第18章 アリシエウスの陰に


  4.

 夜。ラスティとレン、それからアーヴェントは、背の高い西側の塀の陰に身を隠し、南に向かって設置された城の門の様子を密かに伺っていた。
「やっぱり見張りが居ますね……」
 塀の端に身を寄せ、顔を僅かに出して視線だけを向けていたレンは、門を挟むように立つ門番を見つけて小声で呟く。彼は上着のフードを被っていた。闇にも目立つ金髪を隠すためだ。これから城の中へ忍び込むために、ラスティとアーヴェントも暗めの服装を身に纏っていた。いくらラスティがアリシエウスの人間で騎士として勤めていたからといって、城に夜に気軽に入ることはできない。もとより、ここはもうアリシエウスではない。正面から堂々と入りこむのは無理だとわかっている。
「どうする?」
 身をかがめてレンと同じように様子を伺っていたアーヴェントは、顔を上げてレンのほうを見、それからラスティを見た。
「ここを登るしかないだろう」
 そういって塀を見上げた。自分の背丈の2倍はあるだろうか。壁面は平らなうえ、磨きあげてあるので、なにもなしで登るのは不可能だ。鉤付きのロープでもあれば別だろうが、生憎ロープはあっても鉤がない。
「仕方ない。俺が引っ張り上げてやるよ」
 翼を持つアーヴェントは言うが、レンは顔をしかめた。
「止めてくださいよ、飛ぶなんて目立つことは。万が一見つかったらどうするんですか。僕がやります」
「どうするんだよ」
 レンは壁から離れて背中からハルベルトを抜くと、柄のほうを短く持って鞘を着けたまま突き出すようにして構えて走った。先端を地面に突き刺すと、竿のように使って高跳びする。
「なーるほどなー」
 目の上に手を翳して感心したように見上げている。柄からも手を離して完全に宙に浮いたレンは、そのまま放物線を描いて壁の向こうへ消えていった。
「え? ってあれ?」
「黙って待っていろ」
 上を見上げて首を傾げるアーヴェントを窘めて、ラスティはレンが残して行ったハルベルトを地面から抜いた。それを逆手に構え、壁の向こうへと投げてやる。
 しばらくすると、上からロープが落ちてきた。上から覗き込むようにしてレンが顔を出す。
「それに捕まって登ってください」
 先にラスティから登ることになった。ロープを握り締め、壁に足をつけて登っていく。その様子を足を投げ出して座ったレンが見物していた。その手にロープはないところを見ると、やはり彼が引っ張り上げてくれているわけではないようだ。
 登ってみてわかった。ロープはすぐ傍に在った木の幹に結びつけてあったのだ。
 上で待っていてもしょうがないので、そのまま飛び降りて庭に降り立つ。踏みしめた草がかさりとなった。着地した隣に、レンの鉾槍が刺さっていた。
 レンとアーヴェントが下りて来ると、速やかに移動した。城の塀から城まではかなり距離がある。だが、中からも外からも誰にも見つからずに城の壁に近づくと、窓から見えないように身を屈めた。
 場所を思い出しながら、壁に沿って歩いていく。目的の窓に近づくと、中に人がいないことを確認してからポケットから厚さの薄い定規を取りだして窓の間に差し込み、鍵を外した。
 蝶番がなるべく軋まないように慎重に開けて部屋の中に入る。
「お前、絶対真面目な騎士じゃなかったろ」
 暗闇の中、窓を越えながら呆れたとばかりにアーヴェントは笑った。
「失礼な。一応真面目にやっていた」
 そっと窓を閉めた。鍵も元通りにしておく。
「この窓は随分前から鍵が壊れていた。だが、誰も直さなかった。それを知っていただけだ」
 ディレイスの脱出口の1つだった。逃げ出したとき苦労するのは自分だとわかっていても、塞ぐ気にはなれなかったのだ。
 灯りなどほとんどないに等しい。なにも見えない中、ラスティは記憶を辿って扉の方へと歩いていった。レンは戸惑うことなくついてくる。彼は夜目が利くようだ。
「待ってくれ、俺は鳥目なんだよ」
 アーヴェントのおたついた足音が闇に響く。
