第24章 門と枷


  3.

 異変に気づいたのは、ユーディアを魔術師風の男から引き離し、怪我の様子を見たあとだった。
 これまでに感じたことの無い、乱れを感じた。嵐前のようなざわめき。だが、大気は安定していて、嵐どころか雨風の気配もない。得体の知れない不安がラスティを襲う。
「……凄い魔力」
 圧倒されたユーディアのその発言から、それが大量の魔力によるものだと知った。アスティードを振るったことで魔力を感じやすくなったのだと知ったのは、ずっと後のことである。
「マズイな」
 しゃがみこんだまま真剣な様子でアーヴェントが呟く。その視線は、あちらのほうで何故か地面に膝を着いているリズに向けられていた。
「この魔力、リズの……?」
「だな」
 アーヴェントはそう返事をするも、でも、なんで、と呟いた。何が起こっているのか分からず聞いてみれば、あのキースとかいう男が使おうとしていた術を、リズが使おうとしているらしい。禁術使うのを止めに来たリズがそんなことを積極的にするはずがない。けれど、なにか様子がおかしい。彼女が苦しそうな表情をしているのは何故か。
「とにかく、行くぞ」
 そう言うなり、アーヴェントは飛び出した。ラスティも続こうとして、背を支えていたユーディアを見下ろす。急に倒れないように腕をそっと離したあと、腰から剣を抜いて彼女に渡した。グラムに弾き飛ばされた剣のスペアを実家から持ってきていたのだ。
「そこにいろ」
 言い残して、ラスティはアスティードを抜き、走る。この剣を使うことに躊躇いはあったが、大丈夫だと言い聞かせる。動揺したから、あのようなことが起こった。冷静でいれば、なにも起こらない。
 リズのもとへと向かう間、魔術師たちが妨害をしてきた。飛んでくる魔術を剣で打ち払う。さすがに火の玉は剣では防げないので、転がって回避した。やはり攻撃にアスティードを使うのは恐ろしいので、刃は防御にのみ使い、ローブを纏う魔術師たちの鳩尾に柄を叩き込む。
 魔術師ばかりだが、なにぶん数が多いために攻撃を無視することができず、なかなかリズのもとへと行くことができない。ラスティたちだけでなくレンもまた加わっているが、多勢に無勢。手間取っていると、騒ぎを嗅ぎ付けた騎士たちが現れる。さらに手間取ることになった。
 ユーディアが敵――彼女にとっては味方――に制止の声をあげるが、彼らは一向に止まる気配がなかった。
 結果、間に合わなかった。
 リズの側の魔法陣が、強い光を放っている。はじめはただ紋様を描いていただけだが、次第に陣の中は白く染まり、光が盛り上がってなにかの形を成した。初めて見る術の所為か、敵の騎士も魔術師も手を止めて術に見入る。
 現れたのは、狼だった。ハティやスコルとは違う、通常のものより大きな、紫紺の毛並みを持つ狼。
 クレールの者たち――主に魔術師から歓声が上がる。
「なにしてんだ、早く契約しろ!」
 歓喜に水を差すようにリズが張り上げる。その言葉を誰もが理解できずにいると、その狼は目の前にいた、真っ先に魔術師を襲った。
 空気が凍りつく。
 血塗れになった死体を狼が首を振って捨てると、辺りは瞬時に大荒れした。

「どういうことだ!」
 残念ながら現れた狼の餌食にならなかったキースが、腰を抜かしながらリズを問い詰める。その姿に、リズは頭に血がのぼった。
「手記に書かれているのは、門を開いて相手を呼び出すまで。そのあと従わせるのはまた別! あたしたちがおんなじ間違いをしたってのに、てめぇはなんの対策も考えてなかったのかよ! それで威張っといて、貴様は馬鹿かっ!?」
 自慢気に言うものだし、陣が手記とは違っていたから、そこまでしているものと思っていた。この術が禁術なのは、この世界以外の生き物を呼び出すからだけではない。呼び出したものを容易にコントロールできないから、それで世が混乱するかもしれないから禁術なのだ。
 確かに公表はしていない。リズたちが禁術を使ったことは隠されている。だが、誰も知らない訳ではない。闇に生きる者を使えば、知り得ただろう事実なのに。
 周りは蜂の巣をつついたように騒然としていた。逃げようとする者。勇敢にも立ち向かおうとする者。それらに狼が襲いかかる。リズは歯噛みした。無闇に動けば、刺激するだけなのに。
 幸い彼らは戦い慣れていたので、易々と殺されることはなかった。けれど、犠牲者が増えるのも時間の問題だ。
 どうにかしたいが、どうにもできない。リズの魔力は未だに奪われ続けている。門は魔力供給を止めなければ閉じないのだ。だが、魔力を奪う陣の中に閉じ込められたリズは、どうすることもできない。
 このままでは、魔力が枯渇して死ぬだけだ。
 それだけならばまだいいが、こうして門を開き続けていることで、また別の厄介なものが現れるかもしれない。
 早く事態を収拾させなければ、更に悲惨なことになる。
「おい、これを解除しろ!」
 敵に助けを乞うことを屈辱を感じつつも、リズはキースに訴えた。だいぶ取られたが、まだ魔力は残っている。絞り出せば、なんとかいけるかもしれない。
「今ならまだなんとかできるかもしれな……」
 言葉の途中で、リズはあんぐりと口を開けた。キースが、目の前の事態に怯え、情けなくも逃げ出したのだ。狼に抵抗することなく、リズに掛けられた術も解かず、角の向こうに消えていった。
 事態は収拾されぬまま、リズは陣の中に置き去り。周りには負傷者が次々に増えていく。
 ――最悪だ。
 やるだけやって、散らかしたまま逃げやがった。
「あンの、クソ野郎ーっ!!」
 本当にあのとき殺しておけばよかった、と強く強く後悔した。



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