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 目が覚めたら、そこは魔王城でした。

 黒を基調に簡素な家具が置かれた部屋。

 窓は太陽光を遮るように灰色の厚いカーテンに覆われており、陰険な雰囲気を尋常じゃない比率で倍増させている。

 まさに、十年程前に社会科見学で遊びに来た魔王城そのままです。私の脳は我が家の質素さに嫌気がさして遂に壊滅したんですね分かります。
 ……あの時はむさ苦しい雰囲気に到底合わない、爽やかなお兄さんが城内を案内してくれたんだっけなあ。

 それにしても。

「むさい」

 さむいではない。むさい。
 私は今ベッドの上に寝かされているのだけども、掛け布団もシーツも真っ黒。あまりの黒さに境界線は識別出来るはずもなく、辛うじて私が身を沈めていた痕跡は目を凝らせばなんとか認識出来る。それに加えて部屋も黒いこと黒いこと。どうせなら光源となる松明も黒に統一して欲しいところだ。

 因みに、このベッドは異様なまでにふかふかしている。普段かちこちの布団で寝ている私には高級感を覚えるどころか気持ち悪いことこの上ない。

 誰もいない上に反応に困る部屋のだだっ広さに私は思案し、結論を出した。

「寝よう」

 これは夢か幻か。

 どっちにせよ目が覚めたら我が家でありますように。そんな願いを胸に秘めて、私は腕を使って身を捩り、黒い枕に突っ伏した。

 はずだった。

「いでっ」

 頭上斜め上辺りから耳に届いた何かの鳴き声。

 ……鳴き声だと思いたいんですけども。

 私の切々たる希望は顔を上げた瞬間、打ち破られた。

「おっす。俺魔王さま」

 私の枕と化していた、黒い人型の物体はのそりと頭を持ち上げ、私と目が合うや否や艶やかな黒の髪をゆたりと揺らし、爽やかで健康的な笑顔を見せてそう言った。

「ふーん」

 ベッドに肘をつき、半眼でそいつを見上げ、思ったままの感想を口に出す私。

 あ、魔王さま硬直した。

「……反応、薄くない?」

 愛想笑い的な何かを浮かべ、怖ず怖ずと問い掛けてくる魔王さま。いいのかこんなんが魔王で。

「そんなことないですよ」

 普段の私ならなかったことにして犯人をベッドから突き落としますとも。我が安眠を妨げる者は生涯の敵ってね。

「初対面でこんなことやらかす人は初めてです。あと、私にこんなことやらかしといて、まだこうして命がある人も初めてです」

「いたんだ、やった人。というか俺、魔王なんだけど?」

 背中まで伸びた自慢の亜麻色の髪を揺らして無表情で告げる私に対し、上体を起こして後退りながら笑顔を固まらせる自称魔王さま。

 だからこんなんが魔王でいいのか魔界よ。

「そんなことより、そのまおーさまが私に何の用ですか。早く家に帰して下さい、さもなくば実力行使であなたを土に還します」

「待って! マジで待ってアリスちゃん!」

 起き上がってベッドの上で正座した私の冗談を本気にしてしまうらしい仮称魔王さま。そもそも平民の私が魔を統べる王を倒せるはずがないじゃないですかうふふ。

「その『うふふ』にただならぬ気配を感じるのは俺だけ? 俺だけなの?」

「あら、勝手に人の心読まないで下さる?」

 口許に手をあて、魔王さまのご要望にお応えして「うふふ」と笑ってみせれば、面白い具合に魔王さまの顔はこれ以上ないくらいに青ざめた。

 面白過ぎるぞこのお兄さん。

 もう少しいたぶってみようか、なんて方向に思考回路が傾きかけた瞬間、ふと思い出したことがある。

「……そういえば」

 先程の会話で微かに感じた違和感。

「なんで魔王さまが私の名を?」

 私は通称人間界側に属する魔王城近くにある観光スポットとして賑わっている村の、しがない村人その一だ。

