ペールブルー・ブロッコリー


 学生アパートは安さと利便性が求められるのでデザイン性は無視されがちだ。ペールブルーの外壁にグレーの壁紙、バストイレ別で調理スペースが確保されたガスコンロ付きキッチン、都市ガス南向きの部屋が敷金礼金ゼロ、共益費込みで五万円なんてそうそうない。
 大学二年生の夏まで住んでいた家は夏に必ずカビるところ以外に別段使い勝手は悪くなかったが、前述した貴重なお洒落ルームを見つけるとすぐに資金を貯めて引っ越した。大学まで徒歩二分、友だちのたまり場になったあの部屋とは違って今回の部屋は駅まで十五分バスに揺られそこから徒歩十分かけて大学に行かなければならなかったが、バス停から坂を上って見えてくるペールブルーの壁を見ると心が躍る。
「じゃーん!みてこれ」
 愛しのラブリーホームに向かいながら、隣を歩くマダラに買ったばかりの黒い手袋を見せると彼は視線だけ動かして「大人っぽいな」と言った。
「かっこいい〜〜ロシアの凄腕女スパイって感じ……」
「フン」
 マダラは右の鼻をヒクリと釣り上げる。なにかバカにされたようだが、何をバカにされたのかはわからない。
 黒い革の手袋は光沢があってひんやり冷たいが、中は手触りのいい毛が生えていて暖かい。マダラにも自慢したことだし、いそいそと手に装着して、白いボアコートから手をピンと伸ばして色々な角度から眺めて満足していると、マダラが後ろから動画を撮った。
「上着に合わなくねえか」
「今はね?……てかそうでもなくない?」
「おまえにも似合わねえ」
「“自分に似合う服を選ぶんじゃない、着たい服に自分を似合わせる”の」
 この前見たお洒落な映画で主演の女優が言っていた台詞をうたった。だいたい、これにだって合うじゃん、と呟きながら自撮りで自分の格好を確認する。カメラの中に、白いボアコートにマダラから誕生日プレゼントに貰ったマフラーを巻いて黒いスキニーを履いたわたしと、ノースフェイスのマウンテンパーカーに顎を埋めて『スーパーこのは』のビニール袋を持ったマダラが映っている。袋の中には1/2白菜や根菜類、キムチの他どう見ても買いすぎたビール缶の青ラベルが透けるほどパンパンに詰まっていて、ビニール紐が食い込んだマダラの手はちょっと痛そうだ。
 今日はわたしの家でマダラと鍋。ついでに、はしミトカップルとオンライン飲み会だ。


「あれ、扉間いるんだ」
『オレが誘った!!!』
 柱間家に繋ぐと何故か画角の端にもう一人見切れていて、柱間にぐいっとトレーナーを引っ張られて扉間が顔を出した。こいつ大好きな兄貴とルームシェア解消したんじゃないのかよ、最近できた彼女はどうしたんだよ、という気持ちでツッコむと柱間は満面の笑みで答えている。この兄弟相変わらず通常運転だな。
「久しぶりじゃん扉間〜。彼女さんはー?」
『………』
 コロナビールを傾けて無言の扉間の代わりに、ミトが「別れたんだってー」と残念そうに言った。
「振られたな」
「振られたねー」
『ウーン、残念だのう!』
『違えよ』
 扉間は、ミトにミニーちゃんのカチューシャを頭にかぶせられながら『そもそも別れてない』と物憂げに瞼を伏せる。お……どうした?なにかあった顔だ。気になる。
「え、フツーに気になるんだけど、扉間の恋バナ」
『でしょぉ?あたしだってずーっとそう言ってるのに全然教えてくれないのさ!』
「てめえはなんか知ってんだろ」
 人差し指の関節で柱間を指さしてマダラが言った。でもカメラ越しだから伝わってないよその素振り。
『はぁぁぁ……マダラ……オレが知るわけないんぞ』
「そうだよ〜扉間は柱間になんて絶対言わないよ」
「そうかぁ?ああみえてあそこ、筒抜けだからな。なんでも話しやがる」
『違う違う!それは扉間が勝手に察してるだけさね、矢印が違う!矢印が!』
「なるほどね?今回のは、扉間の何かを柱間が察さないといけないってワケ」
「察せよ」
『よぅし。ウ〜〜〜〜〜ン………』
 いつも扉間に察されている柱間兄者は、充血しつつある目を閉じて思わせぶりに腕を組むポーズをしているが、しばらくして『わからん!!!ワッハッハッハ!!』と笑った。柱間は日に焼けているのと酒にめっぽう強いのとあって全く酔っていないように見えるが、それにしては素振りが剛毅すぎる。戦国武将かおまえ。
『おまえらな……オレが!よりによって!コイツに!!言うわけないだろうが』
