第5章 魔境の入口 2. 「ついてねぇな」 語調の荒くなったリズの言葉に、異を唱える者はいなかった。 日の暮れかかったシェタ沙漠の入り口。礫沙漠らしく、ごつごつと赤茶けた石ころが敷き詰められた土地を前にして、視力が人一倍良いグラムとレンが、左手側でなにかを見つけた。普通の視力のラスティでも、じっと目を凝らせば見える。だが、あくまでなにかが見えるという程度。リグとリズは視力が悪いらしく、眉間に皺を寄せていたが見えていないようだった。そういえば、ルクトールで会ったときに眼鏡を掛けていたか。普段はしていないようだ。 グラムはしっかりと見えているらしい。 「人の集団だな。4人くらい。魔物に襲われてる。……〈棘の人〉だ」 そして、はじめのリズの言に至る。 「〈棘の人〉というのは……」 「お察しの通り、ヒューマノイドだよ」 「どうする?」 そうグラムに訊きながら、リズは背中の杖を抜いた。どうすると聞いておきながらも行く気のようだ。 「……仕方ねーよなぁ」 はあ、と大きなため息をついた。 「先行く」 リズと同じように杖を抜いていたリグは、妹ともども一歩前へ踏み出すと、掲げるように杖を持った。地面に描かれる魔法陣。ラスティがいままで見た魔法陣と違って、光の色は白かった。 「「我と契約せしめしもの、異世界の門を叩き、この地へと来たれ。我が呼ぶは、人の創りし幻、陽(月)追う狼」」 2人は声質も似ているので、まるで1人の人間がふたつの音域を一度に操っているように聴こえた。リズが高音で、リグが低音。 魔法陣が輝く。その光が強くなった、と思った瞬間に、そこから大きな何かが飛び出していった。2つの魔法陣から白と黒の影。ラスティたちの頭を飛び越して先を行くその姿は、2つとも狼の形をしていた。この前ルクトールで見た狼だ。ただし、前よりも大きい。その背に少なくとも大人1人は乗ることができるだろう。そう予想したとおり、リグは白い狼に、リズは黒い狼に飛び乗った。 「どっち!?」 「あっち!」 グラムが指さしたほうへ狼たちは駆けていく。 「雑魚は頼んだ!」 言い残して、グラムとウィルドはリグたちを追いかけていく。 ――雑魚? グラムたちについていくつもりだったラスティは、予想外の言葉にしばし呆然と立ちすくんだ。 「来るわよ」 フラウが背中からバスタードを抜く。彼女が見据えた先に、狼の影がある。リグたちの狼とは違い、普通の大きさ。魔物か、それとも普通の狼か。いずれにしても、雑魚とはあれのことらしい。 ラスティもまた、剣を抜いた。 呼び出した白狼スコルの背に乗ったリグは、自身の杖に魔力を流す。この杖リュミエールは知り合いの魔装具技師に作ってもらった特別製で、こうして魔力を流すことで、魔術用の杖から武器へと変化する。リグのリュミエールの場合は刺突と斬撃両方を繰り出すことのできるパルチザンだ。 杖は魔術師であることの証明品。そして、大切な術具。リグは魔術師であるから杖を手放すことはできない。しかし、杖だけではカーターから教わった武術を生かすことができない。リュミエールはそんなリグの要望を叶えた杖だ。 襲われているのは4人。旅装だが、旅を生業としているような様子ではない。彼らが手に持つ武器は、どこかから与えられるような上等で統一性のある物だった。何処かの組織の人間だろうか。苦戦しているらしい。すでに2人地に転がっている。残りも立ってはいるが負傷しているようだ。魔物を見据え、じりじりと後退している。 「行くよ」 黒狼ハティの背に乗ったリズは、回り込むように進路を右に逸らしていく。宙に魔法陣を描いて、風の刃を放った。肉を浅く切られ、魔物はリズに気付いた。植物の種と見間違うような小さな眼で、妹を見据えている。 ――あーあ……。 もう後には引けない。 襲われていた4人を庇うように敵の前に躍り出ると、狼から飛び降りる。スコルの背を蹴りつける形を取ってしまうため、この瞬間はいつも躊躇われる。だが、その躯が揺らぐことはなかった。 『彼らを』 『承知』 声に出さずに念話で、スコルに指示を出す。 片手を石突に、もう片方を柄の中ほどに当ててパルチザンを構えた。 