 それなのに、何故この人は私の名を知っているのか。

「あ、そのこと?」

 硬直から復活した魔王さまはきょとんと首を傾げ、当たり前のことのようにぬけぬけとこう宣うた。

「知らない方が可笑しいだろ。ついこの間俺の城半壊させたくせに」

 ついこの間。
 そんな単語が聞こえ、近況のことを思い出そうと顎に人差し指をあてがい思案に暮れてみる。

 最近は……お隣さんの牛とやり合って小屋を全壊させた記憶しかない。

「どれくらい昔の話をしてるんですか」

 ふと思い当たるようなことはあったものの、私からすれば大分昔だ。

「どのくらいって……アリスちゃんが『ろくしゃい』の時だったと思うけど」

「魔王さま。私に喧嘩売ってます?」

 確かに私は舎学時代の社会科見学でここを訪れた際に、複雑な事情が重なって魔王城を半壊させた。覚えている。

 本当に複雑な事情が絡み合った悲劇だ。別に、わざとやったわけではない。そう。ちょっと勇者ごっこをしてたら出てきた本物の魔獣に驚いてしまい、ちょっと本気を出してしまっただけなんてことはない。ないんだからね。

「喧嘩売ってるも何も……最初に喧嘩を吹っ掛けてきたのはそっちだぜ?」

 困ったように眉尻を下げ、女性顔負けの艶やかで長い黒髪を少し揺らし、魔王さまは言った。なかなかの美形だとは思うが、範疇外である。私はもっと理不尽な顔が好きだ。どんな顔かと言うと……もっとこう、凛々しく且つ、不憫さが伝わってくるような―――まあ、どうでもいいや。

「だからといって、か弱い一般人を拉致監禁しても良いのですか? うわー、魔王さま最低ですね。生き物として」

 住処を破壊されたどころか修理費など金銭的な意味でも色々と被害者であるはずの魔王さまは、私の嘲笑に「うっ」と呻いて顔を引き攣らせた。

 可哀想、なんて思わないわ。だって魔王さまは強いもの。頑張れ。

「お前一般人とか嘘だろ。詐欺だろ。実は俺の遠い親戚じゃねーの?」

 期待以上にめげない少々口早な魔王さま。さすがです、が。些かうざったい。

「あなたみたいな人と一緒にしないで下さい。私、そこまでへたれてません」

「俺はへたれなのか、そうなのか」

「否定はしないんですね」

 へたれという単語を吟味していらっしゃる魔王さまは深刻な表情で俯き、暗いオーラを漂わせて何やらぶつぶつ唱えている。はっきり言って、かなり気持ち悪い。

「いつまで漫才を続けるのか甚だ理解に苦しむところですが、結局のところ、あなたは私に何を求めているのですか?」

 いい加減に家に帰りたいのでそれとなく水を向けてみる。

 その質問に魔王さまは顔を上げ、おもむろに顎に手をあてるとうーむと唸った。まさか、これは決まっていないというオチではなかろうか。

 嫌な予感というか、風邪をひいた時のような悪寒を覚えながら私は魔王さまの気難しげな表情をぼんやり眺めた。勿論、それとなく目線で「早く喋れ」と訴えておくのは欠かさない。

「知らん」

 予想的中。いや、知らんってなんですか知らんって。

「……へえ?」

 私は思わず眉を顰める。
 思わず零れた言葉は、魔王さまをフリーズさせるには充分だったようで。

「あ、いや! 損害額とか諸々考えるとさ、何からお前に伝えればいいのかなーなんて。あっはっは」

 早口に捲し立てた魔王さまは殺気立った私に対して乾いた笑みを向けた。
 敢えて、ここは返答せず黙っておく。すると。

「……ごめん。マジごめん。次からちゃんと考えて拉致るからさ」

 放っといたらそのうち土下座するんじゃないかってくらいの勢いでしおしおに萎びながら、魔王さまはひっそりと呪詛の如く謝辞を呟き始めた。はっきり言わずとも、皆さんにはもう私の考えていることが分かるはず。

