第25章 業の結末


  1.

「あの女……」
 不可解な顔をしているラスティとアーヴェントを引っ張っていったレティアの背を見送りながら、苛立ちを抑えきれずにオルフェは呟いた。
「勝手にラスティを連れていって。アスティードがあればすぐに片が付いたというのに、私にどうしろと」
 あの破壊の剣があれば、こんな魔法陣などなんでもないというのに。この魔法陣は2つの術が組み合わされているようなので少し厄介だ。解く術はあるが、手間が掛かる。世界を破壊することのできるあの剣は、グラムの剣のように魔力も斬れるから、是非欲しかった。
「あっ……」
 その手があったか、とばかりにリズが声を上げるので、オルフェは呆れた。その可能性を考えなかったのか。最も、彼がいなかったから“魔力を斬る”という手段を真っ先に切り捨ててしまったのかもしれない。
 それにしても、とオルフェは魔法陣の真ん中で座り込む彼女を見下ろし、
「まんまと捕まるとは、らしくないですね」
 ばつが悪いのか、恥じているのか、リズは憮然とした表情を作る。それを内心微笑ましく思いながら、オルフェはリズの足元に広がる魔法陣を見た。ラスティがいない以上、自分でなんとかするしかない。
「魔力吸収に、捕縛系……こちらはオリジナルですね。とりあえず、門への供給だけでも止めておきましょうか」
 地面に掘られた魔法陣に手を翳す。召喚された狼は、レティアたちが引き付けている。どうやら場所を移して対処する心積もりらしい。癪ではあるが、お陰でこちらに集中できる。
 リズの魔力を相殺させるように魔力を流し込むと、陣の紋様の一部が光を失った。魔力供給がなくなって、門が閉じる。
 術が半分解けたことにリズは驚いたらしく、ぽけーっと間の抜けた顔でこちらを見ていた。
「吸魔は禁術です。私が知らないとでも?」
 この術は際限なく――それこそ枯れ果てるまで人の魔力を吸収してしまうため、禁じることにしたのだ。禁術の使い手を裁く以上、それについて知っていなければならない。見極めることができなければ罪を問うことなどできるはずがない。
 それだけの話だったのだが、リズは何故か顔を顰めた。
「……どうしてここに?」
 問う声は何処か他所他所しい。
「禁術の使用が確認されたので」
 世界を繋ぐ門の術は大がかりであるだけに目立つ。ある程度距離があっても魔力の光が見えた。
「今回は目をつぶるんじゃなかった?」
「もう好きにして良いと言われました」
 ああそう、とにべもない返事をされた。――気まずい。
「……大丈夫ですか」
 魔力を抜き取られた所為でリズの顔色はだいぶ青かった。汗も掻いていて、病に懸かっているかのようだ。平均的な魔力の持ち主なら、きっと死んでいただろうから、負担が大きいのも当然だ。
 だが、そんな状態でも目だけは強く輝いていて、心配するオルフェをぎろりと睨み上げた。
「あんたがそれを聞く? どうでもいいじゃん、あたしが大丈夫だろうとそうでなかろうと」
 どうせ殺す気なんだろ、と吐き捨てられ、オルフェは言葉を飲み込んだ。肯定も否定もできない。心配なのは本当。殺す気があるのも本当。矛盾した自分の気持ちに答えを見つけることができず、逃げとわかりながらも押し黙ることしかできなかった。
「それより、さっきの光神? あんたが言ってたとおりほんっと嫌な女。余計なお膳立てしやがって」
 いつも以上に粗暴に吐き捨てる彼女に驚いたが、それよりもその言葉の意味がわからない。
「……なんのことだ」
 聞き返すと、リズは嘲笑った。
「わからない? あいつ、あたしとお前を2人きりにして、あんたがどうするか見てんだよ」
 ――その娘の処遇、お前に任せた。
 そういう意味か、とようやく悟る。余計な御膳立て。本当にその通りだ。拳を強く握りしめる。人をいつも弄んで。それが本当に腹立たしい。
 ふと、飛来する熱を感じ、オルフェは咄嗟に腕を伸ばしてリズを庇った。腕が燃える。激しい熱さに耐えながら、火が広まらないように急いで服の袖を破り取ると、振り返った。
 レティアの作戦はうまくいったらしく、狼は居なくなっている。取り残されたクレール勢は、みな苦痛と疲労に喘いでいた。その中で、立ち上がる魔術師が1人。若い者が多い中で更に歳若い男の魔術師が、周囲の注目を集めている。
「こんな、こんなはずじゃなかったんだ。こうなると思わなかった。ただ、勝ちたかっただけなんだ」
 魔術師はヒステリーを起こしたように虚ろな目でリズを見て、べらべらと捲し立てた。
「このままじゃ俺たちは裁きを受ける。俺たちはただあの〈木の塔〉の魔術師に唆されただけなのに、俺たちの所為になってしまう。……だから」
 にやり、とその口元が歪む。
「代わりに死んでくれ」
 あの狼を呼び出した罪をリズに擦り付けて、殺すことでその口を封じようというのか。もともとはリズの魔力を使ったのだし、上手くいけば、功績にもなるかもしれない。そう踏んだ。
 どよめきが広がり、賛同の声があちこちから上がる。立ち上がるものがちらほらと出てくる。
 リズが溜め息とも笑いとも取れる奇妙な声を出した。自虐的な、虚無的な笑い。それを聞いて、ウィルドは激しい怒りを覚えた。
 剣を抜く。ここにいるということは、彼らは禁術に関わった者たちだ。なら、問題ないだろう。
 自分がなにをしようとしたか、それがどんなことなのか、身をもって知ると良いのだ。

