第26章 紫紺の狼 3. 「どうやら、正解だったようだな」 狼を追ってクラウスの行ったほうを目指し、森の中を行くことしばし。ようやく戦場のただなかに辿りついたユーディアたちは、混乱する兵士たちの姿を見た。レティアの言う正解――ここにあの狼がいるのだ。 「さすが子どもの考えること、随分と読みやすい。その代わり、面倒で迷惑なことばかりだがな」 「そんなことを言っている場合か。行くぞ」 笑顔で皮肉るレティアを睨みつけ非難すると、ラスティは騒ぎのする方へ駆けていった。その背を見送りながら、レティアはふっと笑う。 「怖れを知らぬことだな」 彼は今、神相手に叱責し、命令したのだ。確かに怖れを知らない行為。だが、ラスティはおそらく彼女を神として見ていない。ユーディアもまた同様。等身大の彼女たちを見て、普通の人間とは違うと感じつつも、何処か妙な気安さを感じてしまうのだ。 レティアもまた先を行く。ユーディアもあとに続こうとして、ふと横に目を逸らした。 クラウスがいる。 兵を率いていったのだ。彼が戦場にいるのは当然。だが、今ここでユーディアたちの前に姿を現したことに、違和感を感じる。実際、ユーディアを見ていた。まるで、ユーディアを待ち伏せていたかのようだ。 クラウスが笑う。親しい者に見せる、ユーディアの見慣れた笑み。そこに、少し諦めのようなものを滲ませて、笑っている。 ――今なら、真意を問いただせるかもしれない。 騒ぎの中心に目を戻す。ラスティもレティアも先に行ってしまっている。ユーディアがついてきていないことに気付いていない。 2人で大丈夫だろうか。……大丈夫だろう。ラスティはアリシアの剣を持っている。一緒にいるレティアは神だ。自分たちが想像を抱くような超人的な力はないだろうが、戦場にいたという彼女が強いことに変わりはない。 どちらに行くべきか悩み悩んで、ユーディアはクラウスを捕まえることにした。 ※ 刀身を噛まれた剣を押し返す。しかし、相手の身体が大きいだけあって、なかなか動かない。むしろこちらが押されていた。踏み留まるか、後方へ流してしまおうか悩んでいると、レティアが狼の胴体を跳び蹴った。身体がよろめき口が開かれた隙に後ろへ数歩下がる。 「またいいタイミングで来やがったなチクショー、このイケメンっ!」 間合いを図っていると、背後で全くもって場違いとしか思えない台詞をグラムが吐くので、脱力しそうになった。緊張感がない。危機に瀕していたとも思えない。呆れながらラスティは振り向く。 「それは褒めてるのか? 責めてるのか?」 「褒めてる」 今の今まで苦戦していたグラムは、そうとは感じさせないほどけろりとしていた。本当に緊張感がない。 「んでも、やっぱ油断しすぎだよお前。甘いって」 その意味を問おうとすると、グラムは消えた。正確には、素早い動きでラスティの前に回った。甲高い犬――否、狼の悲鳴。口許から右目の下にかけて切り傷があった。ラスティに襲いかかろうとしたところを、グラムがやったのだ。 油断するな、とにまりと吊り上がった口が動く。戦いの最中に気を散らすな、と恫喝されたのは、昔のようで実はさっきの事。確かに自分はまだ甘い。 「リズは?」 狼の後方にいたリグがラスティの隣に並び、目でグラムと狼を追い掛けたまま短く尋ねる。 「魔術で捕えられて動けなくなったから、ウィルドに任せてきた」 「はぁっ!?」 素っ頓狂な声を上げたと思った次の瞬間、真剣だったリグの表情が鬼の形相に変わる。状況を忘れてラスティの胸ぐらに掴みかからんばかりに詰め寄ってきた。 「ふざけんな、誰に預けてきたって!? リズが死んだらどうすんだ!」 自分の何処に非があったか全く検討がつかず、面食らった。確かに動けない相手を放置するのは褒められた行為ではないが、1人置き去りにしたわけではないし、なにより相手は闇神でもあるウィルド。迂闊にリズが死んでしまうような状況にはならないはずだ。 にしても、気にするところは捕まったことではなくウィルドを置いてきたことなのか。 その点が気になったが、灰色の瞳の奥に炎が見えた気がして訊く気になれなかった。 「心配せんでも、奴にそんなことはできまいて」 「そういう問題じゃないんだよ、馬鹿野郎!」 宥めようとしたレティアにも、リグは食って掛かる。 「どうせあんたがそう仕向けたんだろう!」 そう怒鳴り散らした後も、ぶつぶつと怨嗟を呟いている。いつもと違うリグの様子に、ラスティは状況を忘れて呆然としてしまった。 「ちょっと! 少しはおれのことも構ってくんない!?」 悲愴なグラムの叫びが全員を現実に帰らせた。ラスティたちがリグの怒りに気を取られている間、彼は1人で狼を相手にしていたのだ。 「分かってるよ!」 これにも苛立ったように――半ば八つ当たりではないだろうか――怒鳴り、リグは槍を掲げるように持ち上げた。魔法陣が現れ、そこから蔦が狼に向かって伸びていく。捕らえようとしたのか狼の傍で先がうねるが、蔦は掠りもしなかった。 ち、と機嫌悪くリグは舌打ちをすると、ラスティのほうを睨みつけた。自ずと背筋が伸びる。 「とりあえず奴を捕まえたい。捕縛しやすいように、奴の気を引いてくれ」 怖いな、とレティアが呟いたのに、心の中で同意した。 [小説TOP] |