第24章 門と枷 2. 目的の人物に辿り着くと、その足元でユーディアが踞っていた。頭に血が上る。気付いたら魔術を使っていた。ユーディアから引き離すように、大きな氷の塊をいくつか飛ばす。 「思ったよりも早い到着だな」 「笛の音と咆哮が聴こえたからね」 氷の塊を軽々と――速度と威力を殺したから当然である――躱したあと、平然とした様子のキースに、杖を構えたままリズは答えた。禁術を使うのだから広い場所だろうと推測はしていたが、城の庭に広いところは多く、場所が特定できずにいてどうしようかと思っていた。そこに、アーヴェントだけが聴こえるという笛の音と獣の咆哮だ。まだあのような哀れな生き物がいたと思うと腹立たしいが、探す手間が省けたので、ついていた。 ラスティとアーヴェントが、ユーディアに駆け寄る。ラスティが彼女を抱え上げ、アーヴェントの指示で庭の隅の方へ移動させた。彼女のことは、彼らに任せればいいだろう。隣で睨み殺さんばかりにキースを見ているレンが心配だが、どんな罠があるかわからないから、と軽率に動かないように注意しておいてある。その忍耐がいつまでもつかわからないが。 いつ飛び出すかわからない彼を気にしながら、庭に描かれている魔法陣を見る。その文様を読み取って、リズは鼻を鳴らした。 「幻獣召喚か」 リズたちが手記から拾い上げた術である。どんな術を使うのかと思えば、まさか二番煎じとは思わなかった。あの術は手記に書かれているものを忠実に再現しただけでは未完成である。そこは理解していたらしく、リズたちの発表した部分に加え、陣にアレンジされていた。どう変えたのかは、さすがにパッと見ただけではわからない。 キースは、リズたちが働きかけるまでもなく〈木の塔〉から追い出されるほどに人格に問題のある人物だったが、惜しいのは――本当に惜しくて仕方ないのは、ジョシュアやクラウジウスなどの自他称天才に並ぶ天才であることだ。まっとうだった頃の彼の研究は、周囲でも賞賛されていた。と、同時に同分野の一部研究者からは僻まれていたようだ。医療系分野には、他地域でも例を見るようにエリートばかりが集う。目の上のたんこぶという扱いをされていたから、人格が歪んでしまったのではないだろうか。 そう考えると同情の余地も少しありそうだが、それでもやっていいことと悪いことがある。 「なにを企んでやがる」 尋ねれば、キースは余裕の表情でせせら笑った。彼は昔から、常に余裕そうで人を馬鹿にしたような態度を取っている。 「教えるとでも?」 「いや。でも一応。自慢げにつらつらと話してくれないかなー、と思ってさ」 これにはにっこりと笑って応じる。リズは、こういう天才が話好きであることをよく知っていた。守秘義務に抵触しない限りは、自分の研究についてぺらぺらと喋るのだ。それが得意げだったりするものだから、自慢話と勘違いする者も少なくない。 「まあ、予想はつくけどね」 杖を下ろし、肩を竦める。傍らの少年に目を向けると、そろそろ限界が近そうだった。あのにやけ顔を見ていると、リズもそろそろぶっ飛ばしたくなってきた。 「なにを呼ぶ気かは知らないけど、そいつを敵陣にぶち込んで混乱させる気だろ」 連合軍は、ただでさえ、一振りで多大な被害を及ぼすラスティの存在に怯えているし、上官が乱心したことで荒れているらしい。そこに、魔物とも違う、普通の敵とは勝手の違う敵がやってきたらどうなるか。 下手すれば、自滅である。 「それはディベルの企みだ。俺は自分の実験にしか興味ない」 その言葉に刺激されて飛び出そうとしたレンの首根っこを掴んで止めながら、リズもまた殺意を込めて相手を睨みつける。 「なにを偉そうに。お前がしてるのは、実験と称した犯罪だ」 命を弄ぶことのなにが実験か。