 リズは、運命を担う創造神は嫌いだか、運命というものは信じていた。誰かに意図的に作られた運命ではなく、日々の積み重ね、日頃の行いの結果となる運命だ。
 リズだけではない。黒魔術を扱う多くの者が、おそらく似たような思考をしている。傷つける者は傷つけられる。殺す者は殺される。因果応報。自業自得。そう表現されるものを常に意識している。黒魔術が人を傷つける術だからだ。そして、魔力以外のものを代償として支払っている。術を使っているうちに、自然と意識するようになるのだ。
 なにかの間違いで黒魔術に触れてしまい、この考え方が身に染み付いてしまった。だから、リズは自分の生に執着しない。これまでに多くの人を傷つけ、殺してきた。他にもいろいろな罪を犯している。いつかその報いを受ける。死にたくはないが、自らの行いの結果なら仕方ない、きっとろくな死にかたをしないだろう、と信じていた。オルフェに殺されるのも、また一つの運命だろうと受け入れてもいた。あの女神が余計なことをした所為で、要らぬ期待を持ってしまったが。
 だが、これだけは冗談じゃない。濡れ衣を着せられて死ぬなど、絶対にごめんだ。それは決して、自分の業に関わりのないことなのだから。
 罪を擦り付けようとした魔術師をはじめ、キースに加担した者たちはオルフェによって次々と殺されていた。禁術に触れた者の末路だ、仕方ない。でも、後味の悪さが残る。
 それもこれも、あのキースが原因だ。奴の下らない探究心の所為で、いったいどれだけの人間が苦しんできたことか。彼を追い掛けていったレンはその筆頭だ。
 レン。彼は大丈夫だろうか。彼はだいぶ激情に駆られていた。仇なのだから当然だ。キースはたいして強くないが、また合成獣を呼び出されていれば大変だし、彼の強さを疑うわけではないが、年下だけに心配だ。それに、キースに逃げられても困る。
 考え始めたら、動かずにはいられなくなった。
 しかし、枷はまだ取れていない。オルフェが術を一つ解いてくれたおかげで構造は分かったが、今はそれを解くだけの魔力がなかった。だいぶ奪われてしまったのだ。
 どうにかして、魔力を補充することができたなら。
 思いついたのは、リズを苦しめていた魔力吸収。他人の魔力を術に使うことができるなら、自分のものにすることもできないだろうか。
 足元の魔法陣を見る。模様を目で辿り、その構造と問題点を把握すると、棒手裏剣を取りだし、祈りを込めて投げた。

 4人ほど斬り捨てた頃だ。オルフェとクレールの魔術師たちがいるその中心の辺りに、リズの棒手裏剣が突き刺さった。魔力を通し離れたところで魔術を発動させる、特別製の棒手裏剣。いったいなにをするつもりなのかといぶかしんだ次の瞬間、身体の力が抜けた。力の塊が一部ごっそりと持っていかれたような感覚。魔力が抜かれたのだと気づいたのに、暫し時間が掛かった。オルフェだけでなく、周囲の者たちも同じ感覚を味わったようで、皆困惑している。
 オルフェは振り返ってリズを見た。力なく座り込んでいた彼女は、魔法陣の真ん中できちんと自分の足で立っている。
「悪いね」
 息も絶え絶えだった彼女は、しっかりとした声で低く言い放つ。
「いただきました」
 不敵な笑みを浮かべると、角の向こう側へと駆けていった。
 どういうことかを推測する。自分の状況、彼女の状態、それにあの台詞。
「……まさか」
 吸魔の術を使ったと言うのか。一度しか見ていないはずなのに、模倣するだけでなく吸収量を調整し、自分のものになるよう改良した。この僅かな時間の中で。
 末恐ろしい。魔力と技術だけ、と常日頃から彼女たちは自分を評しているが、これは明らかに達人の域を越える。普通、既存の魔術を改良は、何度も試行錯誤を重ねて行うものだ。机の上で理論立て、そこに問題がないときに初めて実践に移っていく。それを、一気にすっ飛ばして早速使うなんて。
「全く、仕様もない」
 オルフェは小さく笑う。目が離せない。捉えておけない。放っておいたら、なにをするかわからない。禁忌の術が、次々と有用性のある術に変わっていく。業の路を行くのに、心根は全く変わらない。
 オルフェの予想を裏切る、捉えどころのない娘。
 彼女がとても愛おしい。



109/124

prev index next