第27章 神意


  4.

「ふざけるな! お前がそう仕向けただけだろう!」
 なにが運命。アリシエウスがクレールに襲撃されたのも、フェンリルと契約したのも、もとはといえばエリウスの意を汲んでクラウスがしたことだ。責任の所在はともかく、すべて彼が原因だ。止めようと思えばできたのにそうしなかったのは、事態を引っ掻き回して面白がっているだけではないのか。
 神だかなんだか知らないが、人の生活を壊して、その上しらを切るのか。
「世界の為だよ。そうしないとこの世界はもっと歪む」
「自分の為だろう! お前の言い分は、思い通りにいかない子供の駄々となにが違う」
 アリシアが言うことを聞かなかったから、代わりの人間が欲しい、だなんて、それこそただの我が儘だ。
「もしかしたらもっといい世の中が来ていたかもしれないのに?」
 それは確かに思わなくもなかった。けれど、
「今を生きる俺たちには関係がない」
 過去に正しくなかった事はたくさんあるかもしれない。その先にある現在には、理不尽もたくさんある。アリシアが――破壊神が居れば、魔物のような哀れな生き物がいない世界だったかもしれない。レンがあんな形で姉を亡くすこともなかっただろう。ハイアンやディレイスも死なず、アスティードのことも知らず、ラスティが望んでいたように一生を騎士として過ごしていたかもしれない。
 だが、自分たちはその理不尽な世界で生きてきた。それ以外の世界を知らない。そして、これからも理不尽の中で生きていける。もしものことを考えても虚しいだけで、生きていくほかないのだ。
 これでもし、エリウスが時間を巻き戻せるというのなら縋りもするが、様子からしてできないか、できてもする気もないかのどちらかだ。
 ならば、初めから変な希望など持たない方がいい。エリウスのしたことは、すべて“余計なお世話”だ。
 だが、創造神にはその発想はないのだろう。ラスティの言葉にしきりに首を傾げていた。アリシアはそうでもないらしく、不思議そうな顔をするエリウスに冷めた目を向けている。
 ――これが“神”か。
 すっかり醒めてしまった自分がいる。神話にあったような慈悲深い存在とも違う。グラムたちから聞いて想像した人間臭い存在とも違う。この世界で最も理不尽な存在。それが彼だ。
 クラウスは早いうちからそれを悟ったのかもしれない。だから、従った。
 虚脱がラスティを襲う。――たぶん、もうなにを言っても無駄だ。そう思うと、つい口を突いて出てしまった。
「それで、俺はなにをすればいい」
「ちょっと!?」
 アリシアが気色ばむ。一方でエリウスは気色を浮かべた。
「聞いてくれるの?」
「……聞くだけな」
 そうだなぁ、とエリウスは考え込む。
 創造神はなんの破壊を望むのか。1000年前のように世界を壊せということはないだろう。本人はまだ楽しんでいるようだった。ならば、魔物だろうか。あれは彼が望んでできたものではない。魔物がいなくなれば、確かにミルンデネスは平和になるだろう。合成獣の問題にも頭を抱えなくて済むかもしれない。……ああ、でもそうしたらアーヴェントたちはどうなるのか。それとも、もっと別の願いだろうか。
 願いを聞いて、どうなるだろう。
「なにを馬鹿なことを考えているのよ!」
 声を張り上げるアリシアに目を向ける。大切な人を喪い、世界に絶望した破壊神。だが、本当に彼女がすべてを失ったのは世界を破壊した後だろう。アリシエウスの墓場であった彼女が目に浮かぶ。あのときの彼女には、信頼していたという初代のアリシエウス王を喪った悲しみと――後悔があった。おそらく、大切なものが残っていることに気付かなかった後悔。もし破壊神にならなかったら、彼女の手の中にはまだそれが残っていたのかもしれない。
 彼の要求を受け入れたら、ラスティもこうなるのだろうか。なるだろう。なにせラスティは、どういう形になるのかは知らないが、アリシアに代わろうとしている。
 このままエリウスの思い通りになって、アリシアと同じようにすべてを失って、なにも見いだせぬままふらふらと世界を彷徨うのか。
 ――違う。
 親友の犠牲を知ってもなお、なぜ自分はここに居るのか。なんのためにあの時この剣を抜いたのか。……残っている大切なものがあるからだ。
 縋るように剣を握る。そこで一つの可能性に気付いた。
「――悪いが」
 ラスティは剣を抜くと、エリウスに歩み寄る。柄を両手で握り締めた。
「やはりどんな頼みも聞けそうにない」
 そして、アスティードを少年に振り下ろした。
 この剣は、破壊の剣。一振りで世界を破壊するほどの力を秘めた剣。
 世界を破壊することができるのなら、神は――?

 可能性への期待と突然の思い付きから来た興奮は、手のひらを伝わる衝撃とともに消えていった。

 ラスティは自らの両手を見つめる。エリウスの身体を引き裂くはずだった剣は、一体なにが起こったのか宙へとはじけ飛んだのだ。あたりを見回して、ようやく遠く離れたところの地面に突き刺さっているのを見つけた。
 神であろうとも、外傷を加えることはできる。ラスティはそう聞いていた。ただ、傷の治りが早く、歳を取ることも死ぬこともないのだと。だが、ラスティの剣はエリウスに届かなかった。魔法を使った様子もない。
「すごいな」
 愕然とするラスティを他所に、創造神はいつもの調子で、その見た目の年齢と同じくらいの子どもとさして変わらぬ様子で言葉を紡いだ。
「正直驚いたよ。今までアリシアも、オルフェも、あの魔族やグラムたちも、僕のことを恨んでいたけれど、殺そうとしたのは君が初めてだよ。だけど」
 無邪気さを失わぬ声。何処か怖いものを感じ、背筋が凍りついた。
「忘れてるよ。この剣は僕が持ってきたものだということを。それがどんな意味を持つか、君ならわかるでしょ」
 目の前にしているのは、子どもだというのに、ラスティは後ずさりし始めた。今感じているのは、まごうことなき、恐怖――。
「僕は創造神。この剣も、この世界も、歴史も、みんな僕が創った。そして僕は、自らが創ったものに壊されることは絶対にない。たとえ、それが全てを破壊する剣だとしても」



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