「気持ち悪い」

「はあ!?」

 あら、この発言は少々突拍子もないことだったでしょうか。心外、とばかりに目を丸くした魔王さまは私にずずいと迫り寄ってきた。

「何でそういう話の流れになったか訊いて良い? 良いっすか!?」

「いや、良くないっす」

 あまりの気迫に御自身の薄幸さがそこはかとなく伝わってきて正直うざいです。魔界の実家に帰りなさい。

「帰れねえよあんなとこ!」

 またまた私のデリケートな心中をお読みになられたようですよ魔王さまは。そろそろ訴訟起こしても慰謝料たんまりとふんだくれるくらいには材料溜まったんじゃないかしら。

「……本当にお願いします許して下さい」

 何を許して欲しいのやら、仕舞いには本気で三つ指揃えて頭を下げてくる始末。そこまで本気で怒ってはいないんだけど私。……多分。

 あながち冗談とも言い切れないその行為に、私は呆れを隠さず溜息をついて彼を睥睨し、腕組みをして対応を考える。

「しょうがないわね」

 毅然とした態度で魔王さまの頭頂部を見、私は朗々と声を上げた。
 その声に反応して勢い良く顔を上げる魔王さま。あなたは犬か。

「謝罪の仕方がなってないわ。私がみっちり仕込んであげます。……有難く思いなさい?」

 セールス用の笑顔を貼り付けてみたところ、魔王さまの表情はこれ以上ないくらいに硬く強張りましたとさ。めでたしめでたし。

* * *

「何がめでたしだよ……お伽噺なんて滅びろ」

 少々焦げ臭い煙が立ち込める中、ベッドの上に立ち上がっていた魔王さまは、臨戦態勢の状態で息を切らしながら低い声でぼやく。私はその呟きを少し離れたところから聞いていた。んまぁ、距離を取って仕込むという名の魔王城破壊工作を数分間試みたわけなんですけども。結果、部屋の破壊にすら至らず。つまらないわね。

 されど魔王さまも学習はしてたようで、私が一瞬本気出した程度では崩れないような防護策を練っていたようです。防護策といっても、私が放つ術式とは間逆の性質のものを同時に発生させていただけなんだけどね。至極単純明快。体力の浪費、というとばっちりを受けた彼は只今壁に向けてしくしくと呪詛のような何かを吐いている。見苦しい。

「……んで、すっきりしました? 何か日頃からかなりのストレスを抱えているように見受けられましたがお客さん」

 ぐすん、とわざとらしく涙ぐみながら魔王さまはどこぞの心理学者のような台詞を宣った。

 ベッドの上に飛び乗り、弾む感覚を楽しみながら私はこう返した。

「はい、爽快でした。今しがたあなたの顔を見た途端不快指数が一気に高まりましたけどね」

バランスを取ろうとしている魔王さまの姿はとても面白い。顔面蒼白な辺りとか、威厳を捨て去って必死になってる辺りとか。

「うわひでえ」

 私が微笑ましく笑顔を浮かべると同時に、魔王さまも負けじと微笑んだ。……面白いくらいに引き攣ってるけど。

「お前が力を発散するのと同じタイミングで反作用の力を使わなきゃならん俺の身にもなってくれよ」

「老化による体力不足ですね分かります」

 若ければ気合いで補えるじゃないの、このくらい。

「ま、まだまだ俺は若いぞ!」

「その台詞が年寄り臭いんですってば」

 魔王、撃沈。

 世の中の魔王さまクラスの皆様はこんなにも脆弱でなければ良いなと思う十六の夏。嘘、夏ではなく冬です。

「誰だ今俺を貧弱と言った奴」

 涙目のまま私達以外誰もいないはずの部屋を見渡す魔王さま。情けないやら、恥ずかしいやらで私まで涙が……出てきませんね、全然。

「さあ。私は脆弱としか言ってませんし……誰でしょうね、そんな失礼なことを仰るのは」

「お前じゃねーか」

 的確な突っ込み。

 否定も肯定もせず、私は視線を泳がせて次の言葉を探しつつ、話題がそろそろなくなってきていることに気付いた。

「……あ!」

 私が次に何を言うか考えている間に、魔王さまは何やら思い付いたらしい。
 嬉々とした表情でこちらに詰め寄ってきた魔王さまは私が正座しているベッドの上に乗り、若干目を輝かせて私の両手を掴んだ。

「うわ、セクハラ」

 魔王、再度撃沈。

 何というか。やっぱり精神的に軟弱というか貧弱というか。

「とことん脆弱ですね」

 あ、魔王さまとベッドがご挨拶してる。私もすべき?

