第5章 魔境の入口


  3.

 ひゅん、とリグから借りた槍が宙を裂く。パルチザンの穂先は重い。石突きのほうを持って振り回せば、重みで勢いがつき、威力が増す。
 魔物の肌を斬ったときに伝わる感触は、皮の硬い植物を切ったときと同じだった。アロエを切ったときとかそんな感じだ。仙人掌は切ったことがないので、同じかわからない。
 ――余裕だな……。
 どうでもいいことを考えている自分に皮肉る。自分で言うのもなんだが、戦闘で高揚しないのは珍しい。
「そらっ!」
 声を出して、槍を突き出す。致命傷を与える必要はない。与えられるならそれでいいが、グラムの役割は囮だ。どうして隊長が囮、と思わなくもないが、なにせ魔術を使うのが2人もいるし、もう1人は不意打ちが得意なのだから仕方がない。それに身軽なグラムの動きは、敵の目を引き付けやすい。
 顔の前に穂先を突き出してやれば、相手は警戒して意識をこちらに向ける。振り回わした拳を躱して、浅く斬りつける。戯れに似た行動に、〈棘の人〉は怒りを覚えていく。あまり怒らせすぎても大変なので、ほどほどのところにしなければいけないのが、難しいところだ。
 リグも食らいかけたハンマーを振り下ろすようなパンチは、リグの精霊サーシャの矢が深く突き刺さったことで中断される。立てつづけに2本、3本と突き刺さった。
 声はない。声帯を持たないのだという。呻かないから、効いているのかどうかわからない。
 リズの放った空気の塊が魔物を襲う。風圧でよろめいたところを、続いてウィルドが死角から現われて逆手で持った長剣で首を斬り裂いた。息の合った攻撃に、思わず賞賛の口笛を吹く。
 だが、長剣では息の根を止めるのは難しかったらしい。身体中の棘と分厚い皮膚の壁を突き破るには、もっと間合いの長い武器が必要なようだ。幸いパルチザンがある。
 さて、どう攻めるか。ゆっくりと魔物を中心に円を描くように足を運びながら考えていると、〈棘の人〉が突然身を震わせた。これは話に聞いたことがある。
 あれは、身体中の棘を飛ばす前触れだ。
 慌てて後ろへと大きく跳んだ。一度だけではなく、二度も三度も。だが、充分な距離を取ることはできない。
 ヤバい、と思った瞬間、〈棘の人〉を囲むように竜巻が現れる。風の渦が、棘を拐って舞い上げた。
 上空へと巻き上げられた棘は、沙漠の何処かへ流されていく。鋭くて恐ろしい凶器だが、もともと植物の一部。軽いのだ。
「サンキュー、リズ!」
 気が抜けて杖を下ろしたリズに片手を挙げる。あの竜巻は彼女の仕業。風と水の魔術は彼女の得意とするところである。
「どういたしましてー」
 適当にリズが手を振りかえしたのを横目で確認して、再び〈棘の人〉へと目を向ける。そして、魔物の姿を見て、思わず喜びの声を上げた。
「ラッキーっ!」
 棘を飛ばした〈棘の人〉は、棘をなくしてただの植物人形となっていた。これなら楽に攻められる。
 今のうちにとっとと攻め込むぞ。ウィルドに目配せした矢先だった。〈棘の人〉はまた身体を震わせると、
「なにいいいいいぃっ!?」
 緑の皮膚の下から新しい棘が生えてきた。
 きらり、と低くなった太陽の光に照らされて針先が光る。金属の針かと錯覚してしまいそうだ。
「そんなの、有りかよ!」
 予想外であまりに不都合な事態に、グラムは思わず地団駄を踏んだ。
「鮫の歯みたいですね」
「鮫ってなんだよ!」
 冷静な、むしろ惚けたようにも思えたウィルドの発言に、グラムは食って掛かった。つっこみが半分、八つ当たりが半分である。
 少し気を取られている間に、魔物はリズのほうへと向かっていった。
 リズは棒手裏剣を取り出すと、敵に投げつけながら後退した。その間にグラムとウィルドが駆けだした。