 扉間は柱間の頬っぺたに指を突き刺してビールを飲み干した。
 ガハガハうるさい柱間に比べて扉間は基本静かだが、雪原のようにきめ細かい白い肌がうっすらとピンク色になっているのを見るにそこそこ酒が回っている。こういう状態の扉間をからかうのは面白いのだが今はオンラインだし、以前酔いつぶれた彼にわたしのブラを被せて写真を撮ったら、後日巧妙な画像加工技術でマダラと別の女がデートしている写真を偽造し送ってきて(当然、わたしはそれを信じて数日ふさぎこんだ)酷い目を見たのでそれ以来やめている。
『お、そうだそうだ。シオン扉間のチャリ欲しくないか?』
『……は?』
「え?どういうこと?」
『こいつ、今期から殆どはごろもキャンパスだからチャリ使ってないんぞ。バスと電車だし、坂もキツいし』
 わたしとマダラ、柱間、ミトは文系なので通年で大筒木キャンパスだが、扉間は理系だから秋からは専攻の研究室棟があるはごろもキャンパスに通っている。なかよし柱間兄弟がルームシェアを解消した大きな理由は柱間とミトの性的営みの最中扉間の居場所がない、というものであったが、はごろもキャンパスに近い方がいいというのも理由の一つだった。
『常識的に考えろ、通学以外にも使うだろうが!』
『じゃあシェアバイクにしなよぉ!シェアバイク!』
『そうだそうだ!』
「え〜いいの??」
 扉間は嫌がっているが、わたしは「自転車、わりといいかも」と思った。
 いいかも、というのは、自転車通学になればバス代がかからなくていいかも、という意味じゃない。自転車……自転車のある生活……車でもバイクでもなく、自転車という響きは、車ほど重くなく速くなく、のどかで面倒で身軽な感じがちょうどよく大学生っぽい。
「自転車欲しい!!」
『やらん』
『けちぃ〜〜〜!いいじゃん、あげるんじゃなくて長期貸与ってことで』
『良し!!決まりだ!』
『決まらないぞ!だいたい兄者はなぜオレの私物について口を出す!?』
 マダラは殆ど話に入ってこなかったが、わたしも酔っていたから彼が無言なのをあまり気にしていなかったし、そもそも扉間と自転車をシェアするくらいマダラが口を出す範疇のことじゃない。
 扉間はしばらくの間力強く拒否していたが、酔っぱらったミトと柱間が囂々と声をあげたせいで最終的に押し切られた。そもそも相当酔いが回っていたらしく、そのあと画面共有でホラー映画を観始めるとまたたく間に寝た。
「アイツ、静かに凍死するタイプだな」
「ふふったしかに」
『今度登山でもする〜?』
『いいのお』
 ミトが選んだのは数年前に話題になったホラー映画で、そこそこ面白かった。でも、丸一日を終えた身体に温かい鶏の水炊き鍋をたらふく詰め込んで、ほろ酔い白いサワーで程よく酩酊し、気づいたらソファに寝転びマダラのお腹に頭をのっけて眠っていた。ホラー映画の共有画面は切れていて、スマホのチャットアプリに《シオン寝ちゃったから画面切ったよ!》とメッセージが入っている。マダラが「寝よう」といって腕を引っ張り、一緒にベッドにもぐりこんだ。


「おい、シオン」
「あ!」
 翌々日、講義を終えて駐輪場に向かうと既に黒のダウンに紺色のマフラーを巻いた扉間が待っていた。黒とシルバーのなかなかかっこいいマウンテンバイクの傍に立ち、一重瞼の奥、鋭い視線がこちらを捉えると、人差し指にひっかけた自転車の鍵をくるくる回して、まるで飼い犬を呼び寄せるような素振りで煽ってくる。
 飲み会中はあんな調子だったものの、一応扉間の私物を借りる(ほぼ貰う)のだしと思ってわたしがはごろもまで取りにいくつもりだったが、
《明日夕方家いる?自転車取り行っていい?》
《いやおれがそっちに行く》
《大筒木》
――とのことで、何故か彼が大筒木くんだりまで来てくれたのだ。
「番号は0219だ、変えるなよ」
「ありがとー」
 わたしはキーを受け取って、さっそく扉間の長ぁい脚に合わせてある座高をギコギコ降ろしにかかった。
「それ毎回オレも直さなきゃいけないんだがな」
「わたしだって毎回直さなきゃ乗れないんですけど?」
「平等みたいに言うな」
「うそうそ、ほんとにありがとねー!助かるよ!」
「別に」
 扉間は、“借りる”と言ったときには嫌がったくせにお礼を言うと“別に”なんて言う。男の子的照れ隠しか?などと考えながら別れて、その日から自転車を使い始めた。
