第25章 業の結末


  4.

 周囲はとても静かだった。少なくとも、異界から狼が呼び出されたり、戦乱の中にあったりすることを忘れてしまいそうになるくらい。
 そんな城の庭の一角で、さて、どうしたことか、とレンは眠るリズを前にして悩んだ。ここから動いたほうがいいのはわかる。というか、早くここから離れたい。しかし、彼女がそうさせない。眠ったまま、つついても揺すっても起きないのだ。
 眠る彼女を抱き上げて、というのが男として理想的なのだろうが、レンの成長期はどうやら遅めであるらしく、身長は未だに目の前のリズよりも低い。となれば、体重もおそらく――女性に対し失礼であるが――こちらのほうが軽い。自分よりも重い物を担いで颯爽と移動できる自信がレンにはなかった。
 リズを運ぶのが無理、となれば、死体を運ぶのも無理だ。というか触りたくない。
 結局、死体の傍らで眠る彼女を見守り続けるしかなく、こうして座り込んでいる。
 先程欠けてしまった穂先の部分を眺めてこちらもどうしようと考えていると、リズの来た方角からウィルドがやって来た。――いや、今はオルフェと呼ぶべきか。彼は今闇神として動いている、とラスティを救ったあとのリズが苛立たしげに、言葉少なに話していた。
 落ち着いた足取りで歩いてくる彼は、剣を抜き身のままで手にしていて、レンはリズに頼まれた伝言の意味を推察しはじめた。
 レンの不安をよそに、ウィルドのときと変わらない印象のままでオルフェはこちらへ来て、レンたちを死体も含め順繰りに眺めて、目蓋を伏せた。
「……なるほど、今回の騒動の首謀者は彼でしたか」
 その言葉は予想外で、レンは少し驚いた。
「聞いてなかったんですか?」
 あの後いったいどんな状況で彼が現れたのか知らないが、リズと少しくらい話す時間があっただろう。ラスティやアーヴェントもいたはずだ。
「それどころではなかったので」
 よっぽどあちらは大変だったようだ。残っていたら疲れるような面倒事に巻き込まれていたかもしれないので、やはりキースを追ってきたのは正解だったかもしれない。
「すみません。君に手間を掛けさせてしまった」
 ツイてたな、としみじみ思っていると、オルフェが突然謝ってきた。
「なんのことですか?」
「それを放っておいたのは私ですから」
 それ、というのはキースのことだ。つまり、レンにキースを殺させたことを謝罪しているらしい。レンもオルフェの役割はどういうことなのかリズたちから聞いている。確かに彼が殺してくれれば楽だったかなと思わないでもないが、
「気にしないでください。どうせ仇です」
 虚しくはなったが、後悔はしていないのだ。謝られる筋合いはない。それよりも、放っておいた、ということは、合成獣のことをある程度知っていたのだ。どうせ謝るならそちらのほうを謝って貰いたいものである。もちろん、レンにではなく、別の人間にだ。
「それより、リズから伝言が」
 告げると、オルフェは眉を僅かに顰めた。
「自分をどうするかは、あんたに任せる、だそうです」
 すると彼は少し痛ましげな表情を作った。
「………………そうですか」
 長い沈黙のあとそれだけ応えて、オルフェはリズのほうに向かって前に踏み出した。レンは慌ててその前に立ちはだかる。
「リズをどうする気ですか?」
 まさか、と思いつつも、握られた抜き身の剣が気になって仕方がない。
「もし、あなたがリズに危害を加えようというのなら、僕は」
「殺しません」
 たとえ敵わなくてもあなたを止める、と言おうとしたのを遮られ、レンは口を噤んだ。きっぱりと強い口調でオルフェは否定したのだ。
「殺しません。たとえエリウスが命じても」
 レンに言っているというよりも自分に言い聞かせているようだった。力強く言われれば納得せざるを得ない。オルフェが地面に剣を突き刺し、レンの脇を抜けて通りすぎると、眠るリズの傍らに座り込んだ。
「なにかあったんですか?」
 リズの伝言といい、オルフェの殺さない発言といい、2人の間になにか尋常でないことがあったのは確かだろう。あれだけ仲が良さげだっただけに、相当拗れているような気がする。
「聞いていないんですか?」
 レンは頷いた。苛立たしげに、あの馬鹿とかあんな奴知らんとか言っていたが、それだけである。
「……愚痴を言っているかと思ったのですが」
 あれを愚痴といえば愚痴だと思うのだが、もっとぶちまけていると思っていたようだ。
 それからしばらくオルフェは黙り込んだ。
「少し、意地になっていただけです」
 どんな内容か半ばわくわくしていただけに、その答えは残念なものだった。しかし、自嘲めいたオルフェが話したくなさそうにしているので、あまり突っ込んで訊くこともできない。
 まあ、リズに改めて聞けば良いだろう。きっと今度は楽しそうに愚痴ってくれるに違いない。
 そんなことを考えている傍らで、オルフェはリズを抱えあげた。
「何処か、休ませることのできる場所に心当たりは?」
 レンのできなかったことを悠々とやってのけた男は振り向いて尋ねる。
「ラスティの家はどうでしょう?」
 他人の家を勝手に借りるわけにはいかないから、知った人の家に行くのが一番だろう。
 案内しろ、と言われたので、レンは彼の前に立つ。
 キースの死体だけが、その場に残された。



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