第2章 現に在りし神の遺物


  2.

 陽が落ち、星々が空を覆い尽くした頃、ラスティはハイアンの執務室に向かった。先日ディレイスと共に入った部屋だ。執務室にしてはいささか広すぎる部屋を、机の左側にのみ置かれた燭台が照らし出す。作業をするには暗すぎる。汚れひとつない赤い絨毯の中央左側に面積の広い樫の机があり、その角に行儀悪くもディレイスが腰掛けていた。
 ディレイスがいたことに少し驚いた。そして、どんなときも気軽に声を掛けてくる彼が深刻そうな表情でなにも言わないことに更に驚く。いつもとあまりに違う様子に、ラスティの喉は干上がった。
「アリシエウスには、不愉快にも民よりも大切な使命がある」
 椅子に腰掛けていたハイアン王は、机の上に肘を乗せて手を組み合わせながら、ラスティの目をじっと見て、開口一番そう言った。なんのことなのか全くわからず首を傾げるが、とにかくラスティは黙って話を聴くことにした。
 ハイアンは傍らから何やら細長い物を取り出す。それは暗色の古い布に包まれていた。それを丁寧に机の上に置く。
「……それは?」
 ハイアンは包みに封をしているこれも古い赤色の紐に手をかけた。布の中にあったものが露わになる。
 剣だ。抜き身の、なんの変哲もない剣。装飾は少なく刃が鋭いために、展示用の品ではない。柄は朱で、派手なところといえばそこだけ。刃は銀色に光っている。
 だが、何処か惹かれるものを感じた。同時に怖れも抱く。普通の剣とは明らかに異なっている。
「“アリシアの剣”だ」
 予想だにしなかった言葉に茫然とした。しばし脳内の中でハイアンの言葉を反芻したあと、ラスティは口を開いた。
「なんの冗談だ」
 あまりに突拍子もなさすぎて、笑えもしない。神話に登場する伝説の剣。それがアリシエウスにあって、目の前の剣がそれだなんて、まるで子どものほら話だ。
「冗談じゃない」
 ただ淡々とハイアンは言う。
「はるか昔に、初代アリシエウスが女神からこの剣を預かった。なにが起きてもこの剣を守れ、という命と共にな。そして、長い間私たちはこれを隠し続けてきた」
 ふとこの前酒場に言ったときのことを思い出す。サリスバーグがら来た少年。彼がアリシアの剣を探していると言っていたとき、ディレイスの様子がいつもと違っていた。自分から訊いた癖に、まるで話に興味がないように振る舞っていた。
 もしかしたらそれは、その剣が本当にあると知っていたからではないか。だが、言うことはできずに黙っていた。
 ――そんなまさか。
 神の遺物が実際に存在することを信じることができず、思考を止めるラスティに構わずに、王は話を進める。
「しかし、遂にこの剣の存在がばれてしまった」
 それだけでラスティは、ハイアンがなにを言いたいのかを察した。
「クレールの目的、これがそうだ」
 ラスティは顔を顰めた。
「こんな物のためにか」
 ラスティには、ただの剣にしか見えない。とても戦の火種になるような代物には見えなかった。
「ただの神の遺物というだけじゃないんだ、これは。旧世界の崩壊はアリシアの力によって行われたわけではない。この剣の持つ力によって行われたんだ。……これで、わかるだろう」
 伝説の剣が存在し、それには神の力が宿っているという。つまり、その剣を手に入れられれば、神に等しい力を手に入れることができる。それを知ったら人間は、殊に力に執着する人間はどうするだろうか。
 どんな手を使っても、手に入れたいと望むのだろうか。
「……噂は本当なんだな?」
「その可能性が高い」
 ハイアンが頷く傍らで、黙っていたディレイスがようやく口を開いた。
「確信持って言えるね。近いうちに奴らはこの国を攻めてくるって」
 彼はラスティが迎えに行ったあの日のあとも街へ出ていたらしい。もちろん、目的は情報収集。ハイアンが黙っていたのだから、彼が命じたのか。王子の不在に、官たちは愚痴を溢していた。
 ディレイスが直々に集めてきた情報だ。信頼度は高い。クレールは本当に近日中にここに攻めてくるのだろう。クレールはなにかと隣国――主に南のサリスバーグと小競り合いが多い国だ。どちらかといえば平和ボケしている部類に入るこの国は、たちまち捻り潰されてしまうに違いない。
