第8章 盗まれた禁書 2. 「ん?」 先を言っていたグラムが本棚の陰から姿を現してこちらに向かって大きく手を振っている。図書室は静かにしなければならないので声を出すことはできないから、なにを言いたいのかはわからない。 「なに? 見つけた?」 聴こえたわけではないだろうに、それに応えるかのようにグラムは振っていた手を下ろして書棚の奥を指さす。本当に見つけたらしい。 そこは魔術書の書棚だった。 用があるのは魔術書だったようだ。〈木の塔〉はミルンデネス随一の魔術研究の施設だ。目的がそうであるのも納得。 ユーディアは書棚を見上げていた。探し物はまだ見つかっていないようだ。 「ユディ」 声を掛けると、ぼうっとした眼差しでこちらを向いた。探し物に夢中になっていたらしい。 「なに探しているんだ?」 ユーディアが探している物の見当をつけようと、彼女が見ていたと思われるあたりを見上げる。そこに収まっているのは上級者向けの魔術書だ。仕事柄リグたちも手に取ることがあるが、その内容を理解するのはなかなか困難な代物。 うへぇ、とグラムは小さくたじろぐ。こう言ってはなんだが、彼の学力は〈木の塔〉内では低い位置にある。 「セルヴィスの手記を探しているんだけど、何処にあるのか知らない?」 内心ぎくりとした。だが、努めて平静を装う。 セルヴィスの手記。その名の通り、〈木の塔〉の創設者エドワード・セルヴィスの残した記録である。200年以上も前の記録だから丁寧に保存されている。写しも存在しているが、こちらも厳重に保管されていて、気軽に手に取れる物ではない。 「借りられるかな?」 「それは無理だ」 きっぱりと否定すると、目に見えてがっかりした。もう少し言いかたがあったかな、と後悔する。あまりに残念そうだったのを見兼ねてか、ルーファスは口を開いた。 「見るだけでいいなら、入れてやる」 「本当ですか!?」 目を輝かせながら飛び付くユーディアに、ルーファスは面食らう。しかし、気を取り直して講師をしているときのように背筋を伸ばし、 「ただし、写すのは禁止だ。それから、俺かリグが傍にいることも条件だ」 「はい!」 信用されていないことが丸わかりの条件だが、それでも彼女は喜びを露わにする。彼女は純粋だ。自分の周りには、ここまで純粋な人間はあまりいない。我が妹然り。天然のグラムもときに平然と悪事に手を染める。彼の場合は過ぎた悪戯レベルであるが。 彼女の笑顔が眩しかったのか、せっかく取り繕ったのにルーファスは恥ずかしそうに視線を逸らした。 ぶっきらぼうな彼は、実は照れ屋なのである。 閉架書庫は、図書室のフロアの北側に位置する。南側の一般書庫とは厚い壁で区切られ、出入りを制限する扉には魔術が掛かっている。解除方法は図書室の管理者に申請を行って鍵を貰うこと。だが、申請をしなくても鍵を使うことができる者もいる。それがルーファスのような〈青枝〉の研究者だ。 ルーファスは魔法陣の描かれた壁の前に立つと、陣の中心にある穴に鍵を差し込む。鍵は一見するとただの金属の棒だ。穴も切り込みも入っていない、円筒形の棒。だがこれは立派な魔道具のひとつで、これを陣の中心に描かれた穴に差し込むことにより、未完成の魔法陣を完成させて魔術を発動させ、扉を開けるのだ。 鍵穴に溝もなにもないからピッキングはできないし、金属棒もまた重要な役割を果たしている(らしい)のだから魔術に詳しければ簡単に開けられるというものでもない。防犯性の高い鍵である。〈木の塔〉の重要な場所は、全てこの鍵が使われている。 魔法陣が緑色に光ると、人が通れるだけの穴が開く。その先が閉架書庫。 「閉架書庫にこんなにすんなり入り込めるとは。羨ましいねぇ」 リグはあたりを見回しながら言う。暗い魔術の照明。味のある色合いを醸し出す木製の書棚。古びた本の匂いはなんとも落ち着く。 利用したことはある。だが、2回か3回だ。16歳の頃から在籍して4年目になるが、たったそれっぽちなのである。 「お前たちはそんなにここを使うことはないだろう」 「まあ……あまり入ったことはないけどな。でも、どんな本があるかは興味あるぜ?」 ここにあるのは専門書ばかりではない。昔の小説なども貯蔵されているのだ。でも、一番の目的はやはり、 「おおかた童話の初版本狙いだろ?」 「ばれたか」 リグは童話が好きだ。童話と聞くと幼少期の読み物のように思えてならないが、いろいろ経験してから読んでみると、単純に見える世界の中にいろんなものが潜んでいることがわかる。それに、その土地ならではの特色がある。土着の文化が反映されているのだ。それらを読み解いていくのがリグの楽しみである。 「バレバレだな。……っとここだ」 辿り着いたのは、やはり魔術書の書棚である。見上げてみると、一般書庫に負けず劣らずの数が並んでいる。その中には珍しい物も多く、あまり研究熱心でないリグでさえ手に取ってみたい衝動に駆られた。 その中に埋もれるように、しかし綺麗に整頓されて、セルヴィスの手記は並んでいた。エドワード・セルヴィスが魔術の研究をはじめてから死を迎えるまでの研究記録である ユーディアは12冊に及ぶ本の中から一番最後の巻を抜き取ると、ぱらぱらとページを捲って内容を確かめる。しかし、目的のものではなかったのか、本を開いたまま視線を上げて、残る11冊の背表紙を確かめた。 「これで全部?」 「ああ」 ここに貯蔵されているのは、これが全部である。 おかしいな、とユーディアは首を傾げながら、手に持つ本のあちこちを眺め、 「晩年の物がないみたいなんだけど」 リグとルーファスだけでなく、グラムまで固まらせた。 [小説TOP] |