「城の北西の角に位置するところに、地下へ下りる階段がある。この城の中で可能性があるなら、そこしかない」
 扉の前に身を寄せて、外の気配を探りながらラスティは言った。
「そこって、いったいどんな場所なんだ?」
「倉庫もある。が、その奥は監獄になっている。普通の犯罪者でなく、主に王の敵――密偵や反逆者だった者が入れられたそうだ。最近はあまり使われていなかったようだが」
 扉を開けて外に出る。廊下の両側の壁には等間隔に燭台が掛けられ、火が灯されていた。ディレイスの脱走に付き合わされただけあって、騎士になる前から警備の巡回スケジュールは把握していた。警備は相変わらずアリシエウス側がやっているようだし、どうやら変更もないようだった。となれば、掻い潜ることは容易い。
 ――緩いな。
 あまりに簡単すぎるので、ラスティはそう思わざるを得なかった。
 ――レンが忍び込めるわけだ。
 警備状況を把握しているとはいえ、素人がこんなに簡単に動き回れるのだから。
 階段にも灯りが灯されていた。もし誰かきたらすぐに見つかってしまう。慎重に人の気配を探りながら、階段を下りて行った。
「誰です!?」
 ――見つかった。
 臍を噛みながら相手を見据え、予想外の人物に目を疑った。
「ユディ! どうしてここに?」
 レンの驚きの声に、ラスティは自分の目が正しかったことを知る。
 階段の先、地下の暗がりに、久しく見ていない白い姿があった。
「レンくんたちこそ、どうしてここに? アリシエウスを出たと思っていたのに」
「いろいろあって、戻ってきたんですよ。ユディは?」
 彼女はラスティを見つめると、決まりが悪そうに視線を逸らした。それだけでもう予想がつく。
「神殿騎士が、ここを拠点としてるのか」
 ユーディアは肯定した。
「……ええ。神殿は国政にも深く関わっているから、戦争となると無縁ではいられないので」
 特にここは、破壊神にまつわる土地。神の痕跡があるところに、神殿の関心がないわけがない。
「それで嬢ちゃんは派遣された、と」
 最悪……否、最良なのか。望む望まないに限らず、知り合いに故郷を汚されるのは敵わないが、知らぬ者に支配されているよりはいい。今のところ、目に見えて酷い事態にはなっていないし。
 否、やはり良くない。ユーディアがいようといまいと、クレールに支配されている事実は変わらない。
「見逃します。誰かに見つかる前に、帰ってください」
 懇願するユーディア。その言葉は誰かを庇っているようにも聞こえた。
「この奥になにがある」
「わかりません。クラウスは私にも教えてくれなかった。気になるなら、私が調べます。なにかわかったら教えますから、誰かに見つかる前に早く……!」
「悪いが、できない相談だな」
 さっきまでとは打って変わった真剣な声で、アーヴェントは応える。彼は数歩ほどユーディアの前に立ちはだかった。
「さっきの口振りからして、責任者と知り合いなんだろ? だったら、その言葉が本心だとしても、真実を知ったときに嬢ちゃんが庇わないとも限らないよな」
 ユーディアは俯き、押し黙る。
「それに、一刻を争うんだ。ここで退いて連絡を待つ間に、犠牲者が増えないとも限らない」
「犠牲者?」
 本当になにも知らないようだった。けれど、かえってラスティは苛立った。なにも知らないのなら、道を譲るべきなのだ、彼女は。
 そう、アーヴェントの言う通り、一刻を争う。姿を消したアリシエウスの民。もし、クレールの支配に嫌気が差して逃げ出したわけではないとしたら。
 ルクトールで見たあの合成獣。目の色は、髪の色は、何色だっただろうか。
 ラスティは、腰から自らの剣を抜いた。
「そこを退け」
 剣をユーディアに突きつけながら、ラスティは宣言する。
「退かないというのなら、無理にでも退いてもらう」



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