終章 これから


  1.

「交渉、なんとかうまく纏まりました。こちらの申し出を、あちらは受け入れてくれた」
 ユルグナー家の食堂に入ってきたユーディアは、開口一番そう言った。この場にいた全員に安堵の表情が浮かぶ。
「そりゃあ、よかった」
 グラムの返事に、彼女は口元を綻ばせる。
 責任者であったクラウスを捕縛したユーディアは、彼の補佐をしていたこともあってクラウスの代わりを務めることとなった。任に着くや否や、彼女はリヴィアデール側とただちに交渉し、休戦を申し入れたのである。
 交渉に応じたのは、エリオットだった。彼の地位は結構高かったようで、いまは乱心したクレマンスの代わりにグラムたちのいたリヴィアデール軍勢の指揮をしている。もちろんグラムたちも助力した。それが上手くいったのだという。よかったよかった、と口にして菓子を頬張る。このまま終戦に向かってくれればいい。
 さて、何故グラムたちがラスティの家に邪魔しているのかというと、きっかけは先の戦闘で消耗し倒れたリズを迎えに来たからである。なんとか落ち着いた頃、アーヴェントが知らせに来てくれたのだ。で、行ってみればリズが魔力枯渇で倒れたことを聞いたり、そこにウィルドが居たりと、いろいろと驚かされた。
 そしてそのままラスティの家に留まった。リズが本調子でないのと、ラスティの友人であるグラムたちをこの家の者が歓迎してくれたということで。カーターに相談したら、せっかくだから、と言われた。そうでなければ野宿なのだから、とご厚意に甘えている。
「だけど、大変なのはこれからじゃないの? 特にあんたは」
 戦いが終わって、グラムたちはこの場を離れる。特にこれといった理由がない限り戦に関与する気はない。だが、ユーディアは違う。彼女はこれから、このなぜ起こったか理解できない戦争を終わらせるために、奔走するのだ。彼女自身がそう決めた。
 説得しなければならない人間は多い。そして、説得するのも容易ではない。誰かが止めようと言って止めようとするならば、そもそもこういったことは起こらない。それを止めようとするのだから、彼女は凄い。グラムなど、さっさと帰ろうとしているのに。
「そうだね。でも、戦争を終わらせるのはそれほど難しくないと思う。政府も、もうそれほど乗り気じゃないみたいだし」
「ミルンデネスのほとんどを敵に回したようなもんだからね。そりゃあ、怖じ気づいたりもするって」
 小国3国を取り込んだからといって、まだミルンデネスの3分の2を相手にするのだ。クレールが軍事国だが、リヴィアデールは魔術が発達しているし、国力が弱いサリスバーグは作る道具の性能が2国のものを越える。容易に勝てる相手ではない。
「そうね」
 ユーディアは言葉を切って椅子に座ると、姿勢を正してグラムたちに向き直った。
「……改めて、クラウスが迷惑をかけて、ごめんなさい。手記のことも、キースのことも」
 ユーディアの謝罪にリズが首を横に振る。手記を燃やしたのは彼女の判断だし、キースのことはみすみす野放しにしていたこちらの落ち度。どちらもクレール陣営に深く関わっていたのは、不幸な偶然だ。
「そういえば、そいつはどうなるんだ?」
 リグは問いかける。
「中央に護送されて、裁判にかけられると思う。……きっと、重い罰を受ける」
 ユーディアの声が沈んでいく。彼女は友人が道を踏み外すのを間近で見ていて、それに耐えられなかったから、彼を裏切る形をとってしまった。そのときの心境はどんなものか。
 想像するのは難くない。グラムも何度か経験済みだ。手に掛けたあと、他に道はなかったのか、と何度も自らに問いかけた。
「みんなは、これからどうするの?」
 暗い話題を吹き飛ばすかのように、ユーディアはことさら明るい声を出した。
「おれたちは、シャナイゼに帰るよ」
 手記は無くなった。ウィルドも返ってきた。戦争のほうもなんとかなりそう。だとしたら、もうここにいる理由はない。ミルンデネス中を見て回りたいような気もするが、グラムたちは〈木の塔〉の一員。遊び呆けているわけにもいかない。
「あ〜あ、また沙漠越えかぁ」
 リズは勢いよく背もたれにもたれると、両腕をおもいきり上に伸ばして、大きく息を吐いた。仕方ないとわかっていても嫌そうだ。グラムもあまり沙漠は好きじゃない。暑いし、寒いし。
 だが、それでも早く帰りたいと思う。巨大な木の陰に造られた街の情景を思い出すと、温かいような和やかな感慨が押し寄せてくる。
 それに。
「レンくんは?」
「僕もシャナイゼに行きます」
 そう、レンがシャナイゼに来るのだ。