 自転車ライフは軽快で楽しかった。徒歩だったときには選択肢に入らないような場所でも難なく行けてしまう自由感が良かったし、寒くてもスキニーデニムやスウェットパンツを履いて凍えるような風の中を突っ切って走るとふしぎとぽかぽかして、爽快だった。使いはじめてすぐに、想像以上に手袋の重要性が高いことに気づいて、女スパイ用手袋買ってよかった〜!などと思った。
 扉間とは自然と事務連絡が増えた。《今自転車どこにある?》《大筒木》《借りる。明日の昼また戻しとく》《あ、じゃあ駅に置いといてくれる?》とかいう感じに。そのせいか、同じ学科の友だちに扉間と付き合っているという噂が立ったり、マダラがちょっと妬いたりもした。
 ある日、いつものように自転車の受け渡し――扉間が大筒木に自転車を置いて、講義が終わってバイトに向かうわたしがそれを使う手順――をすることになって、講義を終えていそいそと駐輪場に行き、自転車に跨りすこし漕ぎ出すと、左手に人影が見えた。大筒木キャンパスの敷地は少し細長く、その真ん中を自転車や車が通ってもいいとされている少し整備された道が貫いている。駐輪場は、その道から少しそれた講義棟の一階にあるので、駐輪場からそのまま漕ぎ出して車道まで行くことができるのだが、少し見覚えのある後ろ姿――銀と見間違うような色素の薄い髪に、紺色のマフラー――を見つけてふと漕ぐのをやめた。
 扉間だ。ベージュのコートに黒髪をなびかせた女の子と、親し気な様子で寄り添っている。
――やったぜ。
 わたしはすぐさま自転車を少し陰になるところによせて、慎重に建物の影から二人を見た。
 まず女の子は、肩より長いくらいのアッシュ系ブラウンが入った黒髪で、光沢があり少しパーマがかかっていた。ベージュのコートは最近流行りの襟もくびれもないストレートでシンプルなデザインで、中に黒のハイネックニットを着ており、160cm以上ある上背がスタイルよくきまっている。雰囲気だけだと、綺麗かつ可愛い系……あとは、顔。下世話なのは1200%承知の上だが顔が見たい。
 あの子が本当に、扉間が別れたんだか別れてないんだかあやふやな《彼女》なのか?それはすぐにわかった。オンライン飲み会で扉間が手首に着けていたオレンジ色のバングルと、同じものを彼女がリュックに着けている。綺麗系ファッションには若干ミスマッチなスポーティなデザインだが、もしかしたら彼女も扉間と同じでスポーツ系のサークルに入っているのかもしれないなあと思った。
 それに、あのバングルがなくたって彼女が何か特別な存在であることはわかった。だって扉間は、わたしや他の女の子と一緒の時、あんな風に向き合って話さない。引き結んだ口元を僅かに吊り上げて、意識して表情を和らげ、笑みを浮かべようとなんてしない。それに立って並ぶ距離も近い。
 いい感じの雰囲気じゃない。扉間もあんな嬉しそうだし。ふぅーん……しめしめ。
 わたしはバレないよう細心の注意を払いつつスマホを取り出し動画を数秒間撮って、《とびらまいた。 #隣の子だーれだ? #かわいい》とコメント付きで身内限定のストーリーに流し、バイトに出かけた。

 それからすぐにミトから「あの子が彼女だよ笑」と連絡が来たり、マダラから「お前もホント懲りねえヤツだな」と言われたりしたものの、肝心の扉間から何かお怒りメッセージが来ることはなかった。その後も事務連絡は通常通り行われたし、学内で偶然会ったときも「おう」と手を振るのみで何も言われなかったから、あの件では特に何か困ったようなことは起こらなかったんだなと考えて、年明け。
 期末考査の勉強に勤しんでいた一月末、わたしは必修以外の単位を結構ぽろぽろ落としていたので三年の冬になってもがっつり授業を取っていて、それなのにバイトも削らないでミッチリ入れるバカだった。その日、三度目の正直!今度こそ不可を免れたと思われるマクロ経済学のテストを終え、友だちとテストの後ディズニー行く約束を取り付けて、ぼちぼちバイトに行くかと駐輪場に向かうと、ぎっしり並び立つ自転車の中に、なにか見慣れぬ緑色の物体が眼に入った。
「……ん?」
 ブロッコリーだ。ブロッコリーが刺さっている。
 サドルに。
「は?」
 わたしが今から乗っていこうとしているマウンテンバイクのサドルに、むき出しのブロッコリーが刺さっている。
「あぁぁあぁ!?!?!!」
――アイツやりやがった!!!!!
