第2章 現に在りし神の遺物 4. 通路を出た先は、アリシエウスの城の敷地内、厩の裏手だった。そこからこっそりと敷地を抜け出して、街に出る。夜なので、人通りは少なかった。 夜は警備の為に騎士が巡回を行っているが、ラスティは職業柄、どの道を通れば見つかりにくいかを把握していた。時に近道をし、時に遠回りをして、東門に出る。 東門から延びる街道は、森の中を横切っていた。この道の先には、リヴィアデールの西寄りの町がある。そこならば旅に必要なものを買い集められるだろう。これからどうするにしても、まず街に着いてからだ。 夜の森は暗い。満足な明かりもない道を足元に気をつけながら進む。 「……どうした?」 ラスティは、横を歩く少年が奇妙な目でこちらを見ていたのに気がついた。 「意外だなって。まさかこんなおとなしく街を出るとは思いませんでしたから」 「もうどうしようもないんだ。今更ごねても仕方ないだろう」 もちろん、戻りたい気持ちはある。だが、そうしたところで彼らは喜ばない。なにが彼らのためになるのかを考えると、やはりこれしかないのだ。 「なるほど。ところで……」 不自然に言葉を切り、そのまま何も言わないので不審に思って振り返ると、少年がハルベルトを構えてこちらへ駆けてきた。彼はもともとラスティの持つアリシアの剣を目的としていた。ここに来て強奪するつもりか、と身構える。 しかし、レンはラスティの脇を通り抜けて、背後に武器を突き出した。 ぎゃあ、と耳障りな声が聞こえて、ようやくなにが起こったかを悟った。 「魔物か!」 闇色の鴉に似た鳥が、腹部にあたる場所を切り裂かれていた。ただし、大きさは普通の鴉の4倍近い。 〈闇鴉〉として知られたその鳥は、砂漠や極低温などの極端な気候でなければどこにでもいるような魔物である。強敵ではないが、群れる上に知能が高いので侮れる敵ではない。 「まだいますっ! 気をつけて!」 穂先を下にして空を見まわしながら少年は言う。姿は見えないが、耳を澄ませば確かに2つか3つの羽音が聞こえる。 ラスティは剣を抜いて構え、少年と背を合わせるような形で立った。 「魔法は?」 使えるか、と声をひそめて尋ねてきた。 「いいや」 むぅ、と呻き声が聞こえた。 なるほど、とラスティは考える。確かに剣の届かないようなところで飛んでいるような相手には、無闇矢鱈に武器を振り回すよりも魔法攻撃を仕掛けたほうがいい。 〈闇鴉〉はばさりばさりと羽音を立ててラスティたちの頭上を旋回しているようだが、降りて攻撃してくる様子はなかった。こちらが疲れるのを狙っているのか。まるで、こちらの居場所を伝えて何かを待っているようだ、とラスティは思う。 それはあながち外れていなかった。 「しまった!」 声に振り返ってみると、少年の顔色が変わっていった。 「お兄さん、逃げますよ!」 そう言うや否や彼は先を走っていった。なにがなんだかわからないまま追いかける。 ぎしぎし、と金属音とともに重い足音がいくつか聞こえてきて、その理由に気がついた。 「なんでクレール兵がここにっ」 背後を突いてくるのは、クレールの国の紋章を付けた金属鎧の兵士たちだった。 ラスティにはなんとなく予想はついた。暗殺者を放ってくるのだ。襲撃が今晩であっても、おかしくはない。 今追ってくるのは3人の重装備兵と〈闇鴉〉たち。もしかしたら、もっといるかもそれない。ただの偵察であるなら、ここまでの装備は必要ないはずだ。すでに襲撃が始まっているのかもしれない――そう思うと気が気ではなかったが、すでに街は遠ざかり、確かめることはできない。 とにかくこの追手を撒こうとするが、前方に森の中から新たに重装備兵たちが現れ、ラスティも少年も立ち止まる。周囲を囲まれた。 「クレール兵がこんなところで……。いったいなんの用ですか」 息を切らしながら、よく通る高い声で少年は兵士の1人に尋ねる。 「渡してもらおう」 ちょうど2人の正面にいた兵士は催促するように手を出した。ラスティに向かって。 なにを、とは言わなかった。だが、なんなのかは明白である。 ハイアンが言っていたことも本当であったのだ。