 棒手裏剣は柔らかい魔物の身体に容易に突き刺さる。だが、分厚い皮膚を貫通させることはできないので、たいしたダメージにはならない。
 一足先に追い付いたウィルドが、背に彼女を庇う。魔術が攻撃の主体、そうでなくても投擲が主な武器であるリズは打たれ弱い。正確には、打たれ弱いから中距離から遠距離の攻撃を行うのだが。
 庇われたリズはウィルドを残して駆け足で魔物から離れていった。
 突然割って入った男と、一目散に逃げた(ようにみえる)女に〈棘の人〉は気をとられていた。その背に、ようやく追い付いたグラムはパルチザンを降り下ろす。
 今度は深く入った。感触だけでそれを感じると、血糊を浴びないように急いで魔物から離れる。
「まだ近づくなよォっ!」
 リズの叫ぶ声が聴こえた。もちろん彼女、ただ攻撃を恐れて逃げただけではない。
 魔物の皮膚に突き刺さった3本の棒手裏剣。その柄のほうから、青い魔法陣が現れた。魔法陣から氷の槍が現れると、魔物の身体を一気に貫く。背中側にいたグラムからは、3つの氷の先端が見えた。
 赤い大地に、真っ赤な血が流れる。
「容赦ねぇなー……」
 容赦などしていたら死ぬのはこちらなのだから仕方ないし当然なのだが、思わず呟かずにはいられなかった。
 ――ていうか、怖っ。
 いろいろ想像してしまいそうなので、深く考えることは止めた。
 どう、とグラムの前で〈棘の人〉は地に横倒しになる。手が、脚が、もがくように動いた。
 ――まだ死んでないのか……。
 貫かれた場所は胸と腹。だが、運悪く――本当に、相手にとっても運悪くだ――心臓は無事だった。血は大量に流れている。それでも、まだ死なない。なんて強い生命力だろうか。
 グラムは魔物に近づく。槍を握りしめ、これで止めを刺していいものかしばし悩んでいると、ウィルドが横に立っていた。棘の間を器用に避けて、手にしていた長剣を深く突き刺す。
 今度こそ、魔物は息絶えた。
「終わったか?」
 掛けられた声に振り向いてみれば、リグが立っていた。グラムが貸した剣を放ってくる。
「あの人たちは?」
 槍を返しながら尋ねた。リグは受けとるや、リュミエールを杖の状態に戻す。一度に2種類の武器を持てるのはいいなと思う。グラムはいろいろな武器を使えるが、それを持ち運ぶには限界がある。せいぜい、剣と小弓が限度だ。
「3人死んだよ。ひとりだけ、怪我が軽かった」
 頭で後方を指し示したので見てみれば、彼の背後に娘がひとり立っていた。同じくらいの年頃だろうか。肩の辺りで切り揃えられた茶色の髪。アーモンドの形の眼の光彩もまた同じ。白い上着はおそらく防刃衣だろう。下は動きやすそうなショートパンツ。腰に細剣――あれはエペだろうか――を携えているが、おとなしそうな雰囲気の彼女には、はっきり言って不似合いだ。
「ありがとうございました」
 頭を下げる。落ち込んでいるようであった。当然だ、仲間がみんな死んだのだから。涙を流していないだけ、気丈だった。
「まあ、無事でなにより。ツイてたね」
 彼女は首を横に振った。
「そんなことはありません。……みんな、死んでしまいましたから」
「ひとりだけ生き残ってるだけでもラッキーだと思うぜ。普通は全員死ぬから」
 はい、と小さく頷いて、彼女はもう一度頭を下げた。彼女とわかって助けた訳ではないのでそんなに気にすることではないのだが、助けてもらったほうにはそうではないのだろう。甘んじて受けることにした。
 そしてグラムは、自分たちが来たほうを見た。そこにはラスティたちがいるはずである。
「さて、と。あっちは終わったかねぇ」



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