 急いでスマホを確認する。
 あと四十三分。あと四十三分で駅まで十分歩き四駅電車に乗って更に十分歩いたところにあるカフェに向かい打刻を押さなければならない。いつもなら自転車で直行か、隣駅までの時間を短縮できるとわかっているから、テスト後少し友だちと喋ってしまったが今日は完全に遅刻だ。
 一瞬、もしかしたら乗れるかもとブロッコリーサドルの自転車に跨ってみたが、小学生でもあるまいし30分間の立ち漕ぎは無理だし恥ずかしいからやめて、写真だけ撮って無言でマダラに送り、ダッシュで駅まで走り出した。念のため、バイト先には遅れる旨を伝えた。

 スニーカーを履いていたお陰で驚異的な脚力を発揮しなんとか遅刻を免れる時間の電車に乗ると、暖房がついた電車内で一人だけ顔を真っ赤にして汗だくという苦境に十五分耐え、電車を降りた後また赤い顔を振り乱して店まで走った。今朝凍えるような寒さの中ベッドから出たときは、裏起毛のパーカーを何の迷いもなく選び上からノースフェイスのマウンテンジャケットを着たが、二十分のランニングで温まった身体からは後から後から汗が噴き出す。打刻時間ギリギリにカフェの扉を開け滑り込んだときには、一人だけゆでだこのように顔が赤く髪の毛が汗で張り付いていた。
「セーーーーーフ!!!!」
「シオンちゃん、お疲れ様〜」
「あっお疲れ様です!暑い〜……ふぅ〜〜〜……あっっっつ……」
 息を整えながらマウンテンジャケットを脱いで、この恥ずかしい顔を早く冷ましたいとそれだけ考えながらカフェの店内を移動する。事務所の扉を開けようとしたとき、《カシャ》と音がした。
「……アッ、あーっ!?」
 ホットコーヒー片手にMacを広げて優雅にくつろぐ扉間が、スマホのカメラを向けていた。
「フン」
「ちょっ、見ないで!!消して!!」
 最悪だ。こんな汗まみれで、上気し、化粧崩れした顔誰にも見せたくない!特に、マダラには!!それにこいつ悪戯に本気出しすぎだろ。
 普段なら扉間を激詰めしてスマホを奪うか、何かしらの取引を持ち掛けてその画像を消して貰うところだが今はこのように追い詰められた身、出勤までの一分一秒が惜しい。クソ、やられた。負けた。ギィーッとあらん限りの眼力を込めて扉間を睨むだけして、急いで事務所に入ってバイト着に着替える。あれか?盗撮に怒ったってことだよね?いや、確かに盗撮は悪かったかもしれないけどでもそんな怒る??別にあたし、あのとき《彼女だ》とか《キスしてた》とか書いたわけじゃないし、そもそも身内(扉間と共通の仲のいい友人)にしか見せないように送ったし、いいじゃん別に。そんなに怒ることじゃないでしょ!
