第23章 背徳の術師 1. 精霊は身体なくしても主が魔力を供給してくれている限り存在を維持できるが、その感覚が人間にはよくわからないらしい。どうして己の存在が認識できるのか不思議なようだ。それは生き物が形に縛られている所為ではないか、と主は言っていた。どういうことか理解できなかった。だが、形に拘る理由ならばわからなくはない。自分が人の姿で現れると、リズがこちらをしっかり見てくれているような気がするから、どうせならあったほうがいい。 しかし、今はその形は必要なかった。存在を認識される必要はない。むしろされてはならない。自らの身体を作らぬまま、宙に溶けた状態。このとき、ダガーは浮いている訳でもなく、歩いている訳でもない。ただ進んでいる、と答える他ない。この感覚を伝える語彙を持ち合わせていかった。ただ1つ。目線の高さは、人型のときと同じだ。そのほうが動きやすいから。 そうして、知っている顔のいない城の中を徘徊する。目的は、セルヴィスの手記。 外でなにかあったらしく、城内はとても慌ただしかった。お陰で行動しやすい。最も、実体化しない限り、人目につくことはないのだが。 慌てて通り抜ける人間を眺めていると、向こうから知った顔が走ってくることに気付いた。ダガーは脇に隠れると、実体化して、その人物を引っ張り込んだ。声を出されないように口を塞ぎ、耳元で名乗ると、相手はおとなしくなった。 ユーディアは振り返り、怪訝そうな表情を浮かべてダガーを見上げた。 「……どうしてここに?」 訝しむユーディアに、ダガーは用件のみを告げた。 「手記、何処にあるか知らねぇ?」 「まさか、盗みに来たの?」 ユーディアは目を丸くする。一か八かだったが、どうやらあたりらしい。知ってたならば、さっさと教えてくれればよかったのに、と思うが、連絡手段がなかったのかと思い至った。 「どうして、ここって?」 「ラスティに聞いた」 そう答えると、何故かユーディアは押し黙った。沈痛な面持ちで足元を睨むと、噛み締めた唇を開く。 「あの、外での騒ぎって……」 騒ぎ。さっき通りすぎた人間たちの会話を思い出す。慌てた様子の彼らは、町がどうのと言っていた。 ――そのことか。 「ラスティがやった」 「そんな……」 絶句、というよりは、落ち込んだ感じだ。あらかた予想はついていたのかもしれない。 「それで、ダガーくんは、彼が今どうしているか知ってるの?」 縋るように訊いてくる。ダガーはだんだん苛々してきた。ラスティのことよりも、今は手記を見つけることのほうが大事だというのに。 さっさと手記探しに戻るためにリズに確認を取ってみた。突き放すよりも、餌を与えたほうが効果的だと判断したから。 「リズと一緒にいる。そんなことより、手記の場所知ってんの? 知らないの?」 ユーディアはしばらく考え込んで、首を横に振った。 「残念だけど、何処にあるかまでは、知らない」 「心当たりは?」 「クラウスの部屋か、地下かも」 ラスティと同じ答えだ。もしかしたら場所を特定できるのでは、と思ったが、あまり効果はなかった。確率が上がっただけだ。そのクラウスの部屋という場所の位置を聞き出した。 「私も行こうか?」 「いいよ、足手まといだから」 ――質問攻めにされるのもうざいし。 きっと、ラスティのことについてたくさん訊かれることだろう。早く帰りたいので、そういうのは御免だ。 ダガーは霊体化して、床をすり抜けて地下へ潜る。 地下の部屋は、ちょっとした研究室だった。周りを牢が囲うなか、古い机が置いてあって、その上は本が山積みにされていた。ペンはスタンドに立っていたが、インク壺の蓋は開けっ放し。その隣に開き放しの本が置いてあった。 周囲に人間らしい気配はない。ダガーは実体化して、その本を手に取った。パラパラと捲って、その本が目的の品であることを確認した。 ――よし。 目的は達成だ。笑みを浮かべる。