なにを言われているのかわからないようだった。
「お前が言ってる本はな、禁書だ」
 帯出禁止どころか、閲覧禁止。他12冊は写本があるが、13巻目以降は写しさえない。閲覧するには塔長他の許可を貰わなければならず、そのためには、たくさんの厳しすぎる条件をクリアしなければならない。外部はもちろんのこと〈木の塔〉の人間ですら、見るのは容易ではない、というか禁止されている本だ。
 その理由は、禁術について書かれているから。
 セルヴィスの手記は日記的な役割もあるが、主としているのは彼の魔術研究の記録だ。現代魔術の基盤となるありとあらゆる情報が詰まっている。だから、手記は魔術書の書棚に入っていた。
 その晩年のものともなれば、彼のその所業を知るものがいれば、どんなことが書かれているか察しがつくだろう。気が触れたのか、魔が差したのか。倫理と仁徳を忘れたセルヴィスは、世界の秩序を乱す背徳の術を編み出した。それが禁術と呼ばれる術だ。ある日よりきっちりと記録をしていた彼の手記には、しっかりとそれが残されている。こちらは確認済み。身をもって体感済みだ。都市伝説の類いでないことは間違いない。
 グラムとしては、そんな本はとっとと燃やしてしまえばいいのにと思う。そんな知識を広めないようにするためであるなら、いっそ源を失くしてしまえばいい。
 それをしないのは、その知識が世の中のために活かすことができると考えてのことだという。ジョシュア曰く、「一見無益に、或いは実害に見えることから益を見出す」のだそうだ。わからなくもないし、実際の成功例も目の当たりにしたが、こういうことが起こるなら、やはり燃やすべきだと思う。
 盗まれた今、どうすることもできないが。
「手記を見たいのは一個人としてか?」
「いいえ、友人に頼まれて」
 同じ職場の上司なのだという。彼女がここにいるのは、仕事の一環で、命令されたから。彼女と出会ったときに一緒にいた騎士たちは同僚だったのだ。
 本を借りて持ち帰らなければならなかったらしい。しかし、それは叶わないと聞いて、ならば滞在のうちに本を読み、知識だけでも持ち帰ろうとしたのだという。結局、それすらも駄目だったが。
「重役?」
「発言権と、少なくとも軍一部隊は動すことができるくらいの権限は持っていると思う」
 グラムとリグとルーファスは互いに目配せし合った。
「あの……もしかして、神殿が戦争に禁術を用いることを考えてるんじゃないかって思ってる?」
「可能性としては考えられるだろ? というか、そんなものがあると知ったら使いたくなるもんだろ」
 戦う者は、力を得るのに貪欲だ。剣を持つ者はより切れ味が良く丈夫な剣が欲しい。魔を役する者はより強力な術を望む。アスティードは前者の、禁術は後者の最たる物だろう。だからクレールは求めている。
「うちだって、禁止されているからやらないようなものだし」
 うっ、と魔術師と研究者が低く唸った。物言いたげにグラムを見るが、2人とも返す言葉が見つからないらしい。結局黙り込んだままだった。
「ま、でも盗んだ奴は西のほうに逃げたからさ。結局クレールに渡ってるかもだよなぁ……」
「この馬鹿っ」
 後頭部に衝撃が走る。右側と左側の両方だ。リグとルーファス、双方から同時に殴られた。
「なにすんだよ!」
 頭を押さえながら睨みつけると、2人は釣り上がっていた眦を更に釣り上げた。怒りがさっと引いていき、焦りが生まれる。殴られた理由はまだわからないが。
「盗まれた?」
 ――あ。
 ユーディアの声でようやく気付く。
 しまった。そういえば知らないんだっけか。



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