 大きな兵力を備えた国が、剣1本のためだけに、自分たちが生きていく程度の力しかないこの小さな国を攻めるのだという。
 ――馬鹿馬鹿しい。
「……馬鹿馬鹿しいと思うだろうが」
 ラスティの心を正確に読み取ったように、ハイアン。
「もっと馬鹿馬鹿しいことをお前にしてもらう」
「もっと……、馬鹿馬鹿しい……?」
 ハイアンは机の上に置いてあった剣を、訝しむラスティのほうへ押しやった。
「今夜、お前にはこの剣を持ってこの国から出て行ってもらう」
「なっ……!」
 ばん、と思い切り掌を机に叩きつけ、身を乗り出す。
「この時に何を言っているっ!!」
 国王は動じず、冷静な群青の瞳で見つめ返してきた。
「言っただろう。アリシエウスには民を守ることよりも大事な使命があると」
 それがこの剣だというのか。民の命より、この剣1本守るほうが重要だと。
 手を握りしめる。叩きつけた時の痛みがまだ掌に残っていた。
「ふざけるなっ!」
 手を振り払うと、机の隅に乗っていた書物が落とされた。背表紙から落ちなかったために本は開いたまま床に広げられ、ページが折れ曲がったりしているが、誰もその本を気にかけもしない。
「本当にクレールが攻めてくるのだとしたら、俺のすべきことは国を守ること。違うか」
「違う。今私が命を与えた。お前の役目は剣を守ることだ」
 ハイアンは溜め息を吐いたあと苦笑した。
「国王の命令では動かないか? それならば、友の頼みとしてならどうだ。どちらでおまえは動く」
 ラスティは奥歯を噛み締め目を逸らした。普段なら、どちらでも動く。騎士として主の命に従うことは当然のことだし、友の頼みならできる限りきいてやりたいと思う。けれど、これは話が違う。
「すでにお前を騎士から除名した。だから、お前には国を守る義務はないし、ここに残ることも叶わないぞ」
 卑怯とも言えるやり口に怒りを覚え、もう一度目の前の王を睨む。はじめから拒否権など存在しないのだ。なにがなんでも、ラスティを追い出す気らしい。
「何故俺なんだ」
 長い付き合いだ。自分が断ることくらい、わかっていただろうに。
「決まってるだろ。お前が、この城の中で誰よりも信頼できるからだよ」
 ディレイスは机から下りると、ラスティの前に立ち、真摯な瞳でこちらを見つめた。親友の群青の瞳を見てしまったラスティは、コカトリスの眼を見たときのように、身動きができなくなった。
「贔屓だけじゃ決められない。だから、人員整理も兼ねて、城の人間たちを調べた。それだけじゃない。アレックスたち国の人間もだ。1週間懸けて兄貴と話し合って、実力、人柄、すべてにおいてお前が一番だという結論に至った」
「…………」
 信用されての結果だという。普段なら喜ばしい事実も、今は複雑だ。
「ラスティ」
「俺はっ」
 懇願するようなディレイスの声を振り払うように、ラスティは声をあげる。これ以上、なにも聞きたくない。
 頭の中がぐるぐると回転している。あらゆる拒否の言葉を考えているが、結論は既に決まっていた。この剣を受け取り、アリシエウスを出ていくしかないのだ。だが、それを素直に受け入れることができず、ラスティは躊躇した。
 ハイアンとディレイスが、黙ったままこちらを見ていた。その表情は心配そうというよりも、申し訳なさそうで、つまりラスティがどんな決断を下すのか、わかっているのだ。
 ――卑怯だ。
 断れないとわかっていて、話を持ち掛けた。これを卑怯と言わずに、なんと言う。
 だが、結局ラスティに断る道はなく、仕方なしに口を開きかけ――。
「だったら、僕が貰ってもいいですか?」
 突然の侵入者に3人は顔をあげた。声は部屋の暗がりから聞こえた。ラスティはどうもその声に聞き覚えがある気がして、記憶を浚う。
 だが、思い出すまでもなかった。暗がりに浮かんだ白っぽい金の髪と、爛々と輝く赤い瞳を認めたディレイスが、その名を呼んだ。
「レン……?」



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