第4章 アスティード


  4.

 ラスティたちが部屋を出ていった瞬間にグラムは空腹を感じた。椅子に座って、ラスティたちを見送りに行った双子たちを待つ。
 なにを話しているのか、リグとリズはすぐには帰ってこなかった。待ちくたびれてようやく彼らが帰ってくると、グラムはすかさず主張した。
「腹減った。飯にしよーぜ」
 外はすでに暗い。食事時である。今日は一日中泥棒捜しで町中を歩いていたため、余計に空腹を覚えていた。
 というのに、リグは腰に手を当てて、呆れた眼で椅子に座っていたグラムを見下ろす。
「もう腹減ったのか? お前、さっき町であんなに食ってたじゃねぇか」
 確かにいろいろ食べた。大通り、露店で食べ物を売っていて、それが芳しい薫りを出すのである。ルクトールは同じリヴィアデールだが、東端のシャナイゼと西端のこの街では、ずいぶんと食の趣が違う。同じ料理でも味が違ったり、ときには珍しいものもあったり。そんな誘惑を、容易に断ちきることができるだろうか。
「ちょ、捜索ほっぽり出して食べ歩いてたわけ!? ずるくない!?」
 ここにもひとり、誘われた者がいるらしい。なんとか我慢したらしいが。もったいない。
「貴女も目移りしてませんでしたか?」
「でも、食べてないし」
 食べときゃよかったー、と悔しがるが、町に出てるときにグラムたちが食べていることを知っていても、きっと彼女は食べなかっただろう。兄のリグも、グラムが押し付けなかったら食べてなかった。なにせ仕事の途中だったから。
 というか、今も途中だ。
「その前に、泥棒はどうなった?」
「まだ見つからない」
 リズは唇を噛む。
「……こうなると、街の外に出たとしか考えられないな」
「それは……、困りますね」
 声を低くしたウィルドに、グラムたちは身を固くした。このなかで一番恐ろしいのは、他でもない彼である。そして、あの本を取り戻すことに一番使命感を感じているのもウィルドだ。このまま放っておくと、彼の怒りを買うのは間違いない。
「じゃあ、やっぱり本を盗んだ奴を探さないといけないか……」
 空腹の中でそれは辛い。が、あれを取り返さないと大変なことになるのも事実。食事はいつでもできるが、ルクトールで泥棒を捕まえるのは、今しかできない。
「いや、スコルたちは先に飯を食ってこいって」
「いや、でも……」
 リグを通して話を聞いていたのだろうか、リグの狼が親切な提案をしてくれたらしいが、さすがのグラムも躊躇う。自分のやるべきことを他人に任せ、のんびりと食事を楽しむのは気が引ける。
「無理して集中を欠いたら大変なことになるからって」
 そう言われると、断ることはできない。
「それから、町中を探し回ったけど、犯人の匂いはもうあまりしないってさ」

