第22章 振り下ろされた剣


  3.

 戦っている途中でラスティの様子がおかしくなったと思ったのもつかの間、ラスティがなにもないところにアスティードを振り下ろし、目の前が白くなった。その視力を取り戻しても、グラムは目の前の光景を理解することができなかった。
 先ほどと打って変わった景色がそこにある。
 ラスティの目の前だけなにもなかった。瓦礫の山と、浅くもかなり広く彫られた穴。争っていた兵たちの姿も、敵味方を問わず見当たらず。リズと一緒に戦っていた騎士の姿もない。
 周囲は戦闘を忘れ、水を打ったように静まり返っている。
 ラスティは、だらりと剣を下ろして立ちつくしていた。
「ラスティ、お前、なにをした……?」
 自分の声が震えて硬くなっていた。ラスティは呆然とした表情でグラムのほうを振り返り、もう一度変わり果てた景色に目を戻した。
「これは……俺がやったのか……?」
 目の前に広がる破壊の痕跡は、とても人が剣を振っただけで起こせるものだとは思えなかった。だが、彼が手にしているのは、アスティード。1000年前、世界を滅ぼした破壊の剣。
「そんな、まさか」
 自らの起こした惨事に目を向けながら、数歩後ろに下がった。肩がグラムにぶつかるが、気づきもしない。
 理解が追いつかないが、これはアスティードによる破壊の結果なのだろうか。
 そこで、グラムはふと気付いた。――リズは何処にいる。
 まさか巻き込まれたのでは、と思っていると、隣にハティが跳んできた。口にリズを咥えている。ハティが助けてくれたようで、仲間の無事にほっとした。
 地面に下ろされたリズは、よろよろと立ちあがると、目の前の光景を見て絶句した。
「ラスティ……」
 呆然と呟いたあと、件の青年を見た彼女の顔はみるみる気色ばみ、
「この、馬鹿っ!」
 怒鳴りつけて、ラスティに掴みかかろうとする。しかし、今度はラスティの足のほうが力を失くし、座り込んでしまったために、その手は宙を掴む。
 アスティードが石畳の上に落ち、乾いた音が鳴った。
「まずいな……」
 グラムは、周囲の空気が徐々に変わりつつあることに気付いた。ラスティと同じように呆然としていた兵たちが我に返り、ラスティに敵意を向け始めたのだ。連合の兵士たちが刃をこの惨事を起こした青年に向けた。ラスティも敵意に気付いたのか、顔を上げる。しかし、呆然とその様子を見つめたままで、動く気配がない。
 おそらく、ラスティに逃げろ、と言っても通じない。だが、このまま放っておいたらラスティは彼らに討たれるし、制止したところで止まるかどうか。
 ふと、リズと目が合った。そのままじっと見つめ合う。考えていることは、たぶん一緒だ。
 目の前の彼女が苦笑いする。
「……あとは任せた」
 グラムは唇を強く結び、頷いた。
 リズはラスティの襟首をぐっと掴むと、そのまま引っ張りハティの胴体にうつ伏せの状態で乗せた。そしてアスティードを拾い上げると、ハティの胴に横から覆いかぶさるように乗っているラスティの後ろに跨る。リズとラスティを乗せた狼は、石畳を強く蹴って、背後にあった無事な建物の屋根の上に飛び乗ると、そのまま屋根の上を伝って何処かへと逃げていった。
 敵味方に関わらず、その姿を呆然と兵たちが見送っている。
 ――ここからが大変だ。
 これから怒るだろう、数々の面倒臭いことを思いながら、グラムは駄目もとで撤退命令を出した。