確かに、犠牲の末に発展してきた知識もある。だが、彼のしていることは、そういったことも許容する研究者の倫理でも否定されるものだ。それを実験と呼び、さも必要なこととばかりに正当化する。研究者の風上にも置けない、クズ。 「お前には、その実験の被検体になってもらう」 そろそろ自らの我慢の限界を感じていると、キースは予想にもない事を発言した。その言葉の意味を捉えかねていると、相手が術を飛ばしてきた。レンを突き飛ばし、自分も横に躱す。追いかけてくる石つぶてを避けて動き回っていると、足元を取られた。倒れそうなのをなんとか踏みとどまるが、どうしたことかその場から動けない。いったいなにが、と地面に目を向けて、自分が魔法陣の中に居ることに気がついた。召喚術用の魔法陣よりも小さめで、弧で接している。見たことのない魔法陣だ。 嫌な予感がする。 キースが呪文を唱えている。いよいよ召喚術を使うらしい。妨害したいが、どうしたことか足になにか巻き付いているかのように、一定の距離以上の距離を行くことができない。足を引っ張られてしまうのだ。 「くっ……」 魔術を使おうと魔力を練る。が、そこで急に力が抜けた。大量の魔力が抜けていく感覚。普段使う術の比ではない。魔力消費の激しい召喚術を使うときも、ここまでではない。 だが、一度だけある。あれは確か……。 「…………まさか」 膝と手を地面に着いて、自分を囲む魔法陣を目にすると、うっすらと光っているのがわかる。弧で接している、召喚の魔法陣も。 あれは確か、ハティとスコルを初めて召喚したときだ。契約していない、別世界の生き物を呼び寄せるために、門を開いた。そのとき、たくさんの魔力を使ったのだ。門を開き、開いた状態を維持するために。 キースがしているのも、その術なはず。なのに彼が消耗している様子はなく、代わりにリズのほうが魔力を抜かれている。 ということは、だ。 「あたしの魔力を、使ってる……?」 眼鏡のレンズで作られた虚像のキースの口の端が上がったのを見た。リズは予想が的中したことを知る。 「……んのクソ野郎!!」 苛立ちから地面に拳を降り下ろす。どうやったのかは知らないが、この魔法陣を使って捉えることで、リズをバッテリー代わりに使われているのだ。どんな下らないことを考えているのかと思えば、他人の魔力を強引に奪って術に使うなんて。 異常に気づいたレンやアーヴェントたちがキースを妨害しようとするが、周囲の騎士や魔術師たちに阻まれた。ユーディアがなにか叫んでいるが、聞き入れている様子がない。 とにかく、リズがどうにかしてこの魔法陣から抜け出さない限り、この術を食い止めることはできない。 まず、手で魔法陣の線を擦ってみる。消えない。やはりチョークなどで書いたわけではないようだ。指先で何度か撫でてみると、掘ってあることがわかった。更に、土とは違う質感。魔石の砕いたものでも流し込んだに違いない。これでは、溝を埋めることもできない。土を掛けても無駄だ。魔法陣を壊すことは不可能。 では、自分がここから出るしかないのだが、魔法陣の中心から一定距離しか動けない。その先へ行こうとすると、足を引っ張られる。見えない鎖付きの足枷を嵌められているかのようだった。鎖に繋がれた犬と同じだ。 大半が魔術師とはいえあちらの方が人数が多いので、ラスティたちの助けは期待できない。頼れる狼や精霊を呼び出すことは、今魔力を強引に吸い出されている所為でできない。他の術も同様。悪あがきに棒手裏剣を投げてみるが、キースに届く手前で弾かれた。防護の魔術を予め使っていたらしい。 なにをしても、防げない。リズは空を仰いだ。 ――本当に、魔術を取られたら役立たずなのだ、自分は。 [小説TOP] |