主であるリズの役に立つことが、ダガーの喜びだ。自分とサーシャしか知らないので断言できないが、精霊というものはおそらくそういうものだ。自分を形作り魔力を与えてくれた者――親と言っても差し支えない召喚主のために働くことを喜びとする。が、ただ従うだけではなく、主と行動することでいろいろ学び、ときに諌めることも厭わない。傀儡人形でなく忠実なる僕だと、ダガーはそう認識している。 さて、あとはリズの元に帰るだけだ。 出口がありそうな方向へと足を向ける。不便なのは、物を持っていると霊体化できないことだ。一緒に霊体化することはできないから、実体化したまま歩いて帰らなければならない。少し面倒である。 扉を見つけたので、それを目指す。周りの檻の中に合成獣がいたが、なにもせずに放っておいた。これらの存在について、既にリズは聴いているらしい。燃やしてやったほうが彼らのためかと思ったが、指示がないので保留。 ノブに手を伸ばしたときだ。 向こうから、扉が開いた。あまりに距離が近すぎて、霊体化する暇もなかった。ダガーと、扉を開けたその人は、互いに見つめあって固まる。 何処かで見たことがある気がした。シャナイゼでよく見られる平凡顔だから、その所為だろうか。 顔はともかく、どうしようか悩む。ここで今消えたりしたら、最悪指示したリズの身元が割れる。そうすると少し面倒なことになるだろうから、主のために避けたかった。かといって、殺すも躊躇われる。リズはやるときはやるが、殺人には基本的に否定的だ。 「双子の使い魔! 手記を取り返しに来たのか!!」 ダガーは首を傾げた。顔を合わせていくばくも経っていないのに、全てバレている。ということは、リズたちの知り合いか。さっきの既視感も気の所為ではないのだろう。全然思い出せないが。 『キース!』 リズと視界を共有したら、すぐに答えが返ってきた。 名前を聞いて、思い出す。禁忌に触れ、〈木の塔〉を逐われた魔術師だ。前にリズたちが追って、取り逃がした。つまり、彼は敵だ。 あのとき殺しておけば良かった、とリズが叫んでいる。たぶん、心の中だけでなく、本当に叫んでいるだろう。 それから、帰って来い、と指令があった。 短剣を1本だけ作り出して握りしめた。この短剣はダガーの力で作り出した物だから、手記と違って霊体化も実体化もダガーの思いのままだ。 「逃げられるとでも?」 キースは背後に魔法陣を展開した。水の術を使う気だ。それも、内容からして追尾性能を持った術。火の精霊であるダガーには水は相性が悪いし、振り切ろうにも出口は彼の背後で、狭いこの通路ではすり抜けることもできない。 これでは、逃げられない。 実体化していたならば。 「逃げられるよ」 ダガーは手記を床に放る。思わず手を伸ばしたキースの指の先で、まるで拒むかのように発火した。手記がたちまち火に包まれて、手を打つ暇もなく炭と化していった。 リズに、いざというときは燃やして良い、と言われていた。持ち帰るほうが望ましいが、最悪なくなってしまっても良い、と。このまま術を食らえば、ダガーは存在が維持できなくなるし、本を持ったままでは霊体化できない。本を持ち帰ることなど不可能だ。ならば、また奪われる前に、燃やしてしまうのが一番だ。 しかし、さすがに棄てるとは思っていなかったらしい。目の前のキースが、茫然と炭となった紙を見ていた。 「貴様! なんということをっ!」 憤慨したらしい、術の準備をしているのを忘れて掴みかかってくるのを躱し、ダガーは足先から霊体化していく。 「死ぬ準備でもしとけよ。リズと一緒にお前を殺しに来るから」 睨みつけながら、告げる。間違いなくリズはすぐに行動を起こす。 「それで食い止められたと思うなよ! 貴重な知識を灰にした罪、俺が直々に裁いてやるから、貴様こそ覚悟をしておけ!!」 取り残される者の捨て台詞は、何処か引っ掛かるものだった。 [小説TOP] |