第2章 現に在りし神の遺物 5. 「あの鴉……、さっきの鴉ですかね?」 「そうなんじゃないか?」 「人に馴れてる?」 「ように見えるな」 ラスティたちは今、茂みの中から街道の様子を窺っていた。アリシエウスとリヴィアデールの国境。そこにクレールの兵が2人とうせんぼをするように立っている。クレールの領土はリヴィアデールと反対側の西側。アリシエウスから出ようとする人間を見張っているのだ。目的は、ラスティの持つ“アリシアの剣”と見て違いない。 その近くの木に、鳥が3羽ほど留っていた。兵士のひとりが持つ灯りに、黒い身体が闇の中から浮かぶ。レンの言う鴉――〈闇鴉〉だ。<闇鴉>は兵士たちを襲うことなく、木の上で羽根を繕っていた。 「さっきもあの鴉は俺たちの居場所を報せるかのように飛んでいた。軍事利用のために飼ってるのかもしれない」 「あれを? 魔物ですよ?」 信じられない、とレンは顔を歪めた。 「魔物だって動物だろう。なにかしら方法はあるはずだ」 犬や馬などの家畜は言うまでもない。旅芸人には人に懐かないような猛獣を操る者がいる。それに引き続いて、魔物を飼うようなことがあっても不思議ではない。 「そりゃ、あるでしょうよ。信じられないのは、魔物を飼おうという、その神経です!」 憤慨したように物を言う少年の様子に、ラスティは呆気にとられた。先程まで飄々としていた彼が、ここまで感情を剥き出しにしている。 そこまでの変化に、ラスティはピンと来るものがあった。 「……もしかして、魔物が嫌いなのか?」 ラスティとて好きではないが。普通は魔物を怖れるだけ。だが、彼の言葉には怖れよりも怒りや憎しみのほうが強く感じられたのだ。 「大っ嫌いです!」 力んでレンは言う。もちろん、敵に聞こえないよう小声でだ。 「のうのうとこの世界を我が物顔で歩き回り、ひとの生活をぶち壊す。本来なら存在すらしなかったはずのくせに、何様だってんですよ!」 魔物の存在が確認されたのは比較的最近で、確かラスティの記憶によれば、200から300年くらい前の話だ。旧世界には当然いなかった。存在すらしなかったはず、というのはそのことを言っているだろうか。 それにしても、魔物相手とはいえ、随分な物言いである。 ――そういえば、魔物と普通の動物の違いはなんなんだろうか。 今までは、魔物と教えられたものだけを分類していた。だが、はっきりとした魔物の定義は教わっていない。人間は生き物を哺乳類だ、両生類だ、果ては何目何科何属と、こと細かく分類しているのだ。まさか魔物の定義が大雑把なわけがない。 「とにかく、行きましょう。……追手が来ないうちに、ね」 捲し立てて気が済んだらしく冷静になったレンに声を掛けられ、ラスティは我に返った。 茂みに隠れながら街道から北に逸れて、弓なりに進路を取る。遠回りになるが、斥候役の魔物がいる以上、押し通るのは得策ではない。兵士の持つ灯りを目印にして、森の中をそっと進んだ。兵士たちは茂みに潜む彼らに気付く様子はなく、鴉が飛んでくる気配もなかったので、なんとか遣り過ごせそうだ。 ……と思った矢先だった。 「そっちに行かないほうがいいわよ」 暗がりの中から突然女の声がして、ラスティとレンはとび跳ねた。声は出さない。寧ろ、驚き過ぎて出なかった。声のしたほうを向いて、剣の柄に手をかける。レンも背中のハルベルトに手を伸ばした。 「警戒するのも無理ないけれど、抜かないほうがいい。光が刃に反射して、気付かれる可能性がある」 木陰から現れたのは、腰までの金色の長い髪を持つ女である。ラスティよりも5つほど上だろうか。笑みを浮かべ、木の幹に手を沿えて立っていた。森に溶け込む淡い緑の服に、貴族のような綺麗な顔立ち。まるでおとぎ話にあるエルフを連想させられるが、革製の胸当てや背中のバスタードといった武骨な道具が目立ち、いささかその容姿とアンバランスだ。 旅の戦士か。クレールの人間ではなさそうだが。どちらにしても、敵でないことを祈った。