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「お先に失礼します」
「あーみょうじ、明日でいいからこれ、ファックス送っておいてくれ」
「遠藤さん、私明日休みです」
「あ?そうだったか?」
「今送っていいならやっていきますけど」
「いや、まだ必要な書類が揃ってねぇんだ、朝までにメールで送ってもらう予定で…ん、なんだお前、それじゃ土日と合わせて三連休か、いい御身分だな」
「来週は月曜が祭日で四連休、さらに私は火曜もお休みいただいてますんで五連休ですね」
「はあ!?なんだそりゃあ、聞いてねぇぞ!」
「先月末遠藤さんに許可いただいてますけど」
「…そ、そういえばそうだったか?」
「遠藤さんも、たまにはしっかり休んだ方がいいですよ。七月八月で夏休みとってないの、私と遠藤さんだけなんですから」
「フン、余計な御世話だ。俺ぁ忙しいんだよ、お前みてぇにヘラヘラ電話に出るだけが仕事じゃねぇからな」
「見込みほぼゼロの炭みたいな債権の回収なんて、三四日休んでから追っかけたって結果は変わりゃしないと思うんですけどねぇ」
「お前最近大分言うようになったな」
「怪しい金融屋でヘラヘラ電話に出続けてれば誰だってこんなもんですよ」
「チッ、可愛くねぇ。入社したての頃は客に逆ギレされて、涙目で『遠藤さぁ〜ん』とか言ってたくせによ」
「…言ってません。おかげさまで今では、借金取りの電話窓口とは思えぬ温厚篤実な応対でお客様を安心…もとい、油断させる評判の紅一点、看板娘です」
「自分で言うな」
「それより遠藤さん、男一人で長期休暇とっても虚しいばかりなのは分かりますけど、体壊したってそれこそ世話してくれる人がいないんですから、次の連休に合わせて休みとるなりなんなりして、しっかり休んでくださいよ」
「…喧嘩売ってんのかお前」
「何言ってんですか、心配してるんです。…遠藤さん、メールで送ってもらう予定の書類って、これじゃないですか」
「ん、あぁそうだそうだ、案外早かったな」
「印刷しますね、これファックスしてから帰ります」
「おう、じゃあ頼む」
「はい。…何だか心配ですね、内務の引き継ぎは済ませてますけど、遠藤さんのお世話は誰にも頼んでませんから、私がいない間は自分の事は自分でやってくださいよ」
「待て、いつ俺がお前の世話になった、ファックスくらいで調子に乗るなよ」
「お茶にコピーにおつかいに、色々してさしあげてるでしょう」
「そりゃお前、うちみてぇな零細企業で契約社員の一般事務っつったら要は雑用係だろ、してあげてるも何もそれがお前の仕事だろうが」
「…流石遠藤さん、堂々と時代を遡行していらっしゃる」
「むしろフェミニストだろ。それともお前、残業代も出ない切った張ったの借金取りの現場仕事をやりたいか?」
「それは嫌ですけど。フェミニストを自称するならもうちょっと言葉を選ばないと駄目ですよ、そんなんだから女性事務員が次々辞めていくんです」
「知るか、あっちが勝手に辞めてくんだろ。こっちは誰でもできる簡単な仕事に給料払ってやってんだ、感謝こそされ恨まれる覚えはねぇ」
「言いたい事は分からないでもないですけど、せめてもうちょっと労いの言葉をかけるとか…」
「労うほど働いてるかお前」
「…遠藤さん、今日だけで何回私にパソコン操作教わったと思ってるんです」
「ぐ」
「コピー機の紙詰まり直すのも、メールの転送も、セルの結合すら人に頼みますよね。ちょっとした事ですけど毎日の事なんですから、たまにはそういうのに関して一言感謝を伝えるとか、それぐらいしたって罰は当たらないと思いますよ」
「う、うるせぇな、それくらいで偉そうな口聞くな、俺だって別にそういうのが何にもできねぇわけじゃねぇんだぞ」
「そうそう、本社に提出するような小難しい書類は作れるんですよね。と言ってもあれは元々マクロ組んであるから数字入力するだけですけど。そしてそのフォーマット作ったの私ですけど」
「あーもうお前はネチネチネチネチうるせぇな!」
「はいはい、ファックス送れましたよ」
「よーし帰れ、好きなだけ休んでいいぞ、口うるさいのがいない方が清々して仕事もはかどるってもんだ」
「…へー、そういう事言っちゃいますか」
「なんだ、文句あんのか」
「誰にでもできる雑用仕事っていうのはその通りですし、それでお給料もらってありがたいとも思ってます。だからこそ遠藤さんには気持ちよく仕事をしてもらえるように、雑用なりに気を使ってるつもりです。そんな風に言われるのは心外です」
「その口の聞き方で気ぃ使ってるだ?笑わせるなよ、具体的に何をどうしてくれてるってんだ。お前一人辞めた所で俺の仕事には何の影響もねぇんだよ」
「…清掃業者を使うお金も無い、誰も何曜が何ゴミの日か知らない、のに、社内が綺麗なのは何でですか?給湯室やらトイレの水回りがきれいなのは?半端に残したコーヒーのカップ、しれっと流しに置いていきますけど、誰が洗ってると思ってるんですか?外から戻ってがぶ飲みしてる麦茶は自然に湧き出す物じゃないんですよ」
「・・・」
「いつも飲んでるコーヒーの砂糖とミルクの分量とか、安くて美味しいお茶っ葉の銘柄とかベストの濃さとか、今週の日替わり幕の内は何曜日に焼き肉が入るとか、愛用されてるボールペンのリフィルの品番とか、夕刊は何時にポストに入るとか、品薄でも常連にはカートン売りしてくれる煙草屋さんとか、一張羅のおフランスコートのボタンスペアを置いてるお店とか、遠藤さん、自分で分かってますか」
「…わ、分かってない」
「さらに言うとこの前の台風の時、遠藤さんが普通にさして帰ってた傘、私の置き傘です」
「…電車に置いてきた…」
「そんなことだろうと思いました」
「…」
「ま、傘の件はともかく。結局どれも雑用で、遠藤さんの言うとおり内務である私の仕事には変わりないんですけど」
「…」
「その内務が私一人なもんですから。何人雇っても遠藤さんに怒鳴られるうちにみんな辞めてしまうので」
「…お前、淡々と怒るのな」
「別に怒ってないですよ、今更ですし」
「ぅぐ」
「ただそうですね、まわりくどくなっちゃいましたけど、要は遠藤さんから一言誉めてもらえたら嬉しいのになぁと、そういう話です」
「分かった、分かったよもう勘弁してくれ、お前はよくやってくれてる」
「もう一声」
「…そういや最近煙草切らして苛々する事もなくなったし、その辺の奴捕まえて掃除しろだの怒鳴ってねぇ、カップはいつもぴかぴかだし、お前のいれるコーヒーは美味い。長い事休まれると困る、お前はよくやってくれてる」
「…」
「…」
「ふへへ」
「!」
「…分かっていただければいいんです」
「お、前、普段から今みたいに可愛げのある所を見せればこっちとしてももうちょっと違う対応をだな」
「セクハラですか」
「…」
「満足しました、ではお先に失礼します」
「…あぁ…お疲れさん…」
「あ、遠藤さん」
「なんだよ!」
「今日は退社何時予定ですか、遅いならタクシー手配しておきますけど」
「……最早秘書か女房の域だな…」
「セクハラですか」





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