第25章 業の結末


  2.

 レンの故郷は貧しい村だった。海の傍だったが、生活は小さな貝や海藻、たまに獲れる魚で日々食い繋ぐだけで精一杯。他の国でなら何処にでもある学校もないので、新たな道を切り開く機会も得られない。
 だが、レンが12になる年、旅人がやって来て小規模ながら学校を開くと言って村に住みはじめた。村の子供たちはこぞってそこに通った。子供も働き手であるためにそうそう労働力を割くことはできなかったので、講義は週に1度だけ。しかし、レンと姉はそれだけでは足らず、時間が空けば入り浸った。母は良い顔をしなかったが、先生は嫌な顔1つせず、一般教養だけでなく魔術まで教えてくれるようになった。
 それは演技だったのだろう。子供が教えを請いに来たからといって喜ぶようなたまではない。しかし、いつかは使えるからと耐えていたのだろうか。それとも、材料がのこのことやって来て、内心ほくそ笑んでいたのだろうか。
 すっかり先生を信頼した頃だ。学ぶことで、辛いだけの毎日が色づきはじめた頃。魔術もすぐに覚えた姉は、優秀だからと研究の助手に選ばれた。魔力の使い方を覚えただけだったレンもずいぶん羨んだものだが、年齢を理由に断られてしぶしぶ引き下がり、家に帰った。
 すっかり変わり果てた姉の姿を見たのは、その次の日だ。
 あのときよりも知識を多く得た今にして思えば、姉は最高傑作だったに違いない。合成獣作りには時間が掛かる。姉を使う頃には下準備は全て終わっていたのだろうが、定着が早かった。普通なら3日は眠り続けるところを半日もせずに目覚め、人間の頃の自我も理性も持っていた。身体組織も安定していた。珍しいことだと今ならわかる。しかし、それは姉にとって不幸でしかなかった。
 人の身体。背には白く大きな4枚の羽根。頭は姉のものだったが牛の角が付けられ、足は猛禽類、尻には獅子の尾が在った。
 これを目にしてより絶望したのは、レンよりも姉のほうで、おぞましい姿で暴れまわり、泣きじゃくり、やがてレンに殺してくれと懇願した。
 傍にあった鎧飾りの持っていた物――今、レンが持つ鉾槍が、その凶器だった。
 あのときの感触は、今でも忘れてはいない。夢にも見る。あんなことがなければ、姉はまだ生きていて、母に追い出されることなく、こんな物も振り回していないというのに。
「キース!!」
 ラスティたちと出会ってようやく受け入れたこの現状も、彼を目にしたら怒りが収まらない。奴だけは絶対に仕留める。
 覚えたばかりの水の術を使い、キースの足を止める。あの頃は魔力を使えても魔術は使えなかったから、さぞかし驚いたことだろう。いい気味だ。
 足を縺れさせたキースは、弱々しく地面に倒れる。レンは一気に距離を詰めて踏みつけにすると、顔の真横に勢いよく槍を突き刺した。
「ひっ」
 目の前に凶器が突き刺さって、キースはしゃっくりのような悲鳴をあげる。身を退こうとするが、首根っこの下を踏みつけているので、身動きできない。
「なんなんだよお前! 退け! その足を退けろ!」
 レンのことを覚えていないらしい。腹立たしいが、覚えていてもやることは変わらないのでよしとする。知らない人間に殺られるほうが怖いだろう。
 足下で情けなくもがくその男の耳に顔を近づけると、口の端を吊り上げ、声を高くして囁いた。
「い、や、で、すぅ」
 槍を引き抜き、斧頭がキースのほうに向くように動かしたあと、もう一度勢いよく突き刺した。踏みつけられているというのに、びくりと勢いよくキースの身体が跳ねる。あまりにおかしくて、レンは低く笑うと、背中の足を退けた。そして、キースが解放されたことに気付く前に腹部を蹴り上げる。噎せている間に襟首を掴んで起こすと、今度はその胸を蹴って、城の壁に叩きつける。
「お前は……」
 正面から相対して、ようやく自分のことに気づいたらしい。息を飲んだあと、目に怒りが宿る。傑作を殺した相手だ。恨みがあるのは寧ろこちらのほう、くらいは思っているのかもしれない。こいつはそういう人間だ。姉を殺して泣き崩れていたレンに、キースは恨みの言葉を吐いていた。自分の作品を壊された恨みを。
 そんな生き物とはとても思えない、心根の腐りきった奴に、こちらのほうが恨みが深いのだと思い知らせてやる。
「さて、どんな風に殺されたい? 姉さんと同じようにこれで殺してやろうか。それとも、僕の魔術の練習台になる? 他人のお姉ちゃんを実験台にするんだもんねえ。的になるくらい大したことないよねえ?」
 胸ぐらを掴み、顔を近づける。できるだけ無邪気に見えるように笑みを作る。こいつを殺すことをなんとも思っていない。そう思わせてやるのだ。
 ようやく身の危険を悟ったキースは、困惑しながらも怒りを引っ込め、今度は殊勝な表情を作りレンに哀願した。
「……助けてくれ」
 それがレンの逆鱗に触れたことは言うまでもない。
「どの口が言うんだよ!!」
 キースを地面に引き倒すと、ハルベルトを抜き、斧頭や穂先の重さにも構わず何度も柄で身体を打ち付けた。
「お前は何度その言葉を聞いた? お姉ちゃん、アリシエウスの人たち、……ああ、シャナイゼでもおんなじことしてたんだっけ? で、助けたの? 助けてないよね。なのに助けを請うの?」
 ――やり過ぎだ。
 誰かの声が聞こえたが、止まれなかった。
「生きていたい人間が、本当はもっともっと生きていたい人たちが、死にたいって言うその気持ちわかるか? それを聞く僕たちの絶望がわかるか? 死しか選択肢がないと知ったときの気持ちがわかるのかよ!
 お前がしてきたのはそういうことだ。価値なんかありゃしない。なんでそれがわかんないんだよ!」
 殴る手を止める。レンとキース、2人の息切れだけが聞こえるなかで、キースは呻くように言った。
「だって……美しいじゃないか……」
 ――なにが? 翼が? 尾が? 角が?
「だったら、てめぇがなれよ!!」
 ハルベルトを半回転させて、斧頭を肩に振り下ろす。肉を裂き、骨まで届き、そこで止まった。
 耳障りな悲鳴が聞こえる。誰のものでも聞きたいものではないが、男の悲鳴は聞き苦しいものだな、と何処か冷めた気持ちで考えた。
 斧頭を肩から抜いて、その傷口を踏みつける。冷めているのに、口も足も止まらない。
「なんなら手伝ってやろうか。手を落とすか。足か。それとも背中を切り開いてやろうか!」
「待って! ……やめてくれ!」
 引き攣った声で何事かを喚きたてるが、もはや内容など耳に入らなかった。耳元で羽虫が飛び回っているような、不快な音にしか聞こえない。
「もういい」
 いい加減、もううんざりだ。
 柄の真ん中を逆手に持つ。肩の高さまで持ち上げて、キースの胸に穂先を向けた。
「うるさい。黙れよ」
 上げた拳を振り下ろすように、軽く自然な動作で槍を胸に突き刺した。



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