第26章 紫紺の狼


  1.

 人ひとりいないアリシエウスの大通り。魔法陣から出てきた狼を追い掛けていたラスティ、アーヴェント、ユーディアとレティアは、剣を抜き、歩きながら周囲を見回していた。
「くそ、完全に見失った!」
 悪態を付きながらアーヴェントが地団太を踏む。
 光神の口車に乗せられて紫紺の狼をラスティたちだけで対処することになり、とりあえず場所を移そうと引きつけ城を出てきたのは良いが、大通りに出た瞬間、その狼が逃げ出した。もちろん追いかけたが、巨体にもかかわらず見失ってしまった。
 獣を自ら野放しにしてしまった事実に情けなくなるが、そんなことを言ってもいられないのが現状だ。早急に見つけなければならない。
「やはり獣ということか。本気で走られると敵わぬな」
 息を切らした様子も見せず、レティアは言う。余裕があり、面白がっている風にも見える彼女に苛立つが、ぐっと堪えて尋ねる。
「何処に行ったと思う?」
 走って行った方向からして森と街とを隔てる城壁のほうに向かったのだろうが、
「おそらく、血の臭いのするほうに向かっただろうな」
「クラウスは東に向かいました。そっちのほうでしょうか?」
 クラウスは兵士を率いて連合軍の拠点を襲撃する予定だったとユーディアは言っていた。彼女はそんな彼を止めるためにここにいる。
「俺が見てこようか?」
 翼を持つアーヴェントは、足しか交通手段がないラスティたちに比べて早い。それに加え、視点も高くなるから探すのには打ってつけではあるが。
「いや、アーヴェントは帰ってくれ」
 ラスティはその協力を拒んだ。
「な……っ!」
 驚いているアーヴェントの横で、腕を組んだレティアが頷いた。
「それが良かろう。お前のやることではない」
「でも、そんなこと言ってる場合かよ!」
 アーヴェントの言うことは一理ある。味方が少ないラスティたちには、どんな人間であれ貴重だ。戦いの実力の程は詳しく知らないが、魔族であるアーヴェントは、思わず合成獣を作りたくなる気持ちもわかってしまうほど、価値がある。
 戦略の幅が大きく広がる。空を飛べるということは、それほどのことなのだ。
「ここで余計なことに首突っ込んで死にでもしたら、集落の魔族たちはどうする」
 アーヴェントは項垂れた。彼は己で己の価値をきちんとわかっているのだ。
 ラスティたちの協力者、グラムたちの友人、それ以前に彼は魔族の長。他人からすれば魔物と変わりない彼らは、人間社会においては弱者だ。人間の集落に飛び込んでいける、行動力のあるアーヴェントがいなければ、きっと魔物同然に扱われてしまう。
「あそこはまだ、お前なしでもやっていけるほど体制が整ってはいない。今ここでお前が死んだら、魔族に未来はなかろう。仲間の未来を思うなら、引いたほうが良い」
 レティアの説得に、アーヴェントは渋々頷いた。
「……わかった。すまん」
 頭を下げ、ラスティの家のある方角に去っていく。その背を見送りながら、ラスティはレティアに尋ねた。
「連合軍の陣のほうに居ると思うか?」
 推測でしかない。ここで行き先を間違えたら、被害は大きくなるばかりだ。行動を起こすために、少しでも確証が欲しい。
 レティアは少し考えて、
「私がエリウスの立場にあったなら、より混乱する場にあやつを放り込む」
「そんなことができるのですか」
 契約しておらず、簡単に制御できない相手を、そんな簡単に誘導できるのか。
「奴を誰だと思っている。自らの都合良く事態を動かすのなど容易かろうて」
「よし、急ぐぞ」



 7人目を突いたところで、リグは自分が手に掛けた人間を数えるのをやめた。自身を襲う重圧に耐えられなくなりそうだったからだ。かといって止めることもできないので、こうして思考を停止するしかない。殺したくはないが、殺すしかないのだから。
 戦うことが決まり、いざ出陣といったところで、クレール側からの襲撃を受けた。そしてそのまま本陣での戦闘へともつれこんだ。すでに混戦状態で、誰がどうしているかもほとんど把握できていない状況。
 2人をさらに圧倒し、更に1人というところで、リグの槍が弾かれた。
 その騎士を見て、リグは目を見開いた。
「あんたは……」
 対する相手は苦々しげに笑む。
「さっきはどうも」
 やはり、さっき本陣を襲ったアリシエウスの騎士だった。あの時逃がしたのに、どうして。
「戻ってきたのかよ! それどころじゃないはずだろ!」
 ラスティが引き起こした破壊による被害は尋常ではないはずだ。それなのに、まだ数時間しか経っていないのに戦闘を仕掛けてくるなんて。
「そうだけど、上司命令じゃあ逆らえないものでね。あんたたち連合軍が脅威であることには変わりないし」
 リグたちは確かにアリシエウスに攻め入ろうとしていた。脅威という点を否定できず、歯を噛み締める。
「あの時逃がしてくれたことには感謝するけどな……」
 騎士の持つ剣が炎を帯びはじめる。リグも自身の槍に炎の術を掛ける。
「とっととここから出てってくれ!」
 予め掛けておいた自動展開式の魔術で剣を弾き、槍を振り回す。穂先に掛かった魔術の火の熱に押され、周囲から人が離れていく。しかし、目の前の騎士だけは怯まずに突っ込んできた。その剣を、また魔術の盾が弾く。
「意外に小心者なんだな」
 守りの術に苛立ったのか、挑発しようと言うのか、嘲るように彼は言う。しかし、リグはこの手の侮辱には慣れていた。
「死ぬわけにはいかないからな」
 リグはグラムたちの中で唯一の癒し手だ。誰かが大怪我をしたとき助けられるのはリグしかいない。しかし、そのときに身動きができないほどの怪我をしていたり、死んでいたりしたら、グラムやリズは死を待つしかない。
 だから、リグはまず自分の身を守ることにした。自分さえ生きていれば、助けることができるから。
 勝つのではなく、死なないのがリグの戦い方だ。
「騎士らしい、普通の武器を使った戦いができなくて悪いな。俺は魔術師だから」
「抜かせっ」
 挑発と受け取った彼の剣を魔術の盾で弾き、仰け反ったところに槍の柄を叩き付けた。そこで、悩む。彼は殺したくない。迷っている場合ではないのに、殺すことを躊躇ってしまった。
 狼の咆哮が聞こえたのは、そのときだった。



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