 カフェのバイトは夕方十七時から締めの二十二時半までだ。出勤して少し接客して、あらかた熱もひいて、客も一旦落ち着いたと思わしき頃少しホールに首を伸ばすと、まだ扉間は奥の方で作業していた。彼は私と同じ大学三年生(マダラ・柱間の二歳下、二人とも浪人しているので学年は一つ違い)だが、成績優秀らしいのでもう期末の勉強はあらかた終わっているはずだ。さしずめ、今は動画編集のバイトをしているのだろう。
「……失礼しまーす、お冷お入れしますね〜」
「すまんな」
「全くだ」
 お冷を入れてコースターに戻すと、彼は鼻で笑ってわたしを見た。
「ブロッコリーに跨ってくればよかったのにな」
「ふざけんなケツが壊れる」
「ガバガバなんだろ」
「死ね」
 それマンコの方!との言葉はさすがに飲み込んで罵詈雑言を囁き合うと、カウンターの方から視線を感じる。いかん、一緒に出勤しているマイちゃんとゆうりくんがニヤニヤしながらこっちを見ている。仕方がないので、扉間のMacの画面を舐めるようにジロジロ見まわしてその席を離れた。
 扉間、やっぱり動画編集のバイト中だったみたいだ。この時期にすべてのレポートを提出し終わっているとは……いや、彼はすでに殆ど授業を履修していないのか?でも理系って最後まで授業多いって聞くしなあ。っていうかちょっと待てよ、なんではごろもの住人がこんなところにいるんだよ。はごろもキャンパスは大筒木からバスで往復できるものの、この駅からはかなり遠回りだぞ……。

 それからしばらく、扉間はわたしへの嫌がらせのためだけにわざわざカフェで待ち伏せていたんだろうと本気で思っていた。
 あっという間に二月下旬になり、マダラと柱間とミトが卒業旅行でシンガポールに行く前日。今日はわたしがマダラの家に泊まりに行くと、彼は「アイツの彼女があの辺に住んでるんだってよ」と言った。
「えっ、扉間の彼女って文系なの?」
「そりゃ二人してこっち(大筒木キャンパス)にいる理由なんかそれしかねえだろ」
 パッキングはあらかたすんで、大きなブルーのスーツケースを壁際に押しやりながらマダラが言う。
「あーそっか。……ん?」
 じゃあ……え?扉間、大筒木キャンパスに来る理由がもうないから自転車をくれるって話だったけど……普通に来る理由あったってこと?自転車引き渡しのときわざわざこっちに持ってきたのも、彼女に会うためってこと?
 だいたい……ホントに扉間ってはごろもキャンパスの近くに引っ越したのか?
「ま、いいけどよ……なんか疲れたわ」
 マダラは大きなため息をついた。
「旅行の準備、大変だよねー」
「ちげえよ。……お前があんなタイミングで手袋買うのがわりいんだぜ」
「え?てぶくろ?」
 何の話かさっぱりわからない。しかし、マダラはベッドヘッドにもたれかかって怠そうにスマホを弄り、「いーいー、もう終わったから」と言った。
「え〜〜?!なに!気になるんですけど!」
「うるせえ。寝るぞ」
「寝ない!手袋と扉間がなんの関係あんの?」
「おまえのこの顔待ち受けにしたわ」
「それ削除してって言ったじゃん!」
 マダラの持つスマホにデカデカと拡大された、過去最高にブサイクな赤ら顔をなんとか削除しようともみ合いながらベッドにもつれ込む。スマホ争奪寝台格闘技の最中膝で照明スイッチが押されて、部屋の明かりがパッと消える。そのまま、手袋の謎もマダラの疲労もわからないまま、彼はシンガポールに旅立った。
――ペールブルーの外壁にグレーの壁紙、白とウッド調で揃えたお気に入りの部屋でひとり夜空を眺める。卒業したら、マダラは関東圏内の商社で働き経営のノウハウを身に着けて、いずれ柱間と独立するつもりだとミトから聞いた。道場を続けることがその目的の一つであることも聞いた。
 わたしは英文学科だが、別に英語が得意なわけじゃないし留学もしたことがなく、特に英語とは関係のないところに就職するつもりで就活を進めている。今考えているのは食品系か化粧品系の商社だが、まあどこになってもなんとな〜く生き抜けると思うし、マダラと付き合うのに支障はないはずだ。
 しかし、きっと、いずれ、マダラとは離れることになる。
 きっとそうなるだろうな、と漠然とした予感がビニールのように心を覆っていて、その膜の冷たさを撫でながらいつかくるその日をぼんやり見つめている。マダラはわたしを大事にしてくれるが、それは彼女枠としてであって、決して他の誰かと比べた場合じゃないからだ。千手柱間という親友がマダラの中で一等特別である以上、わたしが彼氏枠に求めるものをマダラはわたしにくれはしない。きっとそうなる。いつか、それを思い知らされる日が来るに違いない……。
 それまでの間できるだけ楽しい思い出をいっぱいつくって、それを可愛い箱の中に詰めよう。その箱はペールブルー。内側が優しいグレーで、黒い革の手袋と赤紫のマフラーが入っていて、一番上にあのブロッコリーの写真を置こう。そうしていつか、リボンを解いて見返したときに「楽しかったな〜」と思えるくらい、平気でありたい。

なお、手袋の件というのは自転車の話が出る前から二人は自転車を貸し合うつもりだったのでは?それを見越して手袋を買っていたのでは?というマダラの勘ぐりと、扉間が彼女に買っていたプレゼントが似たような革手袋だった偶然が複雑に絡み合って起きた諍いだがシオンは知らない。

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