第3章 逃亡者と追跡者


  3.

 夕暮れの交易都市は、喧騒に包まれていた。多くの人間が、町を北と南に二分する大通りを歩いている。夕食の材料を買う婦人。遊びに出たついでにお菓子を買いにきた子ども。仕事終わりに一杯ひっかけようとする男たち。日暮れ前になってようやく町に入った旅人は宿を探し、その前に来た者は珍しさで町を散策している者もいる。
 その流れの中で、足を止める者もまた現れる。道行く人にできるだけ品を買ってもらおうと声を張り上げる商人の言葉に引き止められる者。明るいとも暗いともつかない神秘的な黄昏の光の中で始まる芸に見入るもの。足を止める理由は様々。
 レンの隣を歩いていた彼が、足を止めた理由はなんだろうか。
「なにを吹き込まれたんですか?」
 呼び声に応えて小走りにこちらへと来た青年に尋ねた。本当は訊かずともわかっている。彼らは碌なことを言わない。殊に、レンのことに関しては。
 ラスティ・ユルグナー。賭けで負けたところを助けてくれた恩人。好奇心から忍び込んだ城にいた番犬。友人から預かった剣を狙っているのかもしれないのに、同行を許したお人好し。忌々しい2人に引きとめられ素直に応じたのも、その人の良さ故か。
 なんにせよ、そんな彼はいったいどんな反応をするのか。興味と不安から、黙って答えを待つ。
「お前と一緒にいると死ぬ、と言われた」
 予想外にあっさりと白状したので、レンは驚いた。普通は隠そうとして挙動不審になるものなのに。
 そういう姿を何回か見てきた。サリスバーグを出る前――ラスティに出会う前のことだ。
「……それで?」
「“それで”?」
「信じるんですか?」
 我ながら意地の悪い質問をしているなと思う。だが、訊かずにはいられなかった。
「15年近くディルと一緒にいたんだ。多少面倒な奴の扱い方にも慣れている」
 面倒。
 これは意外な評価だ。今まで扱いづらいとか腹黒いとかなら言われたことはあるが、面倒な奴と言われたことはなかった。
 ――というか、王子さまと同じ扱い……。
 今までは社会の底辺に近い身分だったのに、今すごく出世をした。それがラスティの人間性の評価においてでのみであるとはいえ。
「……僕、そんなに面倒ですかね」
 面倒な部分に心当たりがなかったので、尋ねてみた。
「初対面に近い俺に、好奇心という理由だけで強引に付いてくる奴を面倒な人間と言わずになんと言う」
 それは面倒ではなく迷惑と言わないだろうか、とレンは思う。それとも、彼のように他人に振り回されるのに慣れると、迷惑が面倒になるのだろうか。
「それに、城に盗みに入る問題児でもある」
「……賭けでイカサマする人に言われたくないです」
「俺は自分の金を賭けた勝負であの技術を使ったことはない」
 そうだろう。そんな人間だったら、あの酒場で周囲の人たちにあそこまで慕われるはずがない。そんなことをしたら叩き出されるのは目に見えている。事実、レンを騙したあの憎い男は周りから圧力をかけられ、追い出された。
「それで、その本はなんだったんだ?」
 言われてようやく思い出した。本をぺらぺらと捲ってみる。
 1ページ目は緒言らしい。なにがどうだからどうこうと、およそ3ページに及んでいる。つらつらとつまらないことが述べられているそれは飛ばした。
 その次は目次。さらにその次からようやく本題。
円の中に紋様が描いてある図があり、どうやらその図について解説しているらしかった。図は初心者のレンでも知ってる魔法陣。
「……本当に魔術書ですね」
 専門用語が多くて、すぐに理解するのは難しい。
 本を閉じ、ラスティに渡す。彼も本を広げてページに目を走らせるが、魔術が使えないだけにさっぱりわからないようで、眉根を寄せて首を傾げていた。やはり素人向けの本ではない。
「……妙だな」
「どうした」
「奴らが魔術書を持ってるなんて有り得ないんですよ。本当に、なんでもない物なのか……?」
 魔術なんてまるで興味のない奴らだった。そんな彼らが魔術書を偶然手に入れたからって、いつまでも大事に持っているものだろうか。勿体ないからと、金にならないものをいつまでも持っている奴らではない。高価な物である可能性を考えたが、そのわりにはあっさりと手放した。
 それに、具体的になにかわからないが、この本には違和感を感じる。内容は至って普通の専門書なのだが……。
 なにか押し付けられたような気がしてならない。
「ちょっとすいませーん」
 声を掛けられて、レンの思考が中断させられた。
「道を訊きたいんですけどー」
 ふたりの前に立つのは、レンより少し上くらいの少年だった。黒い短髪に、こんがりと日焼けした肌。額になにやら紋様の入った布を巻いている。暗色の戦闘服のようなものを着ていて、腰に釣った2つのダガーが目立つ。傭兵でもしているのだろうか。とにかく目立つ風体の少年だが、なによりも印象に残るのは、金色の瞳。レンは眼の色に金色があるなんてはじめて知った。
「済まないが、俺たちはこの街に来たばかりなんだ。道案内は他をあたってくれ」
 そう丁寧にラスティは返すが、少年は立ち去らない。それどころか、レンたちに立ちはだかった。
「あの……?」
 不審に思って声をかけると、ラスティをじっと見る少年の目の色が変わった。瞳に宿るのは、怒りと、それから小さな喜び。きらきらとした金色は炎のように揺らめいている。
「ようやく見つけた。どれだけ捜したと思ってるんだ」
 レンたちは身構える。面識はない。敵意を向けられていた。ようやく見つけた、と言っているということは――。
「もう逃げられやしないからな。覚悟しろよ!」
 間違いない。追っ手だ。
「ラスティ!」
 声を掛けると、ラスティも同じことを考えていたらしい。視線が合うと、共に回れ右をして走り出した。
「あ、こら待て!」
 金眼の少年が引き留める。だが、待てと言われて待つ奴はいない。
 ――とにかく、逃げろ。
 正直言って、レンにあの剣を護る義務はないし、義理もない。
 だけど、あの剣はクレールに渡してはならない。



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