終章 これから 2. 森を抜けてきた風が頬を撫でる。故郷を囲む城壁をラスティは名残惜しくも見上げた。 『1人で行くのか』 そんなラスティを見上げて、傍らの狼は言う。人間の頭部など簡単に食いちぎれそうなほどに大きかった紫紺の狼は、今は高さがラスティの腰くらいまでしかなかった。双子に無理矢理指導され、魔術の理論を叩き込まれそうになってうんざりしていたが、今となってはそれ有り難い。 きちんと礼を言っておくべきだったか、と反省し。 「……ああ」 時間を空けてようやく返事をしたのだった。 事の終わりはあまりに呆気なかった。 あの後、特になにが起こることもなく、アリシアはすぐにその場を立ち去った。じゃあ元気でね、とただ一言ラスティに残して。それ以来姿を見ていない。彼女がその後どうするつもりなのかはわからない。1人世界を彷徨い、望んだ死を迎えるのだろうか。 エリウスもまた姿を消した。彼が今後、ただ独りきりの永い人生をどう生きるのか、それこそ神のみぞ知る出来事となる。 ――ただ、破壊神の剣だけがラスティの手元に残された。 『これからは、その剣を求める人が多くなるだろう』 別れ際、その剣を引き取ろうともせず、淡々と神は言った。 『存在の知れなかった剣の存在が公になってしまった。それはもう伝説ではない。きっと誰もが、力を求める。けど、いや、だからなのか、アリシアはやっぱり責任を放棄してしまったようだね』 そして彼は、とんでもない呪縛をラスティに残していった。 『だからそれは、アリシエウスの王家から託された君の物だ』 喜べるはずもなかった。しかし、いらないと捨ててしまうほど、ラスティは単純でもなかった。 この剣の存在は世界を左右する。所有者次第で世界を活かすし殺しもする。誰の手にも渡って良いものではない。もちろん、ラスティ自身にもそれは当てはまるはず。 それなのに、彼は持っていろという。 『今では少し悪いことをしたと思ってる。けれど、僕にはそれをどうすることもできないから、それは君に任せるよ』 どうすることもできないのではなく、どうにかする気がないだけではないのか。反論しても彼は否定する。そして、慰めにもならない励ましの言葉を置いて、何処かへと消えた。 お前こそ無責任だ、と腹を立てる気力もなかった。 それから、ユーディアやグラムたちが停戦に奔走する間、この剣をどうするかを考えていた。このときはまだ仲間たちに相談もしていた。さすがに持って帰ってきた剣を隠すことはできなかったから。 考えを聞き、熟考し、ときに頼ってくれと言われ、そうしてラスティの下した決断が、アリシエウスを離れることだ。剣を巡る争いが、再びミルンデネスに戦乱を呼ぶというのなら、隠してしまうのが一番だと考えた。どこにあるのかわからなければ、たくさんの追手があっても、少なくとも国家単位の争いにはなるまい。 母は涙ぐんでいた。父はなにを考えていたのかはわからないが、惜しんでくれていたようにも見えた。妹には追い縋られた。 あれだけ気にかけてくれた仲間たちにはなにも言わなかった。言えばきっと、あれこれ気を回してくれる。それは嬉しいことなのだが、またしてもこの剣のことに巻き込んでしまうと考えると、頼ることはできなかった。彼らには彼らの生活があるからそれを壊すようなことはしたくない。 そう言えばきっと叱られるとわかっているからこそ。 『難儀なものだな』 ぼそりと狼が呟く。全くだ、とラスティも思う。思いも望みもままならない。こんな剣1本すら持て余す。これが運命だというのなら、本当に厄介なものだと思う。 城門に背を向ける。しばらくこの森ともお別れだ。 はじめは仕方なく故郷を出た。逃避行であるはずの旅はつつがなく楽しみさえしたが、結局アリシエウスを守るために来た道を戻った。帰ってきた故郷は戦乱で荒れてしまい、これからは復興しなければならないだろう。 ――出ていきたいわけがない。ここには家族もいる。友人もいる。使えた主の墓もある。この先どうなるかわからないのだから、できれば自分の手でアリシエウスを守りたかった。 けれど、それは叶わない。ここに留まれば、ラスティ自身が災厄と化す。だから、今は出ていく。 ――でも。 「時間が経てば、いつかは帰れるだろう」 破壊神の剣の存在が記憶から薄れるか、アリシエウスに存在しないと広まるか、自分がこの剣をどうにかすれば、きっと。 希望を持たなければ進むことができない。いつか帰れる。これからはなにも起きない。神の居なくなったミルンデネスはきっとこれまでのように動いていく。そう信じて。 『我も付き合おう。汝の力が尽きるまで』 忠実な僕のようなことを言う狼に、ラスティは笑みを浮かべた。 1人でないというのは心強いものだ。 [小説TOP] |