「故郷には帰れませんし、魔術でも学ぼうかと。まだ、向こうでどうやって暮らすかは見当が付きませんけど」
 レンはまだ14歳。〈木の塔〉に入れるのは16からだから、1年以上の時間がある。その間どのように過ごしてくのか、まだ決まっていない。だが、彼は世渡り上手だし、最悪リグとリズも仲の悪い祖父を利用してレンが健全に暮らしていけるようなところを探すらしいから、なんとかなるのではないだろうか。もちろん、グラムも協力を惜しむつもりはない。
「俺は訊いてくれないの、嬢ちゃん」
 アーヴェントは身を乗り出して、ユーディアに尋ねる。事情は知っていたが、やっぱりなんでこいつはここに居るんだ、と思ってしまう。
 ユーディアは戸惑った表情を作って身を引くと、視線を彷徨わせた。リグの憮然とした突っ込みが入る。
「訊くまでもねぇだろ」
「ひでぇな」
 拗ねて頬をふくらませ、ユーディア以外から失笑を買った。
「……私の扱いはどうなっているのでしょう?」
 黙ってシャナイゼを去ったウィルドは、〈木の塔〉に戻りたいようだった。
「ああ、それなら、籍抜いといた」
「…………」
 さらっと答えたリグに目を向け、ウィルドはなんとも微妙な表情を浮かべる。彼はシャナイゼの街を出ていくとき〈木の塔〉を辞職しなかった。戻れたときの可能性などを考えたわけではないだろうが……今は余計なことをしやがって、とその内で思っていることだろう。が、身勝手なことをしたのは自分であるために、責めることができないといったところか。
「うそうそ。失踪者扱いになってる」
 笑顔で手を振って否定したリズに、彼は溜め息を吐いた。
「安堵していいのか、嘆いたほうがいいのかわかりません」
「ま、そこは自業自得だな」
 ざまあみろ、とリグが言って、周囲が笑う。冗談めかしているがそこに含まれている過分な毒は、皆見ないふりをした。
 あのとき――ウィルドたちが神ではなくなったとき、なにが起こったのかグラムたちは知らない。ただ、あのとき一緒にいたレティアがアリシアの仕業ではないかと言っていた。彼女はもう、神でいることに疲れているようだったと。だが、本人の口から聞いていないため、真実はわからない。レティアもあのあとすぐに、何処かへ去ってしまった。
 はじめは気になっていたが、次第にグラムはどうでもよくなった。神がいなくなったところで、日常に支障はない。むしろ、神に踊らされることもなくなって、清々したくらいだ。
「ユーディアは、これからどうするんです?」
 もちろん、戦争を止めさせるために奔走するのだろう。レンが訊いたのは、その後のこと。
「私は、とりあえず出世が決まったの」
 ユーディアは神殿騎士。政治とは関わりのないように思えるが、クレールでは、国と神殿はかなり密接な関係にあるらしい。国が欲しいといえば、神殿はそれを差し出す。ユーディアもそのようにして出世をした。
 出世の理由は、クラウス・ディベルの暴走を食い止めたこと。彼の言葉に踊らされる形となったクレールは、それを食い止めた彼女に対して恩赦を与えることとなった。ユーディアは図らずも友人を差し出すことで、功績と地位を手に入れたのだ。
「本当は、ちょっと複雑なんだけど……。でも、このことを利用して、ここを貰い受けようと思って」
「アリシエウスに?」
 ユーディアは頷いた。そんなことができるのかといろいろ疑問だったが、とりあえず彼女の話を聞く。
「アリシエウスの王族がいない今、ここはクレールの一地域になってしまって、これはどうしようもない」
 ユーディアの表情が一瞬曇る。だが、彼女はすぐに顔を上げると、その瞳に強い意思の光を灯して言った。
「けれども、そうなると衝突は避けられないでしょう。それをできるだけ緩和して、アリシエウスの人たちのためになにかできたらって思ったの。それが今までなにもしてこなかった私の償い」
 ユーディアは責任感が強い。いささか強すぎるのではないかというくらいに。それだけ友を止めることができなかったことを負っている。無理もない、と思うが、ここにいる全員が彼女を心配している。いつか、背負ったもので潰れてしまうのではないかと。
 だが、彼女は笑う。
「そのためだったら、どんなことだって利用してやります。せっかく手に入れた権力だもの、有効に活用しないとね」
 案外大丈夫かもしれない、とグラムは思った。いろいろあってもたくましくやっていくだろう。



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