「しなくていい。全然しなくていい」

 相も変わらず読心術はやめないようです。

 げんなりというか、しょんぼりしながら魔王さまは私の顔を見上げた。かっちりと彼と目が合う。抱いた感想は、やけに澄んでいるなというもの。魔族だから濁っているというのは激しい偏見だったようだ。今度お隣のさっちゃんに教えよう、ここから無事に帰れたら。

「……なあ、アリス」

 私を無理に現実に呼び戻すが如く、お伽噺の少女と同じ名前を魔王さまは呼んだ。

 その名に呼応するように、漆黒に染まった空間は一瞬色めき立つ。充足してゆく不可視の力に鳥肌が立ち、居心地の悪さを覚えた。

 身動ぎするのもためらう程に、重苦しい空気がその場を支配する。

 でもね、魔王さま。その名前は好きじゃないのよ、私。
 胸中の片隅でそう呟くも、言葉として発せられる前に喉の奥で詰まってしまう。何故だか体が思うように動かない。

「アリス」

 感触を確かめるかのように、彼はもう一度繰り返したその言葉を吟味した。触れる部分が暖かい。

 呼ばないで。

 心のどこかで、彼を拒否したくなる。

 ―――なら、受け入れたかったの?

 もう一人の私は、そう言って嗤った。私は首を横に振る。

 愚かね、と自嘲せざるを得ない。この私を、彼が手繰れるはずがないもの。……それに。

「私、もっと理不尽な顔が好きなの」

「はい?」

 突拍子もない台詞に呆気にとられた魔王さまは華麗にずっこけた。またまたベッドとご挨拶。物好きねえ。

 魔王さまの奇妙奇天烈な性癖に眉を顰めつつ、私は出任せに口を開く。

「なんか折角良い感じだったのにー、ぶっ壊されるなんて夢にも思わなかったー」

 今までにないくらいの見事な棒読みに、魔王さまは即座にがばっと顔を上げた。

「たわけ。魔王である俺がそんなこと考えるかよ」

 ちっ。惜しい。

「惜しくねーよ!」

 ここまでくると魔王さまの的確な突っ込みも負け犬の遠吠えにしか聞こえないわね。やれやれ。

「そんなことより。妙案が浮かんだんだ、聞いてくれよアリスちゃん!」

 改めて手を握ってきた魔王さまは目をきらきらさせながら言った。

「馴れ馴れしくしないで下さい、魔王のくせに」

「……むしろ俺よりふてぶてしいよな、人間のくせに」

 神妙な表情で拒否反応を示すと、若干ショックを受けた様子で顔を背けながらぼそり呟く魔王さま。拗ねたか、拗ねたのか。これのせいで帰れなくなるのはかなり痛手だ。

「妙案って、なんですか?」

 むんぎゅと魔王さまの手を痛いくらいに握り直し、いかにも反省してます的な表情を浮かべて問い掛ける。すると、魔王さまが笑顔でこちらに向き直った。やったね。

「お前、さ」

 おもむろに口を開いた魔王さまは手を握るその手に若干力を込めた。……何を力んでるんでしょうね。

「魔王、やらないか?」

 名案を思い付いたとばかりに明るい爽やかな笑顔を浮かべて魔王さまは宣った。

「それで、俺は勇者になる」

 沈黙。それと同時に、私の思考回路は一時停止した。
 にこにこと少年の如き眩しい笑顔を浮かべている魔王さまは、「あんたそれでも魔王か」と問い掛けたくなるくらい無邪気であり。あまりにも……少々、目の毒です。魔王さま。

「……寝言は寝て言えと教わりませんでした?」

 嬉々として告げられた彼の台詞は、私の心に少しの戸惑いと、多大な不快感を抱かせ。

 少しの間の後、爆音と魔王さまの悲鳴が城内に轟いたそうな。
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