穏便に済ませたいということもあるが、女の細腕でバスタードだ。それに、あの発言。おそらく手練だろう。 「どちらさまです?」 彼女の忠告に従ってレンはハルベルトの柄から手を離し、身を抱くように腕を組んだ。彼の武器には非反射処理を施してあるので、彼女の言葉を聞き入れる必要はないのだが、従うということは話を聞く気があるということか。 「ただの通りすがりよ。アリシエウスから出ようとして、あれを見つけて隠れていたの」 あれ、と言うのはクレール兵のことだ。彼らはラスティたちに気づくことなく、見張りだというのに暢気に会話をしている。鴉のほうも、夜だからか木の上に留ったままだ。 「行かないほうがいいというのはどういうことだ?」 尋ねると、女はラスティたちがまさに向かおうとしていた方向を指差した。 「この先をもう少し行ったところに、狗型の魔物がいた。おそらく彼らが飼っているもの。迂闊に行くと気付かれるわね」 先に進めずに困っていたところに、ラスティたちが来たのだと言う。 「どうします?」 レンはラスティを見上げた。 「迂回するしかないだろうな」 ラスティは頭の中で森の地図を広げた。魔物狩りでよく森の中を歩き回ったため、それなりに詳しい。記憶の中から迂回路を捜す。本当か嘘かは判断できないが、このまま彼女の言葉を無視して進むのはリスクが高い。ならば、他所者が知らないような道を通るまでだ。 「確か、もう少し北のほうに獣道があったはずだ。大きな肉食獣の使っていたものの可能性があるが……」 記憶にある道は、鹿などの細身の動物が通ったにしては幅が結構広かった。だとすれば、熊の使っていた道か。もし出くわしたりしたら、とんでもないことになる。 だが、少年は怯えた様子もなく肩をすくめた。 「仕方ないですよ。人間に見つかるよりは、多少危険な生き物がいるほうがマシです」 夜だから方向を見失い易いが、ラスティの記憶によれば獣道は東に伸びていたし、そう迷うこともあるまい。 問題は、森を出たあとだ。ラスティはほとんどアリシエウスの領土を出たことがない。レンは旅をしているが、サリスバーグから来たと言っているし、リヴィアデールの土地に慣れていない可能性がある。街道を大きく外れて、果たして無事に目的地へ辿り着けるだろうか。 「この辺りに詳しいのね。よかったら、私も同行してもいいかしら」 ラスティとレンは目配せをしあった。 「どう思います?」 レンは耳元でラスティに尋ねる。クレールの手の者かどうかを疑っているのだ。ラスティは判断がつかず、首を横に振った。このタイミングだ。偶然とも言い切れないし、神剣を追ってきたことも否定できない。 彼女は男同士の内緒話を見咎めたらしい。 「疑っているの? でも、私が呼び止めなかったら貴方たち、見つかっていたと思うのだけど」 ラスティとレンは気まずくなって互いの身を離した。確かに、彼女の情報が本当なら、今頃ラスティたちは彼らに見つかっていただろう。そこは感謝こそすれ、疑いの目を向けるところではないはずだ。 「それに、リヴィアデールの地理にも詳しいわよ。なんだったら、森を出てからは道案内をしてあげてもいい」 ラスティは眼を見開く。これは思わぬ申し出だった。 「……仕方ない、か」 彼女の素性がわからないことで不安はあるが、それは隣にいる少年も一緒。ひとりがふたりになったところで、そう変化はないだろう、と腹を括った。それよりも道案内してくれるというほうが大きい。 しかし、そのレンはというと、え、と変な声をあげた。 「ちょっと、得体が知れないというのに、一緒に行く気ですか? もしかしたら、剣を狙ってきたのかもしれないのに!」 「それはお前も同じだろう」 ぐっ、と少年は言葉に詰まった。言い返そうとして視線を彷徨わせるが、結局言葉が見つからなかったらしい。 「…………この、お人好し」 上目遣いで睨むように吐いた。なんとでも言え、とラスティは彼の言葉には耳を貸さず、彼女の申し出を受けることにした。 [小説TOP] |