第20章 嵐前


  3.

 かつてのハイアンの執務室。そこに1人で来たラスティは、腰に下げていたアスティードを鞘ごと抜いてクラウスの座っている机に置いた。背後では、クラウスの秘書でもやっているのか、ユーディアが立っていて、不安そうにこちらを見つめている。
「……これは?」
 我が物顔で机を使うクラウスは、ラスティを見上げた。
「あんたたちが探していた、アリシアの剣だ」
 息を飲んだのはユーディアだ。まさか見せるような真似をするとは思わなかったのだろう。余計なことを言う前に視線を投げて黙らせた。
「本物か?」
 手を伸ばしたクラウスから遠ざけるように、剣を引き寄せた。見せておきながら引き渡さないので、クラウスは眉を顰める。
「この国の王たちが1000年間受け継いで来たものだ。少なくとも、あんたたちがこの国を滅ぼしてまで手に入れようとしてきたものに違いはない」
 本当は、更に闇神と破壊神に本物だと認められているのだが、それは言わなくていいだろう。説明が長くなって面倒だ。
「……それで? それを私に見せて、どうしようと言うんだい?」
「その前に、1つ聞かせろ。アリシアの剣を狙っているのは何故だ?」
 クラウスは興味深げにラスティを眺め、机の上で手を組んだ。
「クレールが欲しがるのは、ただ単純に強力な兵器が欲しいからだね」
 神の剣も兵器の1つとは、とても宗教と政治が結びついている国の考えとは思えない。しかし、神の力を欲しがるというあたりは、軍事でいろいろやってきたクレールらしい。
 クレールが、というところが気になるが、どちらにしろ、好都合だ。
 ラスティは勝負に出た。
「剣は渡せない。だが、剣の力をあんたたちにやろう」
 クラウスが口元を歪めるのを、冷めた表情で見ていた。
「それはつまり、君を戦力に加えさせろ、ということかな」
 ラスティは頷いた。
「欲しいのが兵器としてでいいのなら、俺がおまけで居ようと関係ないはずだ」
 これがさっきクロードに言った、復帰するための考えだ。ただ乞うだけでは、望みが薄い。だが、付加価値があればどうだろう。そのおまけとして、アスティードを選んだ。
 剣を手渡すことは決してできない。ハイアンがラスティに預けた意味を、よく理解しているつもりだ。もちろん、剣を振りかざすのも裏切り行為。けれど、剣の為に国を捨てることのできないラスティには、これが精一杯の妥協点なのだ。
 せめて自らの意思で振るうこと。民に害がないようにすることが、今、ラスティにできる唯一のことである。
「その代わり?」
 相手はそれだけではないことを理解している。そうだろう。ただ戦力として加わるためだけに、アリシアの剣を交換条件に提示するには、あまりにも高すぎる。それについてはラスティも悩んだ。だから、もう1つ付けることにしたのだ。
「合成獣を作るのをやめろ。それから、既に作ってしまったものを戦場に送ることもだ」
 合成獣。これだけはなんとしても止めたかった。その為の策を、レンたちと考えていたのだ。アリシエウスの民が実験材料にされるのを見過ごすことなどできないし、レンとアーヴェントの怒りや悲しみを間近で感じた。だから、周りが容認しないこの取引を持ち掛けた。
 だが、この取引、自分にばかり都合のいい内容だ。それを相手に感じさせないことが一番の要だが……。
「大胆な発言だな。自分にそれだけの価値があるとでも? 本物である保証もないのに」
 思わず赤面しそうになった。アスティードは確かに良い商品だ。だが、ラスティ個人の兵力はどうだろう。レンに手を焼き、グラムとは同等。リグとリズは、魔術を使われたら勝てるかわからない。使えないとは言えないだろうが、兵力として作った合成獣の代わりになるかと言われれば、自信はない。
 ――失敗か……いや。
 一瞬、目を閉じ頭を冷やす。動揺してはいけない。滑稽であろうとなんであろうと、今さら引くことはできない。あとがない。
「どう思われようと、剣については、俺ごと使うか諦めるかの2択だけだ。渡すことはできない。そして俺は、合成獣を作っているような奴に従うことはできない」
 あくまで剣を売り込む。アスティードならば、それだけの価値があるはずだ。
 本当は唾を飲みたくとも口の中が干上がっていて叶わず、気が気でない状態だが、そんなことはおくびにも出さず、クラウスの返事をただ待ち続ける。
「いいだろう。条件を飲もう。神の剣の力、条件付きとはいえ、ここで手放すなんてもったいない。こちらも合成獣にこだわらなければならない理由はないし、すでにその剣は、私自身が手に入れてももはや意味のないものだ」
 ――通った。
 安堵しそうになるのを、唇をしっかりと閉めて堪える。彼の言葉に違和感はあったが、それを突き詰める余裕はなかった。
 剣を取り、腰に着ける。手続きについて聞いたあと、ラスティは退出を申し出た。
 ドアノブに手を掛けたとき、クラウスが一言付け加えた。
「君はあまり交渉には向いていないようだね」
 振り返らず、返事もせずに、ラスティは扉を開けた。

 部屋を出て、溜め息を吐いた。慣れないことをした。確かに自分は、交渉には向いていない。自分の都合のいいように事を運ばせることが苦手なのだ。今までこういうことが必要になったことがないので気がつかなかったが。
 賭け事が得意なわりに、こういう勝負は下手だ。自分で痛感する。だが、結果的に自分の望む通りになったのだ。それだけを見て、あまり深く考えないことにする。
「いいんですか? あんなことを言ってしまって」
 ラスティを追って執務室を出てきたのか、ユーディアがいつの間にかそこにいた。難しい顔をして立っている。
「クラウスが奪うかもしれないのに」
「そういう奴なのか?」
 ラスティは壁に背を預けた。交渉を終えて、身体が虚脱してしまったようだ。
 答えを待っていると、ユーディアは俯いた。
「昔なら違うと言えましたけど、今はわかりません」
 ラスティは笑った。彼女は正直だ。自分も相手も誤魔化さない。そのぶん、悩みも深いだろう。晴れやかな表情を見たのは、〈木の塔〉の屋上で話したときが最後だったか。……いや、そもそもそのとき以外に見たことがあっただろうか。
 悩みが深いのはその通りのようで、やはり表情を曇らせたまま、ユーディアは口を開いた。
「……セルヴィスの手記を知っていますか?」
「グラムたちに盗んだ犯人と勘違いされたことがある」
 思えば、あれも人生の大きな分岐点だった。あそこで手記泥棒と疑われなければ、ラスティはグラムたちのような貴重な友人を得られなかっただろうし、ここにもいなかっただろう。なにより、なにも知らずに神に振り回されていたのかもしれない。今も振り回されている可能性はあるが、その事を知っている。これは大きな違いだ。
「クラウスが持っているんです。たぶん、合成獣にこだわらないというのは、その所為です」
「他にも手はあるということか」
 合成獣はなくとも、盗んだ書物に書かれた魔術がある。そういうことか。ならば、損失など少ないのかもしれない。ラスティの挙げた条件なんて、大したことはなかったのだ。
 結局、自分のしたことはなんだったのだろう。望み通り、騎士に戻ることはできたが。
「世界を滅ぼすだけの力を持っていても、戦争どころか1つの悲劇すら止められないんだな」
 力を持っているだけでは、使いこなすことができない限り、無力のままなのだ。なんて惨めなのだろう。



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