第19章 哀れな生き物 1. 「ラスティ、正気ですか!?」 石造りの壁にレンの声が響く。 「俺は正気だ」 ユーディアに剣を向けたまま、ラスティは言った。ユーディアは息を飲んだまま、ラスティの剣を見つめていた。 レンの言いたいことはわかる。だが、一緒に旅をした仲間だからこそ、許すことも見過ごすわけにもいかなかった。 「もう一度言う。そこを退け」 ユーディアは唇をぐっと噛み締めた。拳を握りしめ、僅かに俯く。躊躇っているのだろう。このままラスティの言う通りに動いてくれればいいが……。 「どうしたのユーディア、そんなところで」 ユーディアがはっと振り向いた。現れたのは、鎧を着た女だ。ラスティの知った顔ではないし、白い鎧は一般にアリシエウスでは着用されない。おそらくクレールの神殿騎士だろう。それもユーディアと親しげときた。 「誰だ、お前たち!?」 その彼女は、こちらに気付くと目の端を吊り上げた。明らかに敵意を感じる。穏便に事を運ぶことはできなくなった。 「畜生。せっかくここまできたってのに、もたもたしすぎたな……」 背後でアーヴェントが唸る。同感だった。彼女をねじ伏せてでもさっさと通るべきだったかと後悔する。 「待って! この人たちは……っ」 「排除する!」 ユーディアの制止も聞かず、女は胸元から何かを引っ張りだした。首に掛けた鎖の先についていたのは、円を半分に折りたたんだような形をしたもの。見覚えがある。ルクトールで合成獣を操っていた笛だ。 女騎士はその笛を唇に押し当てる。 音はなかった。笛の音は。代わりに聴こえたのは、虎に似た獣の咆哮。 「なに!?」 本来こんなところで聞くはずのない獣の声に、ユーディアがあたりを見回した。その背後の暗がりから、大きな獣が出てくる。主な姿は、咆哮で予想した通りの虎。だが、その長い尾は鱗におおわれていて、堅そうだった。それから、首のまわりに襟巻のようなものも着いている。こちらも爬虫類の外皮で造られたかのよう。 「合成獣、ですか……」 ラスティの隣に並んだレンは、背にあったハルベルトを穂先を下にして構え、顔を歪めていた。合成獣でいいだろう。ルクトールの例があるし、目の前の生き物は見たことも聞いたこともないから魔物でないはずだ。 ユーディアは、女騎士と合成獣を交互に見やっている。 「なんて、憐れな……」 ラスティとレンの間に割って入るように進み出たアーヴェントは、両手をだらりと下ろしたまま憐憫の瞳で哀れな生き物を見つめ、そっと腰に帯びていた剣を抜いた。 「人の都合で造られ、人の都合で操られ……」 痛ましそうなその声は、最後まで続けられることもなく途切れた。彼なりに思うところがあるのだろうか。レンも同調するところがあるそうで、僅かに顔を曇らせた。 「マリア、どうして合成獣なんて……」 「あとで教える」 問い詰めるユーディアに短く応え、マリアというらしい女騎士は一度笛を吹いた。彼女はこちらとユーディアが顔見知りであることに全く気付いていないようだ。 合成獣はラスティたち目掛けて飛び込んできた。ラスティたちは三方向にちりぢりになってそれを避ける。 ユーディアの隣で女騎士が剣を抜く。前に転がったラスティは、合成獣を彼らに任せることにして、彼女の相手をすることにした。ユーディアは戸惑ったようにあたりを見回して動かない。とりあえず今は相手戦力としてみなさなくてもいいだろう。 レンが鉾槍を振り下ろす。斧頭が胴体を捕えようとするが、合成獣は身体を勢いよく反転させて長い尾を振り回した。尾はレンの胴体を打ち付けて吹き飛ばすと、少年の小柄な身体が壁に打ち付けられた。 「レンくん!!」 薄暗闇の奥で床に崩れ落ちた少年の姿に、ユーディアは悲鳴を上げた。 「この……っ!」 アーヴェントが剣を突き出して相手を挑発し、引きつける。相手は誘いに乗って、牙を振り下ろした。アーヴェントは躱そうとするが、避けきれず左腕を深く切り裂いた。その後も立て続けに攻撃されるが、躱しきれずに負傷していく。反撃しても外す。 「馬鹿野郎! よく見ろっ!」 横目で彼らの動きを捕えていたラスティは恫喝する。 「暗くてよく見えないんだよ!」 鳥目だと言っていたことを思い出した。長い間隔で燭台が灯されているだけの地下の廊下は確かに薄暗い。動くには不自由しないが、ラスティ自身も相手の顔がよく見えずにいる。 「目をっ!」 明瞭でよく通る、少し掠れた少年の声に反応して半ば無意識に瞼を閉じた。視界がぱっと白くなる。目を開けると、物寂しい灰色の石造りの廊下が白い光で照らされていた。レンが久しく、残っていた〈魔札〉を使ったのだ。 女と合成獣がうろたえる。その隙にラスティは首を巡らせて状況を確認した。 光に照らされたアーヴェントの負った傷はかなりのものだった。かすり傷が多いが、深いものも多い。衣服は切り裂かれ、庇うのに使っていたであろう両の腕からは血が滴り落ちていた。あれでは戦うのも難しそうだ。すでに息も荒い。 次に、レンへと目を向ける。外傷は見当たらなかったが、何処か痛むのか顔を顰めていた。壁に打ち付けた際に背筋でも痛めたのか。光源を確保するのがやっとだったようで、鉾槍を拾うことも陣魔術を使うことも、次の〈魔札〉を手にすることも難しそうだ。 奥歯を噛み締める。ラスティはもちろんのこと、レンもアーヴェントも癒しの魔術を使うことができない。まともに動けるのはラスティだけだ。 あっという間に劣勢になってしまった。逃げることも考えたが、レンは動くことが難しく、アーヴェントもこの狭さでは翼も使えまい。あの怪我で走るのもどうだろうか。 だとしたら、ラスティの取る手段はあと1つ。視力がまだ回復していないらしいこの女をさっさと潰し、合成獣が彼らのほうに行かないようにすることだ。 ラスティは女の胸に蹴りを入れた。女がのけぞり、腹のところにある鎧の継ぎ目が無防備になる。そこに剣を突き刺そうとしたところで、右腕に何かが飛び付いた。 ユーディアである。 「放せっ!」 振り払おうとするが、彼女は必死にしがみついて放さない。 「殺さないで!」 「ふざけるな!」 あの女騎士がユーディアの友人であることはすでに予想が付いている。殺されたくない気持ちもわかるが、殺らねばレンとアーヴェントの命が危うい。 その間に相手は体勢を立て直す。剣先がラスティのほうを向いていた。 「マリア、やめて!」 ユーディアは叫ぶが、相手が聞き入れる由もなく。 「くそっ……!」 ラスティは咄嗟に空いた左手で腰にさしていたアスティードを掴むと、逆手に持ったまま剣を抜いて襲い来る剣を受け止めた。そのまま鍔競り合う。 馴れない姿勢での押し合いに、相手は女だというのに、ラスティは負け始めていた。 「ラスティ、避けろ!」 アーヴェントの一声。視線を向けると、合成獣がこちらへと飛びかかってきていた。一瞬逡巡して、両の手の剣を手放し、ユーディアを抱えて跳び退る。 判断の遅れた女騎士は、そのまま合成獣の餌食となっていた。 [小説TOP] |