第20章 嵐前


  1.

 ここ数週間で、ルクトールの衰退は著しかった。襲撃にあって以降、ルクトールは閉鎖的状況にある。解放されてからも、クレールとの国境に近いからというので、敵の侵入を阻むためという名目で、街の出入りが禁止されてしまったのだ。お陰で、交易の街の活気は失われ、街の住人は家に閉じ籠る始末となる。
「陰気だねぇ」
 食事を終え、残った酒を飲んでいると、店内の寂しさと空気の重さに耐えられなくなって、グラムは呟いた。今日は珍しく、双子までが酒に付き合っている。
 活気の乏しさは、盛り場である酒場にまで及んでいた。闇も深くなってきたというのに、この場に客はグラムたちしかいない。ここは街の住人が好んで訪れる穴場だが、今ルクトールの住人には酒を飲みに来る余裕などないようだ。
「軍人さんが滞在するようになってから、商売上がったりだよ」
「ごめんなさい」
 グラムたちは国仕えの身ではないが、期間限定で軍人だ。申し訳なくなって謝ると、店長はグラムたちの胸についたバッジに気がついて、慌てて訂正を入れる。
「いやいや、〈挿し木〉の人はいいんだけどね。お世話になったし」
 〈挿し木〉ではないが、嘘ではない。〈木の塔〉と〈挿し木〉の意匠は同じものだから。ややこしいことこの上ないが。
 なんでも、少し前まで〈挿し木〉の紹介で賭けのイカサマを暴いてくれる剣士と、女受けのいい少年が用心棒をしていたらしい。なんだか心当たりがあったが、茶々入れる雰囲気ではなかったので、そのまま黙っていた。
「クレールに襲撃されてから、軍人以外の人は来なくて、物が全然入らなくてね。小さな店は商売にならなくて閉めちゃってるし、この街はほら、商売一本だから食べ物も作ってなくて、食糧は減る一方だ。なのに、軍に持ってかれてねぇ……」
 街の出入りを規制されていることで、交易で成り立っていたこの街の物流は滞り、品物に関わらずなにも入ってこないのだという。物が入ってこなければ、商売は成り立たない。その中で特に深刻化しているのが、食糧だ。ここは交易が目的で作られた街だから、作物など作っておらず、食糧は外部に依存していたため、現在、軽く食糧難に陥っている。
「おっさん、これもう1本ちょうだい」
 グラムは今飲んでいた酒の瓶を持ち上げると、店長は、はいよ、と返事をして背を向けた。屈んだあとに振り向いて、カウンターの上に酒瓶を置き、栓を開けてくれた。
「早く撤退してくれれば良かったんだがなぁ」
 グラムが酒を注ぐのをぼんやり眺めながら、愚痴る。リグが憂いながらそれに応えた。
「サリスバーグの兵まで来てしまいましたからね……」
 ルクトールの一件で憤慨したサリスバーグが、昨日合流したのだ。グラムたちに誘いがかかった当初の予定では、もう少しあとに合流するつもりだったが、もういてもたってもいられなくなったらしい。ルクトールの件にかこつけて、これまでの恨みを晴らす気ではないのか、とリズは見ているらしい。
 サリスバーグは、これまでにクレールと揉めることが多かった。動機として、主に交易の問題などが挙げられる。戦争にいたるまでの規模ではなかったが、小競り合いは多く、特にクレールとサリスバーグの国境付近では、4,5年前にちょっとした紛争を起こしたこともある。そこにアリシエウス等の小国の吸収、そしてルクトールの襲撃。先に襲われたのはリヴィアデールのほうだが、ルクトールは3国の国境に近いため、サリスバーグのほうも他人事ではない。
 そうして、リヴィアデールとサリスバーグは、現在連合軍として機能しつつあった。
 つまり、当分出ていく様子などない、ということだ。
「ほんと、不景気な話だよ」
 店長ともども溜め息を吐く。グラムたちもこういう殺伐とした雰囲気は苦手だった。とりあえず、自他国に関わらず動向を伺っているが、現状を把握するたびに気が重くなるばかり。
 酒場の扉が軋んだ音を立てて開いた。珍しい来客に全員が目を向けると、疲れた顔をしたカーターが現れた。
