第3章 逃亡者と追跡者


  4.

「待てこんにゃろー!!」
 大声を上げて、少年が追いかけてくる。道行く人は何事かと足を止め、振り返った。レンたちはその間を掻きわけて逃げる。
「クレールの追っ手か?」
 ラスティはちらりと後ろを振り返る。
「その可能性が高いです。ラスティを見て目の色を変えましたし、その剣を追ってきたとしか思えません」
 あの少年は真っ直ぐラスティを見ていた。それは彼がアリシエウスの民の特徴を持つからだろう。持ち去られたアリシアの剣を誰が所持しているか、まず疑うのは金髪ではなく青味を帯びた黒い髪の持ち主だ。
「とにかく、今はひとりしかいません。もっと人の多いところに行って、仲間が来る前に二手に別れれば……」
 この町は様々な人種の人間が多い。人混みに紛れれば、うまいこと撒けると思ったのだが。
「リズ、そいつらだっ!」
 少年の声に顔をあげる。この広い道幅の真ん中に立つひとりの娘が自然と目に入った。身に付けるローブと手に持つ杖から、魔術師と一目でわかる。
 彼女は眼鏡の奥からこちらをじっと睨み付けていた。
「逃がすか!」
 レンたちのと擦れ違いざまに娘は鋭く叫ぶと、まるで棍を扱うかのように杖を振り回した。
 咄嗟に背中に手を回したが、その手は宙を掴んだ。そして思い出す。町中で持ち歩くにはものものしいからと、ハルベルトは宿に置いてきたのだった。
 ラスティが持っていた荷物を落とし、剣――元々持っていたほう――を鞘ごと抜いた。逆手のまま翳して、杖を防ぐ。レンはその脇をすり抜けた。
「甘いっ。ウィルド!」
 娘の声に応えて、長身の男が飛び出してきた。レンは地についた足を踏ん張ってブレーキを掛けると、右へと踵を反した。その先にあるのは小路。路地を目指す。剣で杖を振り払ったラスティがあとをついてきた。
 路地は人通りが更に少ないが、道幅も狭い。それだけに追い抜かれることもなく、囲まれはしないだろうと踏んだが……。
「はい残念、行き止まりぃ」
 他の道から回り込まれたのか、更に少年ともうひとりが立ちはだかる。
 ――いつの間に。
 はじめはひとりだったのに、この短時間で人数を増やし、連携してレンたちを追ってくる。何人もの追っ手がこの町にいるのは不思議ではない。不思議なのは、いつ、どうやって、レンたちの居場所を知り、こうして集まったのか。
 ――ええいっ。
 レンは腰から札を抜いた。魔力を流すだけで、魔法が使える魔道具。これがあれば、魔術理論など知らなくとも魔術を使えるという、素敵な代物。これは使い捨てだが、装飾品タイプのものよりずっと発動までの時間が短いので、重宝している。なにより、安いし。
 レンはその魔道具――〈魔札〉と呼ばれる――に魔力を流した。なんでレンたちの居場所が大勢にわかるのか不思議だが、今は逃げるのが先決。とりあえず、殺傷能力が低い魔術で相手を怯ませようとしたのだが。
 目の前の少年が剣を抜いた。居合い抜きのように剣を振り上げると、レンの札から現れた魔法陣が霧散した。
「なっ……」
 思わず足を止める。
 ――魔法陣を斬った!?
 魔法陣は魔力で描かれる。魔力は物理的手段でどうこうできるものではないので、魔法陣を斬るなんて不可能なはずなのだが……。
 彼は斬った。ただ剣を降り下ろしたのみである。
 呆気にとられている間に、後ろから2人に追い付かれ、レンとラスティは取り囲まれてしまった。
 レンは建物を見上げた。アパートメントで暮らすのが一般的らしいこの町。路地の両脇に聳える建物はどちらも5階建て。ベランダはなく、壁に窓があるのみで、どれも固く閉ざされている。360°何処にも逃げ場がなかった。
 舌打ちをしながら腰のポーチから札を抜く。だが、さっき魔法陣を斬ったあの少年に対抗できるかどうか。他に持つのは、短剣しかない。
「鬼ごっこはもう終わり」
 杖を持っていた娘が言うと同時に、身体が動かなくなった。身動きできないのはもちろん、指先すら動かない。金縛りを体験したらこんな感じだろうか。おそらくなにかの魔術だろうとレンは睨んだ。後ろの娘がなにか掛けたのだ。
「やるねぇ、さすがリズ。魔王様」
「黙れ。次はあんたを縛り上げるよ」
 その間に魔法陣を斬った少年とはじめにレンたちに声を掛けてきた少年に腕を掴まれた。どんな物か気付いたのか、札も取り上げられた。
 金縛りが解ける。だが、逃げることは叶わなかった。少年の体格は普通だが、思いのほかに力が強く、引いても押してもびくともしない。
「さーて、盗んだ物を返して貰おうか」
 レンの腕を掴んだ少年が言う。年の頃は16、7。それとも18か。琥珀の瞳が大きくて幼く見えた。その相手を睨み付ける。
「誰が盗んだですか。盗ろうとしたのはそっちでしょう!」
 琥珀の眼の少年はきょとんとした。彼は自分の背後を振り返り、そのあとレンの背後に眼をやった。そこで首を傾げて、娘に問う。
「……ウィルドは?」
 しれっとした娘の言葉が返ってくる。
「知らん。通りでなんか拾ってた」
「拾っ……?」
 なんだかよくわからないが、逃げ出すチャンスじゃないか。そう思ってラスティに目配せするが、なんと彼まで眉根を寄せてなにかに思いを巡らせている。今度はこっちが呆気にとられる番だった。
「なあ、お前ら」
 琥珀の眼の少年の背後にいた人物が近づいてくる。魔術師の娘と同じ顔。長い黒髪を束ねていなかったら、同一人物と思っていたことだろう。あまりにそっくりだからはじめは女かと思ったが、どうやら違うらしい。骨格は華奢だが男のものだし、声も低い。
 嘘を見破ろうというのか、灰色の瞳でこちらの目を除き込んだ。
「本、何処した?」
「…………本?」
 ――剣じゃなくて?
「本ならここに」
 路地の奥から現れたのは、通りでレンを捕まえようとした長身の男だ。レンたちが捨てた荷物を抱え、片方の手で本を掲げるように持っている。
 フォンたちから貰った魔術書だ。
 本に集まっていた彼らの視線が、ラスティを拘束している金眼の少年に集束した。
「ダガー、どういうこと?」
「いや、どういうことって……」
 彼はあたふたしながら、レンたちと接触したときのことを説明する。
「で、そしたら逃げ出したんだ。そうくりゃ、心当たりがあるんだな、と思って追いかけるだろ?」
 同意を求める金眼の少年を見ながら、話を聞くうちにレンも薄々感づいてきた。
 逃げ出したのは、彼らがアリシアの剣を奪いに来たクレールの人間だと思ったから。だが、彼らが捜していたのは、剣じゃなく本で……。
 ――ようするに、
「お互い、勘違いしていたようですね」
 男の冷静な台詞にレンは脱力し、腕を掴まれたままその場に膝を着いた。



15/124

prev index next