第22章 振り下ろされた剣


  6.

「ちょ、ちょっと待てよ!」
 リグは慌ててクレマンスの腕を掴んで引き止めた。余裕がなくなったのか、敬語がとれている。
「アリシエウスを破壊って、いったいなにをする気だよ!」
「決まっている、街ごとあの破壊者を潰す!」
 は、とリグの口から声にならない声が漏れた。呆然として、手が振り払われたことにも気がつかない。代わりにグラムが叫んだ。
「たった1人のために、街ごと潰すっていうのかよ! あそこにどれだけの人が……」
「多少の犠牲はやむを得ん」
「多少って……」
 クレールの兵士。アリシエウスの騎士。それだけでもいったい何人いるだろうか。百歩譲って、戦争中だから彼らの犠牲は仕方がないにしても、あの街には他にも戦闘力を持たないアリシエウスの民がいる。とても多少と呼べる人数でない。
 そんなことをしたらどうなるか。世論の反発を招くことは間違いないことは容易に想像できるというのに。
「レーヴィン、貴様も魔術師の端くれだろう。手伝ってもらうぞ」
 振り払った手を、今度は逆にクレマンスが掴んだ。力任せに引っ張り、リグを連れて行こうとする。彼は頑なだった。聞く耳を持たない。
 リグは咄嗟に空いたほうの手で拳を作り、クレマンスを殴りつけた。リグの腕が解放される。
「……冗談じゃない。聞くかよ、そんな命令! 俺にただ戦いに巻き込まれているだけの人間を殺せって言うのか! しかも、あそこにはリズがいるかもしれないっていうのに!?」
「やらねばこちらがやられるのだ! 今はまだアリシエウスだけだからいい。だが、あれがリヴィアデールの街を襲ったら? 我が国は壊滅するぞ!」
 確かに、その危惧はある。グラムたちもラスティの人柄を知らなければ、同じことを考えるかもしれない。だが、
「だからその前にアリシエウスごと滅ぼすっていうのか!」
 さすがにそこまではしない。犠牲は少なく。
 このままでは埒が明かないと察したのか、精一杯講義するリグを無視して、クレマンスは舌打ちし、エリオットのほうを振り返った。
「ホーカス! 魔術師たちを呼び集め、準備しろ! 手段は問わん。とにかくアリシエウスを破壊するのだ!」
 上司の命令に、エリオットは戸惑いから視線を泳がせた。
「しかし……」
「止めろ!」
 リグはクレマンスの肩をつかみ、強引に振り向かせた。
 つかの間、クレマンスと目が合う。グラムは唐突に理解した。そこに浮かぶのは、恐怖――。
 ラスティの引き起こした事態に、恐怖に駆られて乱心したのだ。
「離せ」
「離すか! 今すぐ命令を撤回しろ。今なにをしようとしているのかわかって……」
 しゃん、と涼やかな音。そのすぐ後に、鈍い音が続いた。周りを取り巻いて不安げに様子を伺う人々の空気が硬直する。
「リグ!」
 リグがクレマンスの剣に刺し貫かれていた。目を見開いて、自らの胸に生えた剣を見つめるリグ。それを冷めていながらも狂気に満ちた目で見やるクレマンス。
「てめぇ!」
 すぐさまクレマンスに跳びかかり、相手を殴り倒す。支えを失ったリグの身体は、崩れ落ちるように地面に横たわった。
 周囲から、悲鳴とどよめきの声があがる。
「リグ!」
 痙攣しながら横たわるリグに飛び付いて、グラムは胸に刺さった剣の柄を掴んだ。
「抜くな!」
 ひと際大きな怒声を発しながら、カーターが人混みを掻き分けて現れる。
「抜くんじゃねぇ! 抜いたら、大量に血が出てすぐ死ぬぞ!」
 グラムは急いで手を離した。そうだ、その通りだ。そんなことをしたら出血のショックで死んでしまう。
「治療術を使える奴を呼んで来い! 大至急だ! それと誰かこの馬鹿を取り押さえろ!」
 カーターはグラムの傍らに立つと、〈木の塔〉の一団が固まっているほうへ向かって怒鳴りつけた。近くにいた〈木の塔〉の者たちが、カーターの声に従ってクレマンスを取り押さえた。クレマンスがなにか騒いでいるが、内容はグラムに一切届かない。
 何人かに抱えられてクレマンスが人込みの奥に消えても、治療術を使える者はまだ来なかった。
「おい、誰か白魔術の使える奴はいないのかよ!」
 リグの傍に手を突きながら、悲鳴に近い声でグラムは叫ぶ。リグの痙攣は止まらない。剣が刺さったままなので出血は少ないが、それでも肌が青白くなり、体温がどんどんと下がっていく。
 白魔術の使える奴。グラムは気が動転していながらも必死に目で、頭で探していた。周囲を見回しても、いるのはリヴィアデールとサリスバーグの兵士ばかり。思い浮かぶのは、シャナイゼに残っている者たち。ユーディア。そして、まさに今死にかけているリグの顔。
 リグはグラムの小隊での唯一の癒し手だ。リズは白魔術に関しては初歩の初歩しか使うことができないし、魔術に関しては道具に頼りきりのグラムには使えない。ウィルドは魔術を好まない。いつもリグに頼ってばかりで、それでなんとかやっていけた。それが裏目に出た。
 ――誰でもいい。誰でもいいから早く来てくれ。
 苛立ちと焦りに駆られ、拳を地面に振り下ろした。柔らかい地面が凹んで、黒い土が跳ねる。
「連れてきました!」
 ようやく待ち望んだ声。シャナイゼの〈木の塔〉の戦士が、同じく〈木の塔〉の魔術師の女の腕を引っ張って駆けてくる。魔術師の彼女は、事態を目の当たりにすると息を飲んで、戦士の手を振りほどいてリグに駆け寄った。
「退いてくださいっ!」
 細腕の魔術師に押しのけられて、グラムは数歩後ろに下がる。そのグラムと入れ替わるように、カーターがリグの傍らに膝をついた。そして、剣の柄に手を掛ける。
「準備は?」
「大丈夫です」
 走ってきたせいか、それともリグの命が危ういのか、早くも額に汗を浮かべながら、治療士は頷いた。2回深呼吸して、呪文を唱え出す。
「抜くぞ」
 カーターがリグの胸に刺さった剣を一気に引きぬいた。鮮血がカーターに掛かり、グラムの足もとまで流れてきた。グラムは奥歯をぐっと噛み締める。
 吹きだした血は、すぐに収まった。癒しの術が掛かったのである。
 傷の塞がったリグは、力を失い、目を閉じてぐったりと横たわっていた。カーターはその手の片方を取り指を当てると、グラムのほうを少しだけ振り返った。
「大丈夫だ。生きている」
 グラムは緊張から解放されて、脚の力が抜けてその場に膝をついた。



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