「一度、前線に出てみたらいかがです?」

 戦地に来てから二か月が経った頃、より戦火の激しい東部に進軍したキンブリー隊は新たな拠点で次の攻撃計画の説明を受けていた。わたしは、新しく拠点を移すたびに、傷病兵をまとめて一気に治療できる衛生拠点を設けることにしていたので、さっそく衛生兵に場所を案内してもらおうとしていたところだった。地面に、大きなテント丸ごと入る錬成陣を描いてその上にテントを張ってしまえば、あとはそこに負傷者と死体を担ぎ込むだけで事足りる。

「え?わたしがですか?」
「そうですよ」

 ゾルフが、テントから出ようとするわたしを引き留めた。 

「キンブリー少佐、恐れながらこのあたりは特に抵抗激しく、レイリー補佐官がいらっしゃらないと――」
「治しながらチマチマ進軍するよりも、スピーディに、より苛烈に攻撃を仕掛けた方が早く片付く。どうせ彼らは死ぬのですから長引かせるより結果的に犠牲者は少なく済む」

 ゾルフの提案は毎度のこと上司にウケがいい。
 なんとかっていう准将――名前が覚えられないが褐色肌の剛毅な男――は、「一理ある!」と大口開いて笑った。

「だがレイリー君、君の錬金術は治療以外のこともできるのかね?」
「使いようによっては……しかし、」
「では、次の攻撃では君も前線に出たまえ。キンブリー少佐、彼女をむざむざ死なせることのないよう頼むぞ。折角の効率のよい回復要因がいなくなっては我が部隊の損失だ」
「心得ました」

 ゾルフはにっこり笑った。



 戦地に慣れてきたのだろう。
 准将の醸す威圧的な態度といい、彼の満面の笑みといい提案を拒否できるような空気ではなかったが、わたしは出撃命令をさほど苦にしていなかった。多少の犠牲を払ってもいいからこの虐殺を早く終わらせたい。死体を使って兵士を治すことの虚しさを誰よりも感じているのは自分だ。もういっそのこと、物凄く強力な武器でもぶっ放してこの地域を真っ平らにしてしまいたかった。イシュヴァール人でもアメストリス軍人でも、みな同じ一つの命……それならイシュヴァール人のみを一瞬で殺してしまえば、少なくともアメストリス軍人の命は助かる。どうせこの戦争は、イシュヴァールの武僧を全員殺し尽くすまで終わらない。
 わたしはゾルフに連れ立って、イシュヴァールの武僧20人あまりが立てこもる寺院に向かった。寺院の向こう側にも国軍の手が伸びていたが、どうにもこの寺院に狙撃手がおり国軍キャンプを度々攻撃されてこの先の戦線が膠着しているという。彼らを排除するのは一刻を争う急務だった。

「あのときの話ですが……この攻撃が終わったあとにでも」
「はい?」

 轟音がひどくて聞き返した。

「ああ……見せたいものってやつ?てっきり、”見てください、この鮮烈な光景”とか言うんじゃないかと思って本気にしてなかったよ」
「違いますよ」

 兵士たちがバリケードを築いて撃ち合う音が聞こえる。先行したキンブリー隊が、「一時撤退!」の号令を回し多くの兵が逆方向に走り去る。
 わたしたちの姿を見た一般の兵士が顔色を変えるのを横目に、寺院と激しい銃撃戦を繰り広げる建物の陰に到着した。

「すぐにわかりますよ――わたしの攻撃を見ていれば」

 ゾルフの言葉の意味が、そのときはよくわからなかった。ストークス師匠の元を離れてからお互い一度も互いの錬成を間近で見たことはなかったのだ。ダイナマイト10本でも足りないような大爆発で寺院丸ごと吹き飛ぶのを見たからって、彼の錬金術の腕前は己の想像を超えて上達していたのだろう、と驚嘆しただけだった。
 その後、先端を開いたゾルフの攻撃によってキンブリー隊と周囲の兵士で一気にイシュヴァール占領区域になだれ込んだ。事前で口裏をあわせていた通り、わたしは撤退する武僧の身体に手当たり次第触れて、取り逃したフリをしてそのまま逃がした。その武僧たちは再起を図って自治区の奥に逃げ込み、イシュヴァール人が多く潜む区域に戻ったところで爆発した。
 わたしは繊細な作業を得意とする錬金術師なので、ゾルフのような大規模な殺傷力を持つような攻撃手段はない。だから、ゾルフの錬金術で体内に爆弾を作り、それをわたしの錬金術の応用で爆破までの時間をもたせた。内臓の一部に臓器のような肉の袋をつくり、その中にゾルフの錬成陣を仕込み、心拍数万回後に袋が破裂するようギミックを整える……その爆発で彼らが潜伏している場所も特定できた。
 武僧を殺すのはまだ抵抗がない。彼らは大人で、自分の意思で国に逆らい、同胞を守ろうとする戦士だ。
 しかし、子どもを殺すことはどうしてもできなかった。
 自分の攻撃や治療で既に何万人も死んでいる、ということを頭で理解していても、目の前に現れた子ども一人手にかけるのができないのが普通の人間だ。わたしはそれを卑怯だとも情けないとも思わないし、こんなことをさせる国に、しいては世界に対し、腸が震えるような怒りを抱きつつあった。赴任から一ヵ月……今まで誰の目も届かない場所でこっそり子どもや民間人を逃がしていたし、きっとそんなことをしている兵士は大勢いるだろうと推測された。