このクレール兵たちは、ラスティが今腰につけているもう1本の剣のためだけに、アリシエウスを襲おうとしている。 つかの間、ラスティは躊躇った。渡さない、と言うか、それともしらを切るか。 「お断りします」 迷うラスティの代わりに応えたのはレンだった。そして、彼は腰に左手を回すと紙の札を1枚取り出した。少年はそれを兵士たちに向かって投げつける。 「凍りつけ!」 少年の高い声に応じて、札が青く光りだす。その光が兵士たちの上で宙に紋様を描き出した。魔法陣の下から氷の柱が現れる。前にいた兵士たち2人がその中に閉じ込められていた。 ぱりん、と澄んだ音を立てて、氷の柱が割れる。 「ぐえっ」 兵士たちの体を巻き込むことはなかったが、衝撃があったらしく、膝をついて喘いでいた。赤いものが地面に落ちる。 驚きに立ちすくんでいたラスティとクレール兵だったが、唯一少年だけは動き出し、無事だった残りの1人の兜と鎧の境目に槍を突き入れた。 「貴様らっ」 我に返ったらしい、ラスティたちの背後を取っていた兵士たちが次々と剣を抜き、ラスティに向かってくる。 「前へ!」 足で死体の胴を蹴り飛ばしながらハルベルトを抜くと、少年は走り出す。 「くそっ」 3方向からくる剣先を掻い潜り、ラスティは後を追った。 「待て、貴様ら!」 武器を振り回して追いかけてくるが、かまわず逃げる。あちらは装備が重い。だから余裕で逃げられると思っていた。 突如、背中を突き飛ばされた。前に身体が傾いで踏み固められた腐葉土の上に倒れこむ。カァ、と空から鳴き声が聞こえた。 〈闇鴉〉である。すっかり存在を忘れていた。ラスティの上を飛び回り、嘲笑うかの様にカァ、カァ、と鳴き続ける。あまりのタイミングの悪さ。まるで、魔物と兵士が結託してラスティたちを追い詰めているようだ。 兵士たちが迫る。 「お兄さん!」 先を行っていた少年が、ラスティのほうへ戻ってくる。 「せっ!」 近づく兵士の前で屈みこみ、ハルベルトを横に薙いで足払いをかける。重い斧頭で勢いが付いていた所為か、3人まとめて地に伏した。はずみで剣を手放し、鎧の所為でうまく立ち上がれずにいる。少年はその兵士たちに慈悲なく止めを刺した。 「ふぅ……」 溜息を洩らし、ラスティのほうへ向きなおった。 「だいじょうぶですか?」 「……ああ」 その証拠に立ち上がって見せた。 空を見上げると、いつの間にか〈闇鴉〉がいなくなっていた。羽音も聞こえない。おそらく逃げたのだろう。 「やれやれですねぇ」 そうやって、笑う。先ほど見せたのと同じ笑み。躊躇いもなく人を殺し、なお笑みを見せる少年にラスティは微かに戦慄した。そういえば、兵士をすべて1人で倒している。 「この先が思いやられますね」 ぽつりと言った彼の一言にラスティは首を傾げた。なにということはない言葉だが、何処か引っ掛かる。 「それで、これからどうします?」 当然の如く尋ねてくる少年に、ラスティは驚きで声を張り上げた。 「ついてくる気か!」 「そのつもりですけど?」 レンは首を傾げる。いったいなにに疑問を持つというのか。疑問を抱いているのはこちらだというのに。 「理由は」 「好奇心」 胡散臭げにレンを見るラスティを不思議そうに眺め、少年はなにか合点がいったのか、ああ、と言って掌を拳で叩いた。 「別に隙を見て盗んでやろうとか、変な意味はないですってば」 本当だろうか。疑う理由をすぐに思い付かなかったようだから、もしかしたら本当なのかもしれないが。 「本当ですって。僕は宝探しが専門。盗みは専門外です」 「……城に忍び込んだ奴が言うか?」 「そんなときもあります」 慌てないし、言葉も濁さない。どうやらこの少年、頭の回転が速いうえに肝も太いようである。それだけに、ますます信用していいのかわからなくなる。 「ほら、こう言うじゃないですか。旅は道連れ世は情け。損はさせませんよ? ……たぶんね」 レンはにっこり笑う。断ってもついてくるつもりだと気付いた。こうなれば観念せざるを得ない。 「……好きにしろ」 そうとだけ答えてラスティは踵を返し、東を向く。厄介そうな同行者に、ひそかに溜め息を吐いた。 [小説TOP] |