第19章 哀れな生き物 3. 朱い柄の剣を眺めやっていると、いつの間にかユーディアが傍にいた。彼女はラスティが覆った黒い上着に手を伸ばしていた。その腕を掴んで止める。抵抗するかと思ったが、ユーディアは抵抗しなかった。 「私の所為だ……」 ラスティに腕を掴まれて呆けたまま擦れた声で呟く。 「私が、マリアを止めることができれば……。ううん、その前にここを退いていればよかったんだ……っ!」 腕に縋りついて嗚咽を漏らす彼女に、ラスティは肯定することも否定することもできなかった。ただされるがままになるほかない。慰める言葉が見つからないのだ。 「嬢ちゃんの所為じゃねぇよ……」 アーヴェントの声が虚しく響く。 ユーディアは涙を拭うと、ぼそぼそとなにかを呟き始めた。片手はラスティに縋りついたまま、もう一方の手をアーヴェントのほうへ伸ばす。 アーヴェントの傷が消えていった。癒しの術である。 「ありがとうな」 囁くような低い声に黙ったまま頷くと、ユーディアは立ち上がった。おぼつかない足取りでレンのほうへ近づくと、彼にも癒しの術を掛け始めた。 「これからどうする? 動けるようにはなったが……」 怪我が治ったことで早くも元気になったのだろうか、さっきよりは力のある声でアーヴェントは問いかける。 「そうだな……」 レンとアーヴェントの傷は癒えた。だからこのまま行動することも可能だろう。今回の一番の目的は、アリシエウス城で合成獣が造られているかどうかを確かめることだった。それは、あのマリアという騎士が合成獣を呼んだことですでに確認済みだ。 「これだけの騒ぎがあったんだ。いつ兵が来るとも知れない」 ラスティとしては止めたいと考えているのだが、1匹で苦戦しているのだ。これ以上は無理だろう。 「撤退か?」 ラスティは頷いた。 「遅かったようですよ」 階上からいくつかの足音が聞こえる。いずれも重い足音。ということは、武装しているのは間違いない。女騎士の悲鳴で駆けつけてきたのか。そうでないにしろ、もたもたしていたラスティたちに非がある。 レンが魔術の光を消した。 とにかく、地下と地上を結ぶ階段は塞がれた。こうなっては前に進むしかない。ラスティは2人を促して奥へと進む。ユーディアもついてきた。もともと奥に行くつもりでここに来たのだ。 地下とはいっても王族の住む城の地下。平和だったアリシエウスではほとんど活躍しなかったが、城は砦の役割も果たす。そういったところに隠し通路が備わっているのは、もはや常識といっていいほど当たり前のことである。ラスティの記憶では、確か脱出口は牢獄の何処かにひとつあったはずだ。本来ならそこに在って欲しくない、在ってはならないからこそ、隠しておくにはうってつけの場所だとディレイスが言っていた。 問題は、そこが合成獣の実験の場になっている可能性が高いことだ。牢の一部を壊してしまえば、人を収監する場所だ、ある程度の広さを得ることができる。それに牢獄だなんて、猛獣たちを入れておくのにはもってこいではないか。 だが、その一方で中に居るのはおそらく研究員ばかり。合成獣は檻の中だろう。先程笛で呼ばれた合成獣のことも考えるとそれには少し不安があるが、武装した人間を大勢相手にするよりはいくらかマシだと言える。 牢につながる部屋の扉の前には誰もいなかった。レンがそっと取っ手を押す。扉を開くと、獣臭さが漂ってきた。 「当たりだったみたいだな」 暗いところで視力の働かないアーヴェントは、ラスティの肩に手を置いていた。そうでもしないと全く動けないのだという。 「見えるところには誰もいませんね」 レン、ラスティ、ユーディア、アーヴェントの順で速やかに中に入り、そっと扉を閉める。 周囲は暗いが、なんとか見える。遠くのほうで灯りが付いているのがわかった。その光が鉄格子で反射している。その中から荒い息使いや、鎖が石床を打つ音、唸り声などが聴こえた。少し騒がしいくらいだから、必要以上に音に警戒する必要はなさそうだ。 「で、通路は何処です?」 「左の一番奥の牢屋の中」 「牢屋の中って」 おいおい、とアーヴェント。 「あくまで“隠し”通路なんだ。ないと思うところにないと変だろう」 「そういうもんか?」 俺ん家にもあるのかな、となにやらぶつくさ言っている。そういえば、アーヴェントは昔砦だったところに住んでいたか。彼の城の中にも、そういったものがあってもおかしくはない。 「ラスティ」 檻と檻の間を歩いていると、殿を務めていたレンが小声でラスティを引きとめた。振り向くと、彼は檻の中を見ていた。なにも言わないのでたぶん檻の中になにかあるのだろう。 覗き込んで、ラスティは驚愕した。 「こいつ……ルクトールにいた……」 腕が翼となったその姿。目の前のは女だが間違いない。クレールのルクトール襲撃のときに真っ先にラスティたちが相手をした合成獣だ。檻の中で蹲るようにして、虚ろな目でこちらを見ていた。 「でも、今はそんなに数がいないみたいですね。あれで全部だったのか……。でも、いつの間にあれだけの数を……」 腕を組んでぶつぶつと思索にふける。ラスティはもう一度牢屋の中を見た。中の合成獣は不審者を目にしても動く様子がなかった。まるで人形のようだったが、時折瞬きをしているので、そうでないとわかる。じっと、まるでふてくされた子供のように、じっとラスティに視線を向けている。 ――合成獣の材料となってしまった人間は、いったいどこから集められたのだろうか。 疑問に思いながらも、本当は薄々気づいていた。最近いなくなった行方不明者。彼らがそうだろう。合成獣を造っているのがクレールならば、自国民でこのような実験はすまい。そんなことをすれば士気にもかかわるし、戦力も低下するからだ。 暗がりで分かりづらいが、おそらく檻の中の彼女もアリシエウスの民。 「――アーヴェント」 どうにかしたい、と思ったら思わず声が出た。 「今でなくてもいい。だが、もし彼らを助けてくれ、と言ったら、できるか?」 「それは……」 アーヴェントは言い淀む。ラスティは我に返った。 「なんでもない。忘れてくれ」 無茶なことを言った、と反省する。自分の生活の中に、新しい人を1人増やすのは難しいことだ。自分だって、突然誰かを引き取ってくれと言われても、たとえそれが合成獣ではなく普通の人間だとしても、できないだろう。自分にできないことを他人に押し付けることはできない。 いつもそうだ。親友と主を守れず、神に翻弄され、故郷の人間を化物にされても助けることもできない。自分の無力さが、悔しくて堪らなかった。 [小説TOP] |