「あなたもですか……」

――そういう、普通の心が囁くままにした行動は、しばしば外道の手によって妨害される。

 人影なく、まだ壊されていない建物が密集した細い路地にわたしはいた。10歳ほどの女の子と、15歳ほどの少年を細い通路に誘おうとしたところで上から声がした。
 見慣れたシャツと、青空にはためく黒髪。彼は三階建ての建物の屋上に立ち、こちらを見下ろして両手を合わせる。舌打ちする暇もない、瞬時にわたしも両手を合わせ、彼ら二人の腕を掴んで”肌の色”を変えた。

「少佐〜〜彼らはアメストリス人です〜!ほら、肌の色が見えないんですか?」

 屋上で掲げられた両手がふと止まる。青空を背にして逆光になり、彼がどんな表情を浮かべていたのか地上からは伺い知れない。その隙に子どもらの背中を押し路地に逃がした。表面の色素を取り去っただけなので、紫外線に焼かれた皮膚のようにじきにまたあの褐色の肌が見えてくるだろう。でも、目の色は遠目からでは見えないから、普通この地区に白色肌の人間がいたら問答無用で殺されはしない。
 ゾルフは建物の外階段を降り、ひらりと手すりを跨いで地上に降り立った。

「……なかなか面白い方法で子どもを逃がす」
「あれだって一周間も持ちません。もっと早く、正確に遺伝子操作ができればいいんですが」
「褒めていませんよ……酷いと言ったんです」

 わたしは怪訝に首をかしげた。

「イシュヴァールの民にとって身体的特徴は誇りの一つだ。『神は、母なる大地と父なるその血から人をつくった。よってイシュヴァールの民は土から産まれ、神の血を瞳に宿した。これが神の子、イシュヴァールの民である。』唯一絶対神イシュヴァラの恩恵を奪うことがどれだけ無礼な行いか、あなたはわかっていない」
「これだけ蹂躙して無礼も失礼もあるものか。……無抵抗な民まで殺さなくたっていいでしょうに」

 彼らが走り去った路地に目を向ける。
 ゾルフは笑みを消している。

「その考え方が傲慢だというのですよ……彼らは民族の名誉と誇りのために立ち上がった。ならばその命を、彼らの生きざまを、受け止めることこそが我らの本分!悲しくも美しい生のいななきがあなたには聞こえないのですか」
「何を言ってるのかわからないけど、そういう抽象的な言い方をする人は嫌いかな」

 思春期の五年を共に過ごしても彼の怒りのトリガーは未だにわからない。あの夜、わたしがゾルフの殺人を黙認し死体遺棄を手伝ったときも彼が妙に”怒っている”ことは理解したが、それが何故なのかわからなかった。ただ兵士の中にはゾルフが怒っていることもわからないまま、哀れな八つ当たりを受ける者もいることを考えればむしろ彼の感情を僅かに理解しているだけマシなのかもしれない。

「どれだけ高尚な理想を掲げても結果が全てよ。ゾルフ、結果が全てなの。こんなクソみたいな状況が広がっている時点でそのかっこいい能書きはなんの意味もない」
「それなら……結果が出るのを待ちましょう。まだしばらくかかりそうだ」
「無抵抗の民間人が虐殺されてる。これも十分有意な結果だよ」

 科学、しいては錬金術において観測結果はすべてだ。どれだけ精密な仮説を立てても、出た結果ですべてを考える。

「わたしはね、せめて子どもだけでも逃がしてあげたいって思ってる。上官の命令に背こうと軍人の本分がなんであろうと……でもあなたにそれを期待してるわけじゃないから、勝手にやる」

 段々と詰め寄られて、一歩さがって呟いた。ゾルフは口を閉じた。
 怒っている。彼は怒ると目の端がぴくりと震えて、垂れ長の瞳がいつもより細まる。

「あなたはそうやって、いつも人の矜持を踏みにじる」
「……なんの話?」

 ゾルフは苛立たしい様子でため息をつき、奇妙な笑みを浮かべてわたしを睨んだ。ゾルフがどう思っているのかわからないけれど、わたしは一応弟分として今も彼を気にしているんだからそうやってあからさまに怒りを露わにされると困る。人前では弟弟子と説明しているが……だって、もう、兄弟同然だ。
 なんで、そんな風に睨むの。
 なににそんなに怒っているの。
 昔なら「なに怒ってんの?」なんて気軽に聞けたものだが、今は口が重い。
 互いにしばらく黙っていた。遠くから砲弾と軍靴の音、銃声が聞こえるがどうやらここはあまり兵士が来ない。