「どうでしたか、そっちは」
 席を薦めて、リグは尋ねる。すかさず店長がグラスを出し、注文を聞く前に酒を注いだ。大酒飲みのカーターは、この店によく通っているらしい。
 カーターは〈挿し木〉の代表として、今まで軍の会議に出席していた。クレマンスをはじめとしたリヴィアデールの軍とグラムたち〈木の塔〉に、さらにサリスバーグも加わり戦力を増大させたので、クレールに攻め入ろうという話が出ているのだ。〈挿し木〉も〈木の塔〉の一部として、協力を要請されている。
「どうもこうもねぇよ。南のお偉いさんは奴らをぶっ飛ばしてやる、なんて息巻いてるぜ」
 呆れた、というより疲れた様子に、グラムたちは違和感を覚えた。“鬼将”の名を冠すこの人が、珍しく戦いに乗り気ではないように見えたのだ。
「カーターさんは、反対ですか」
 リズが探りを入れてみると、なんと肯定した。
「まあ……よ。戦争反対とか、そういうわけじゃねぇんだが」
 視線をテーブルに落とし、酒を呷る。戦い好きのカーターは、戦争を否定しない。
「ただ、奴さんらがなんも考えてねぇのが一目瞭然なんだよなぁ……。このままだと、街の戦力総動員で突っ込みかねない」
 というか、実際に言った人物がいたそうだ。はあ、と3人そろって呆れた。そんなことをしたら、街が手薄になってしまうことは、誰にでもわかるだろうに。
「ま、そこまで馬鹿じゃねぇとは思うし……、仮にそうでも全員が賛成するとは思えねぇから、もうちょっとマシにはなると思うけどよ」
 そうですね、とリズは笑う。実際、そうでないと困る。でなければ、無駄死にする人間ばかりが増えてしまう。
「因みに、何処に向かうかは決まってるんですか?」
 場所は重要だ。事前に戦地に関する情報を集めておけば、戦略の立てようもある。
「ああ。アリシエウスだ」
 最悪ともいえる3人そろって深い溜め息を吐いた。
 予想はしていた。確信もしていた。だが、いざそう言われるとやはり苦いものがある。
「なんだ、なんか問題があるのか」
「アリシエウスは、ラスティの故郷ですよ」
「じゃあ、もしかするとあいつあそこに居る可能性があるのか」
 苦い表情でリズは頷く。
「だけど、止められねぇだろ。クレールの軍勢がアリシエウスを拠点としているのは明白だ。そのうえ、あいつらがルクトールを襲ったときに連れてきた魔物はアリシエウスに居るって話もあるくらいだ」
「あれ? たしか魔物はカーターさんたちが殲滅したんじゃ……」
 ルクトールを襲った魔物たちは、〈挿し木〉の者たちが殲滅したという話を、以前グラムたちは聴いていた。確かめるようにリズを見ると、彼女は両手を広げて肩をすくめた。
「そのとき襲ったのが、飼っている奴全部とは限らないだろ? まあ、どれくらいいるのかはあんまり想像したくないけど」
「あー、そっか」
 今更理解するグラムの横で、カーターは頷いてみせた。
「そういうことだ。軍部はもう乗り気だ。近々招集があると思うから、準備しておけよ」
 そう言って酒代を払うと、後ろ手に手を振って去っていく。大酒飲みが酒を1杯で済ませたというあたり、彼も本調子でない。
「最低だな……。人間の争いに、人間以外の生き物を使うなんて」
 誰にともなくリグは吐き捨てる。何処か自嘲めいているのは、スコルたちのことがあるからか。双子たちは、狼や精霊を都合よく使うことに罪悪感を感じているから。
「それが魔物だからいいなんていう考えだったら、もっと赦せない」
 拳を握りしめ、憎悪を滲ませながら低く呟いた。これについてはグラムも強く同意する。魔族アーヴェントの存在がその思いを強めていた。もし、彼がクレールの魔物たちと同様に扱われたとしたら、と思うと、とてもやりきれない。
「どうせ戦うんだ。ついでに止めてやるさ」
 殺すことになってしまうんだろうけど、と付け足して、リズはグラスの中の残りを呷った。



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