 目の前に注文した料理が並ぶ。すべて米料理。グラムたちの故郷シャナイゼは乾燥している地域が多いため、米作りに適していないのだ。こういうものは滅多に食べられないから、グラムは米が食いたいと主張した。その甲斐あっての、このメニュー。
「あいつらも誘えばよかったな」
 赤い調味料で炒めたご飯を卵でとじた料理を半分程食べた頃、グラムは今更思い至った。腹がだいぶ満たされて、他のことを考える余裕が生まれたからかもしれない。
「ああ……。そういえばそうだね。そのほうがいろいろ話聞けたし」
 リズが食べているのは、トマトの粥だ。チーズも乗って美味そうだが、量が少なめで消化が早そうだ。
「そういえば」
 食事の手を止めて、リグはウィルドのほうを向いた。
「なんで今までアリシアの剣は見つけられなかったんだ?」
 ウィルドはスプーンを皿の上に置いた。そして、紅茶の入ったカップを受け皿ごと取り、中身を一口啜る。
「質問を質問で返すようですが、貴方たちは何故、アリシエウスのような小さい国が、これまで存在することができたのかご存知ですか?」
「いや……」
 戸惑いがちに首を振るリグの隣で、はっとリズが顔を上げた。
「もしかして、アリシアの剣?」
「ご名答。剣の存在が他の国からの侵略を妨げていました。世界を破壊する剣を持っている国に、正面から戦争を仕掛ける者はいませんから」
「でも、今まであるかどうかもわからなかったのに……」
 あることを信じた者もいただろうが、ないと思っていた人もいるはずだ。特に、そういった話は信じない者が多い。
「だからこそです。存在した場合、自分たちに向けて振るわれる可能性が大きい。そうすると、被害は尋常ではないでしょう。それはあまりにリスクがある。もちろん、ない可能性もあります。しかし、ないとも言い切れないため、手出ししづらい」
「その話で行くなら、あるとわかっていたらやっぱり手は出さないんじゃねぇの?」
「あるとはっきりしている場合、他国はどんな手段を使っても奪うなり壊すなり考えます。脅威が近くにあるのに、それを放っておく国はありませんよ。まして、アリシエウスを取り囲むのは、クレール、リヴィアデール、サリスバーグの三大国です。あのような国が、まさか小国が自分たちを凌ぐ力を持つことを許すはずがない」
「んー、そういうもの?」
 田舎者の所為か、グラムにはよくわからない。
「そういうものです。特に、力を持つ者ほどこだわる」
 ウィルドはそんなグラムに微笑む。
「ですが、存在が曖昧であれば、それをすることもできない。暗殺や強奪を試みた結果なにもありませんでした、では冗談になりませんから」
 あると狙われ、なくても狙われる。けれど、あるかないかわからないと手を出すことができない。つまり、存在するかしないかわからないその神秘性が、他国を牽制していたということか。
「あのような小さな国が、たいした武力もなくこれまで存在してきたのはそのためです。そして、それを知っていたから、アリシエウスはずっとアスティードの存在を隠し続けた。あとは言い伝えの通り、アリシアに守るように託されたからですね」
 だから今まで見つからなかったのだそうだ。
 余談だが、アリシエウスの北方にあるふたつの小国バルデスとニーヴが同様に残っているのは、そのアリシエウスと同盟を組んでいたからだそうだ。
「なんで今までずっと隠し通せたわけ? いくら一族で約束を守ってきたとしても、誰かしら使ってみたくなったりしたんじゃないの?」
 どんなに先祖が忠実であったとしても、子孫もそうだとは限らない。どんなに言い聞かせても、魔が差した人は必ずいたはずだ。
「もちろん、長い年月の中で何人かそういう人たちは出てきました。自衛目的、ただ自分の欲を満たすため。理由は様々ですが、彼らは実行する前に亡くなりました」
 グラムたちの周りだけ沈黙が落ちる――そりゃ、全員黙り込むわ。
 約束を守れなければ、死が訪れる。まるで呪いである。だが、神に関わるとはそういうことだと、グラムたちは身をもって知っていた。だからこそ、ラスティたちが心配になる。
「そこまでのことをしているのです。だから本来剣の存在は明るみに出るはずがないのですが……」
「クレールはそれを狙ってきた」
「あるともしれない剣の存在を誰かが吹き込んだのは間違いありません。問題なのは、いったい誰がアスティードの存在をクレールに教えたのか。そして、その目的」
「誰が……」
 漏らしたのはグラムかリグか。まさかと思い浮かべた推測を裏付けてくれるかのように、ウィルドは告げた。
「おおかたの予想はついていますが」
 いま、全員が同じ顔を思い浮かべていることを、グラムははっきりと感じていた。反応は様々(といっても双子は同じ)、しかしみんなきっと思っているだろう。
 またか、と。
 本を盗まれ、破壊の剣が出てきて、隣国では戦争が起こる。いろんなことがいっぺんに来るのを、ある人は運命というのかもしれない。
「エリウスの紡ぐ運命、か……」
 リズは顰めて、ぽつりと言葉をこぼした。
「……だとしたら碌でもないな」



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