第27章 神意


  3.

 はじめから確証を持って動いた訳ではない。しかし、こちらにいる気がした。予感のようなものか。一刻も早く見つけ出したい一心で、ラスティは森の中をひたすらに駆けた。慣れ親しんだ故郷の森だ、彼を妨げるものはなにもない。
 ……そう、戦闘すらなかった。この森には、大勢の敵味方が入り乱れているはずだというのに、人の影が見当たらない。
 気にはなったが、殺し合いを見ずに済んだのはほっとした。
 辿り着いたのは森の中で開けた場所。そこはちょっとした崖になっていて、端に立ってみれば森の上に浮いたような奇妙な気分を味わえる。
 その崖の出っ張りに、少年神は立っていた。
「やあ」
 気安く挨拶するエリウス。だが、会うのは2回目なのだから、気安い間柄であるわけがない。それどころか、ラスティにとっては仇同然である。
 アリシエウスの民と、ラスティの平穏だった日常の仇。
「使い道は、決まった?」
 剥き出しの敵意をものともせず、少年神は問いかけた。
 初めての邂逅。前に〈木の塔〉の展望台であったときにも彼はラスティにそう問うた。そのときは言葉の意味を飲み込めずにいたが。
「さあな。あんたの返答次第だ」
 本当はアスティードをなにかに使う気などまったくない。せいぜい、自分の剣の代わりに使うのみだ。だが、エリウスの答えや反応次第では、振り回すのもやぶさかではない。
「いいよ。なんでも聞いて?」
 無邪気に笑うのがとても憎らしい。糞餓鬼、と皆が口をそろえて言うのもわかる気がした。悪気のない様子。すべて自分の思い通りになるというその自信。見た目は子ども、やることも子ども、そのくせ性質の悪さは一級を越えて特級品。可愛げなどまったく存在せず、憎たらしいだけの存在だ。
「あんたは、なんのためにこんなことをはじめた?」
 世界の混乱など真に望む者はいない。特にこのエリウスは世界を創った立場だ。この騒動の理由がきっとあるはずだとラスティは踏んでいる。それが理解しがたいものだとはわかっている。それでも、まず話を聞いてみようと決めた。
 ――奴をどうするにしても、それからだ。
「その話、私も聞かせてもらえる?」
 森の奥から出てきたのは、久しく見なかった女。ある意味でもう1人の元凶。
「……フラウ」
 またの名をアリシア。破壊神の彼女の諦観した表情は相変わらずだ。
 彼女が剣を持ち続けていれば、あるいはこうなることを見越して行動していれば、こんなことにはならなかった。直接手を下していないにしても、原因は彼女にある。
 それでもエリウスほどの怒りを感じないのは、単に仲間意識だろうとラスティは思う。アリシエウスを出てから戻ってくるまで、彼女に助けられたのもまた事実だ。ラスティの境遇を憂いている様子もあった。
「興味あるの?」
 意外、とばかりにエリウスは目を剥く。
「あるわ。ずっとあなたがどんな馬鹿なこと考えているのか知りたかったの」
 辛辣な物言いに、エリウスは溜め息を吐いて苦笑した。
 森は静かで、風ひとつない。少年の声変わりする前の高い声がこの場を支配した。
「僕はね、その剣を扱える人が欲しかったんだ。早い話が、破壊神の代行者だ。
 この世界は、神が4人揃って初めて正常に機能する」
 希望の光神。裁定の闇神。彼らが齎すのは導きと安定。善と悪の判断基準。人の日常を見守る監督者。世界を揺るがす有事の際、レティアは勇猛な者の前に現れ、助言をする。人々はそれを神の加護とみなし、人物を英雄――正義、すなわち善――として認識する。オルフェは罪人に裁きを下す。人々はそれによって罪に恐怖し、悪を知る。
 創造神は執筆者。舞台を創り、ものを創り、彼らがこの世にある存在理由となる。破壊神は修正者。間違った在り方をするものを取り除き、世界を在るべき姿に戻す。
「この世界には、その修正者が欠けていたんだ」
 そう執筆者は語る。レティアもオルフェもエリウスの言う通りに動いていた。しかし、アリシアはそうではない。姿を眩まし、見つければすぐに立ち去った。
 そのまま1000年の時が過ぎる。
「僕だって万能じゃない。創ったものが手の届かないところまで行くことだってある。修正が必要な場面はいくつもあった。200年前の合成獣や魔物がその例だ。彼らの存在は明らかに間違いなのに、作った人間が裁かれただけで否定するものが誰もいない。その結果が今のミルンデネスだ」
 確かに魔物の出現によって、ミルンデネスは大きく変わった。それまで、人間の脅威は人間だった。歴史を紐解けば、戦争などいくらでもある。そこに魔物が加わったのが現在。むしろ、人よりも魔物からの被害が多いくらいだ。発祥の地であるシャナイゼは人間同士で争う余裕がないほどであるし、あちらほど慣れてない沙漠の西側は魔物が街道に姿を見せただけで一大事だ。
 破壊神がいれば、また違ったというのだろうか。
「僕は何度も説得したよね。それなのに責任を放棄して……その結果がこれだ。君は自分の行いの所為で、数少ない執着するものを壊してしまったんだよ」
 視線をアリシアに向けてみれば、彼女は静かに怒っていた。目が据わり、肩が震えている。
「なにが責任よ。ようは貴方の尻拭いじゃない。それができなくて困っているという話でしょ」
「多神教ってそういうものじゃない?」
 誰の責任だろうがなんだろうがどうでもいい、とラスティは思った。神話には興味がない。それを察したかのようにエリウスはラスティに向き直り、肩を竦めた。仕方ないのはアリシアのほうだと言わんばかりに。
「アリシアが1000年もこんな調子だったからね。彼女の説得は諦めて、代理を立ててしまおうと考えたんだ。幸いにして、破壊神の力はアスティードさえあればなんとかなって、その剣は持ち主の手から離れている。ならば、誰かにその剣を持たせてしまえばいい」
 持たせて、振らせて、あとには退けなくしてしまえばいい。人は弱い者で、一度してしまえばその行為に慣れてしまう。
「……それが、俺か」
 持たせられて、振るってしまった。既に剣の力を使うことも躊躇いがない。クラウスとの戦いでは、その力のお陰で張り合えていたようなものだ。
 まんまと掌の上で踊らされている。
「本当はクラウスにやらせるつもりだった。僕を見ても本気で慕ってくれる彼がその立場についてくれれば都合がいいと思っていたんだ。それをあらかじめ察知されて、アリシエウス王家が君に剣を託したのは想定外だったけど……」
 どうだか、と内心独り言ちる。その割には隠蔽の仕方がいい加減だった。あまりに簡単に民の間に噂が流れ、警戒させるほどにあからさまな動きを見せた。
 その想定外を楽しんでいたのではないか、と疑っている。
「まあ、でも結果的に良かったわけだ。君はその剣を使いこなし、異世界の狼まで手懐けた。まさに運命としか言いようがない」
 今度は、ラスティが怒りに震える番だった。



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