〈棘の人〉は人型の動く仙人掌だ。高さは2mくらいだろうか。ずんぐりむっくりしていて、頭は小さい。緑の分厚い肌は棘に覆われていて、敵の接近を妨げる。普通の武器で致命傷を負わせようとすれば、間違いなく怪我をするだろう。厄介な相手だった。 だが、この長槍なら、或いは。 石突を持つ手を腰のあたりへ持っていくと、リグは敵へ突っ込んだ。刃が緑色の肌に沈む――しかし、思っていたよりも堅く、深く入り込まない。無理やり突き刺すよりも抜くことを選んで、ゆっくりと後退して、ふと頭上に影が差す。 魔物が、棍棒のような腕を振り上げていた。慌てて右へと跳躍した。棘だらけの右手が、石ころだらけの地面を抉る。棘とあの怪力のパンチが掠りでもしていたらと思うと、ぞっとする。 地面から抜かれた腕に、氷柱が飛来した。リズの放った魔術だ。2本の氷の矢が、緑色の腕を貫く。 術の効力を失い、氷柱が溶けて消えると、傷口から赤い血が流れる。植物のような魔物にも、他の動物たちと同じように赤い血が流れるのだ。そのことに――リグは居た堪れない気持ちになる。 「ごめん。ちょっと遅かった」 淡々としたリズの言葉に、リグは気を取り直した。 「いや、全然余裕だ」 嘘ではない。今のところ。躱しきれたし、気持ちにも体力にも余裕はある。今は少し気を取られただけ。 リズが次の術を繰り出した。風の刃に魔物が翻弄されている間に、リグは体勢を立て直す。 視界の端に、グラムとウィルドが見える。よし、と思ったのと同時に、スコルの声が頭の中に響いた。 『全員負傷。うち、3人が致命傷』 『すぐ行く』 リグはグラムたち一行――〈木の塔〉第6小隊の中で唯一の癒し手だった。 グラムたちが来たら彼ら治療に向かうつもりだったから、段取りは頭の中に入っている。 「グラム!」 叫び名を呼ぶと、リグは手にした槍型のリュミエールをグラムに放り投げた。グラムは地面に刺さったそれを引き抜くと、今度はリグに腰の剣を寄越してきた。 受け取って鞘から抜き、掲げ持って集中すると術の準備に入る。本当は杖のほうがいいが、あれはあくまでも補助。少しは変わるが剣でも問題ない。 地面に描かれる、青い光の魔法陣。色のついた魔法陣は属性魔術の証だ。 「来たれ、水の化身。我が呼び声に答えよ」 魔法陣が強く輝くと、こんな乾いた土地だというのに水湧き出る。その水は徐々に人の形を成し、色を付ける。そこにはどう見ても人間にしか見えない、白い髪の乙女が立っていた。 世界に溢れる気。それが魔力により形を為し、意思を持つ。その存在を、リグたちは〈精霊〉と呼んだ。 「サーシャ、頼む!」 「御意のままに」 水精サーシャが宙を裂くようにすっと上から下に指を動かすと、その軌跡に沿って水が湧きだした。その水は宙に浮いたまま形を取り、弓となる。 戦闘はサーシャに任せ、リグはスコルのもとへ向かう。2体同時に召喚していると、さすがのリグもきつかった。今はこうするしかないが、後のことを考えるとできるだけ早く動かなければならない。 「大丈夫か!?」 そう言うが、どう見ても大丈夫ではない。スコルが言っていた通り、3人は致命傷で間違いないようだった。 相手をじっくりと観察する。男性3人に女性が1人。大怪我をしているのは男3人。やはり何かの組織の人間らしく、衣服と武器が統一されたデザインだった。白を中心とした生地と清楚でありながらも華美な部分もある意匠から、四神の誰かを祀る神殿の人間か。 神殿の人間はよほどのことがない限り自分の土地を離れない。なのになんでこんなところにいるのか気になるところではあるが、今は何よりも先に治療である。 まず女性の傷を見る。腕に棘が深く刺さっている以外にはかすり傷程度だ。命に別状はなさそうなので、後回しでいいだろう。 次に、死にかけている3人。こちらは……正直に言って難しい状況だ。〈棘の人〉の攻撃をまともに受けたのか、身体中に魔物の棘が刺さっているし、肉を抉られた箇所もある。出血も激しくて、呼吸も弱い。急いで治療をしなければならない。 グラムたちを信頼しているが、念のためスコルに身を守ってくれるように頼んだあと、リグは意識を集中し始めた。 [小説TOP] |