「結果。そう、その話をしにきたんですよ」

 ゾルフは胸ポケットから赤い石を取り出した。

「なに?」
「”賢者の石”です」

 けんじゃのいし?あの、錬金術師なら誰もが知ってる三大禁忌の一角を占めるあれのことか。
 国家錬金術師の三大禁忌は、金を作るな、人を作るな、軍に逆らうなだ。だが普通の民間錬金術師の場合は「軍に逆らうな」が消えて「石を作るな」が加わる。「作るなっていうか作れんのかよ」のツッコミ待ちのその石は勿論わたしも知っている。だが、パチもん以外の賢者の石がこの世にあるとは思っていなかったので、「は?」と間抜けな声がでた。

「ユレー、この国の全貌が知りたくないですか」
「……知ってるの?まさか、”こう”なった原因を知ってるってわけ?」

 もしそうなら、何故止めない?何故加担するんだ。
 いや、何故なんて言葉ゾルフにかけても意味はない。この男は……この子は命のやり取りに生きがいを見い出し、人を合法的に殺すために軍に入ったような人格破綻者だ。仮に国の全貌(恐らくこの場合は、隠された真相という意味だろう)とやらがあったとして、そんな楽し気な計画に誘われたらホイホイついていっちゃうに違いない。
 ゾルフは目に見えて機嫌よく笑みを浮かべている。

「国の全貌とやらと、その赤きエリクシルに何の関係があるの」
「さあ……わたしも所詮路傍の石ですからねえ、知っていることはありませんよ。ただもし興味があれば、あなたも参加を許されるかもしれない」
「参加を許され……」

 わたしはその赤い石を見つめて戸惑った。

「だいたい、それ本物なの?」

 質問した直後にゾルフが嬉々として錬金術を行使する様子を思い出した。そうだ。ゾルフの爆発は本来人の身体に直接触ってようやく一人を殺傷しめる程度のもの。あれから改良を重ねたといえど、遠距離から効果を伝播させ広範囲に地面を割り建物を粉砕するだけの力が出るものか?
 ゾルフは石をポケットにしまって「見た通りですよ」と言った。

「知りたくはないですか?この世界の大きな流れが――一体なんなのか」

 声を潜める。耳に掠める。
 この地獄が何故できたのか……それを知る鍵をゾルフが持っているのか?ゾルフが知っている、もしくは一枚噛んでいるということは、まさか軍部に”何か”があるのか。大きな流れってなんだ。この戦いは流れの一部だとでもいうのか?でもなぜ教えようって気になったのだろう――他でもないわたしに。ゾルフはわたしを、疎んでいるはずなのに。

「賢者の石は万能の石だ。もしかすると……まあ、望み薄ではありますが……あなたの望むものも手に入るかもしれない」
「望むものって、ゾルフ、わたしの望むものを知っているの?」
「知ってますよ」

 空は青い。路地は暗い。
 いきなりゾルフが屈みこんできて、彼の手がするりと頬を撫で首を掴んだ。反射的に身体をひいて手首を掴み押し戻す。驚いた。わたしは困惑している。今、ふたりの距離は確かにいつもよりは近いけれど、掌で振れている皮膚越しに彼の鼓動が聞こえるくらいにその存在をつぶさに感じる。

 わたしの望むもの。
 わたしですら知らない、わたしが欲しいもの。

「――それが一生手に入らないということも」

 言葉の意味はわからないが、なぜそんなことを言うのだと思った。そんなひどいことを。わたしですら今、まだよくわかっていない”望み”とやらを彼は知っていて、しかも一生手に入らないだなんて。

「わからない。でも、賢者の石には興味ないよ」

 そう答えるしかなかった。この地獄を作ったなにかがあるとしたら、その流れをなんとか正さなければならないと思う。しかしわたしは軍人にはなれないしなりたくない。
 どこからかキンブリー隊の兵士が駆け付けてきて、「残存勢力の掃討はほぼ終わりました」と報告した。彼はぱっと手を振りほどいて「戻りましょう。ここから先はしばらく激戦地になる、体制を立て直さなければ」と言って背を向け歩き出した。
 わたしの望むものって何なの?
 あなたにも望みがあるから、そんなものを使っているの?

「ウーリ地区側の道が爆撃で脆くなっているので、向こうの道が安全だと思われます。あと……実は、兵士の一人が捕虜を取ってしまい……」
「おや、それはいけませんね。ユレー、わたしは少し野暮用を片付けてから行きますので先に戻ってください」
「……はい」

 彼はふと足を止めて振り返り、「気を付けて」とわたしの額にキスをした。

コペンハーゲン解釈

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