 逃げる、はいいが、いったい何処に行けばいいのやら。初めて来た場所である上に、ラスティの他に知り合いがいるわけでもなく、ハティは屋根の上を彷徨っていた。知り合いの匂いは感知しているらしいが、素直にそこに行っていいものか迷う。
 とりあえず周囲を窺おうと、一度狼の足を止める。周囲に敵影はなく、少しなら立ち止まっても大丈夫そうだ。
 狼から降りるときに何処か引っ掛けたのか、ラスティの身体も一緒に落ちた。脇を支えて起こしてやると、ラスティはふらふらと屋根の縁のほうへ歩き出す。慌てて手を引っ張って止めると、彼は錯乱した状態のまま叫んだ。
「離せ! もしかしたら、まだ助かる人がっ」
「無茶言うな。誰かを助ける前に、お前が殺されるって」
 本当に錯乱している。敵意に気づいていただろうに、なにを血迷っているのか。それに、あの瓦礫の山の中にとても無事な人間がいるとは思えない。
「どうして……っ」
 崩れ落ち、嗚咽を漏らす。彼の胸を占めるのは、あんな形でたくさんの人を殺してしまった後悔か、助けられない己の無力さか、多くの人に敵意を向けられたことによるものか。それとも、全てだろうか。
 彼の不運には本当に同情するが、今はそれどころではない。各軍がこの事態に対応しているかは知らないが、もしかしたら両軍ともこの被害を引き起こした人間を血眼になって捜すかもしれない。
 捜すだろう、とリズは思う。恐怖の根源を放っておきながら戦争をするほど、人間は図太くできていない。
「ラスティ、ほら行こう。今はとにかく逃げないと」
 腕を掴み、引っ張りあげようとすると、その手を振り払われた。
「お前の所為だ! お前が、エトワールを殺そうとするから……」
 アスティードを振り下ろす前のことを言っているのだとすぐに気がついた。あのとき、棒手裏剣を媒介にした術であの騎士の動きを止めようとしたとき、彼の眼には殺そうとしていたように見えたらしい。確かに状況から見ても、そう判断されても仕方ない。その点ではリズが悪いかもしれないが。
「だから、自分に罪はないと……?」
 アスティードを持つ拳を握りしめ、子どものように喚いたラスティを見下ろす。一時の感情に任せて言った言葉だとしても、まるで自分に非がないような言い方をするのは、とても許せるものではない。
 リズは剣を放ってラスティの胸倉を掴み引っ張り上げると、頬を打った。
「目を逸らしてんじゃねぇ! 確かに原因を作ったのはあたしかもしれないし、お前にそのつもりはなかったかもしれないけど、やったのはお前なんだ! お前があの惨事を引き起こしたんだよ!」
 突き飛ばすと、屋根の上に尻もちをついた。そのまま立ち上がろうとせず俯くラスティを見下ろし、冷静になるように自分に言い聞かせて、リズは続けた。
「受け留めろ。でなければ、自分の罪に押し潰されるばかりだぞ」
 こんな傷口に塩を塗り込むようなことをするのは、本当は少し心苦しい。しかし、リズはそういう人を多く見てきた。自滅する人もいたし、リズが手を下したこともある。かくいう自分も、いつそうなるかわからないところにいる。
 だからこそ、図らずもこちら側へ来てしまったラスティに、滅びの路を歩ませるわけにはいかない。
「大丈夫、私たちはお前の味方だから。見捨てたりしないから、だから逃げるな」
 戦争では“敵”だったが、リズたちは友人を止めたつもりはない。それに今、リズは“味方”を捨て、逃亡した身である。心置きなく、ラスティの味方でいられる。
「……本当に?」
 そう言って見上げる瞳は、迷子の子犬のようだった。不安に揺れていて、しかし縋るようにじっと見つめてくる。先程敵意を向けられたのが、よっぽど堪えていたらしい。非難の眼差しや敵意は、アリシエウス側からも出ていた。味方を失ったと思っただろう。
 本当に、純粋で繊細な奴だ。
 リズはラスティを安心させるよう、微笑んだ。
「あんたの性根が、修正不可能なほどに腐らない限りね」
 冗談めかして言うと、ラスティはぽかんとした後に少し笑った。ようやく自分を取り戻したようだ。その頭をぽんぽんと叩いた。
 すっかり穏やかな表情を取り戻したラスティは、立ち上がると頭を垂れた。
「……八つ当たりして、悪かった」
「……うん」
 ただ頷いた。気にするな、とは言わないし、友人を救えなくて悪かったとも言わない。どちらも言葉にすれば、ラスティは気に病むだろう。前者は許されたことへの罪悪感。後者はリズを責めたことによる罪悪感。重大な罪に苛まれている彼に、今はこれ以上の精神の負担を掛けたくなかった。心の中でだけ謝っておく。
「さて、今はとにかく逃げるよ。償う方法を考えるのは、それからだ」



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