第20章 嵐前


  4.

 眼下にアリシエウスの街並みが広がっている。昔はのびのびとしている国だったが、今は何処か陰気な気配が漂っていた。王を亡くした所為か、クレールの支配が原因か。いずれにしても、なんだか複雑な気分にさせられる。
 1000年生きてきた。いろんな土地に行った。物事に盛衰があるのは知っていた。いつかこの国もその道を辿ることはわかっていた。だが、いざ目の当たりにすると、悲しい。
「相変わらず、高い所が好きなようですね」
 掛けられた声は、馴染みのあるものだった。闇神オルフェ。シャナイゼで別れて以来だった。
 彼がここにいることに、嫌な予感しかしない。
「相変わらず、と言えるほどの付き合いだったかしら?」
 苛立ちも隠さず、振り返ることもなくアリシアは言った。確かに、自分は1000年以上前から、高いところから街を見下ろすのは好きだったけれども。
「深くはないですが、なにぶん年月は長い。観察していれば、気が付きます」
 アリシアとオルフェは、同じ国の軍に所属していた。言うなれば、同志だ。1000年も前のことである。だから、他の2人に比べて付き合いがあるのは確かだが、仲は良くなかった。彼は道具のごとく、なんの感情も抱かずに人を殺す人間だった。そんなオルフェが好かなかったのだ。理由は知らないがそれはオルフェも同じなようで、顔を合わせればいがみ合うのは、もはや普通のことだった。
 深くない、とは親しい間柄ではないという意味だ。
「一応訊くけど、どうしてここに?」
 仲は良くないが、嫌悪するほどではない。抱いていたことはあったが、とうの昔に止めた。今はただ、同じ境遇の者としてたまに言葉を交わす程度だ。
「エリウスの命で」
 簡潔に返ってくる。わかりきっていたことだった。感情なく人を殺す彼は、四神の中で最もエリウスに忠実だった。歴史や伝説など大概捏造されるものだが、彼の裁きがエリウスの命によるものと言うのは、本当のことである。
 “エリウスの懐刀”とは、世間ではオルフェの裁きの執行者としての性質を示すものであるが、アリシアにとっては彼を皮肉った言葉である。
「なにをする気なの」
「気になりますか? 世界に興味がない貴女が」
 確かに、アリシアは世界のほとんどの事に興味がない。自分が壊したあとにできた世界がどうなろうと、関心がなかった。少しでもあったのなら、1000年前に世界の破壊などしなかったはずだ。だが、それでも、
「生きている限り、どうしても執着するものはできてしまうわ」
 なにせここは、
「ヒューバートの造った国だから、ですか」
 アリシアの部下であったヒューバート。一番信頼していたのは、彼だ。いや、もしかしたら、それ以上の感情を持っていたかもしれない。世界を破壊するのを躊躇するほどではなかったが、アスティードを預けるに足る相手。神ではなかったから、いずれ死ぬとはわかっていたが、彼の死はアリシアにとって大きな損失であった。
「エリウスの所為で、ヒューバートの子孫たちが居なくなってしまったわ」
 王族は先のクレールによる占領戦で全員亡くなった。まあ、貴族たちの中には少しは交じっている者もいるかもしれないが、直系の子孫はもういない。
「貴方にはわからないでしょうね、この気持ちは」
「……いえ、最近ようやくわかるようになりました」
 八つ当たりと皮肉をこめて言ったら、オルフェの声が陰ったので驚いた。あまりに珍しくて、アリシアはようやく振り向いた。オルフェの顔に、憂いの表情が浮かんでいる。それは、今までに見たことのない表情だった。
 最後に彼に会ったのはいつだろうと振り返る。100年は経っていなかった。だが、2、30年は過ぎている。その数十年の間に、彼を変えるなにかがあったのだ。……いや、ここ2、3年のことか。
 思い浮かぶのは、ラスティに無理やりついていった旅先で出会った愉快な少年たち。禁術などを使っていたのだ、それはもういろいろあったに違いないが、今はしがらみもなく接し合っているようだった。以前アリシアが追及したときなど、庇いもしている。今思えば、楽しそうにしていることもなかっただろうか。
 ――あの、オルフェが。
 変わるのだ、物事は。なんであっても。1000年近く変わらなかった彼の心が、普通の人間の一生からしても短い時間で変化しているのだから。
「エリウスは、どうやら混乱を起こしたいようです。そして、できるだけ1000年前に近い状況を作り出す。ラスティさんがアスティードを振るうように仕向けるようです」
 今のはさすがに聞き捨てならなかった。
「何故」
 オルフェの答を聞いたアリシアは、自分でも珍しく思うほどに憤慨した。
「相変わらず……。そんな訳のわからない理由で、納得できるわけがないわ!」
 守るべき友人を失った純粋な青年の傷口に塩を塗り込むような行動の動機が、そんなものではとても納得できない。
 生きていればどうしてもなにかに執着ができてしまう。ラスティもまた、アリシアにとってはそうだった。他の人間がどうでもよくても、それなりに深くかかわった人間のことはやはり気にかかる。
「貴方もよくそんな命令に従ってこられたわね」
 大事なものができて、アリシアの気持ちが少しでも理解できるのなら、とても素直には従えないだろうに。それがリズであっても、同じことができるのだろうか。
 やはり、彼は駄目だ。
「……もう、やっていられないわ」
 こんな、よくわからないものに振り回されて、憂うばかり、失うばかりの人生、もうごめんだ。



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