ユレーが投獄されてから少し経った頃、クレミン准将に声をかけられた。
 その頃のキンブリーは自他ともに不思議なほど順調にエリートコースを進んでおり、どうみても冤罪なはずの殺人事件を咎められるばかりかイシュヴァール戦での仕事を評価され中佐に昇進してすらいた。そんな折、人気のない、セントラル幹部棟西階段踊り場で突然上の人間に声をかけられれば、さすがのキンブリーも”きたか”と思わずにいられない。
 『賢者の石』の話を持ち掛けられたのはイシュヴァール戦開戦直前で、ユレーを軍に誘った後だった。それからは、この事情の黒幕が誰なのか、誰がこれを知っていて誰が知らないのかを無意識に仕分けながら過ごすようになり、クレミン准将は『知っている側』だろうと推測した人間である。

「これはクレミン准将」

 素早く姿勢を正し敬礼すると、彼は手をあげて「いい、いい、」と言ってキンブリーの隣に立った。キンブリーは今イシュヴァール戦を終えて数が減った部下に誰を補填するか、人事部から資料を貰って検討しようと自室に向かっていた最中であり、何もこんな禿頭と太陽のきらめく午後の庭を眺めても何も楽しくはない。

「いい天気だ」クレミンは青空を仰いでいる。
「そうですね。どういったご用でしょう?」
「聞くところによるとどうも……例の馴染みとやらに、よく面会に行っているらしいね」

 きたな。キンブリーは、”痛いところを突かれた”ようなそぶりでわざとらしく姿勢を緩ませ「ああ……その話ですか」と苦笑いした。

「まあ、彼女とは五年共に過ごした仲ですから。無期懲役の身はさぞ辛かろうと思いましてね」
「何故殺さない?」

 クレミンは背中で手を組んだまま表情を変えずにキンブリーを見た。

「君が、石欲しさに五人を殺した件はもう良い。上も最初から奴らには期待していないようだし君のほうがより面白い駒になりそうだからね」
「……ほお。では、より詳しい話を聞かせて頂けると?」
「いずれな」

 なるほど。キンブリーは二度頷いた。
 あの場にはクレミンと同じ地位である”准将”も居たはずだ。准将は、アメストリス国にそう大勢いるものではない。大総統の下に一人の元帥、三人の大将、九人の中将、(今は)十五人の少将、そして二十七人の准将……。准将一人大したことないと言えるほどの組織となれば、大総統、いやもっと上がいてもおかしくはない。

「今回の話はあの件とは無関係で、なに、ただわたしが暇だったから声をかけただけなのだ。ただの興味本位だな、気にせず答えてくれないか」
「そうでしたか。ひやりとしました」

 キンブリーは安堵の表情を浮かべたが内心は逆だ。興味本位でユレーの話を聞かれるのはあまり嬉しくない。

「君は自分が投獄されたくないから彼女を嵌めたのだろう?だが、彼女は石のことを知っているらしいじゃないか、このまま放置していていいのかね」
 そんなことまで把握しているのか。「いえ、彼女は石については殆ど知りませんよ」キンブリーは穏やかに答える。
「それにわたしは、己の罪を償いたくないから投獄を避けたわけでもないのです」
「ん?」

 クレミンは首を傾げた。

「わからんな。君がちっぽけな虚偽を並べる男でないという見立てが正しければ、君は一体何のために彼女を嵌めたのだ」
「…………難しい質問ですね」

 なんのために?
 確かに、あの件で新たな証拠により真犯人が見つかり己が投獄されても問題はない。そんなことはキンブリーにとってどうでもいいことだ。ただ、今は物事がこう動いているからそれに従っているに過ぎない。あの刑務所の中であの女が……自分の視界と心の中から少しでも消えてくれて、そして己の行為について内省し、気づいてくれればそれでよかった。
 気づいてほしい。己が何を求め、それが最初から不可能であることに。
 そして認めろ、己の醜さを。幾つかの罪と罰が正しくかみ合っていない現状を。あのときわたしから何を奪い、わたしに何を抱かせたかを。

「まあ、いずれわかりますよ」
「ん?まあようわからんが、君には期待している。今すぐには動きはないが、時が経てば君にも役に立って貰うよ」
「是非、そのときはこのキンブリーにお声がけください」

 クレミンが差し出した手を、キンブリーは爽やかな笑みを浮かべて取って握手した。



 音が聞こえなくなった。キンブリーはひっくり返った地面と倒れた幹を跨いで、粉塵を掻きわけ慎重に彼女の方に近づいた。水音がする。気管支をぎゅーっと潰したところに無理矢理空気を通すような、とぎれとぎれの息が聞こえる。
 ユレーは割れた木の鋭利な先端に腹を貫かれて、幹に串刺しの状態でもたれかかっていた。嘔吐するときのほうにびくびく腹が震え、口からぼとぼと血が垂れている。掌の錬成陣は両方無事だ。ここからでもユレーなら応急処置を施せる。キンブリーは彼女の前で腕を組み、「どうしました?治せるでしょう」と言って待った。ユレーは時折白目をむきながら僅かに目を開いて驚いている。口がぱくぱく動いて、負けた、と言った。
 負けた?勝ち負けのはっきりしたゲームでもしてるつもりなのか。そもそも、逮捕された時点でわたしに負けている癖に……また、胃が湧きたつ。この女と顔を合わせると苛立つことばかりだ。彼女はもう死ぬだろう。何故彼女を殺さない?と、クレミン准将の言葉が不意に思い出された。
 そのときユレーの口がまた動き、抜いて、と言った。キンブリーは彼女の胸倉と肩を掴み、木の枝から身体を引き抜いた。
 どぼ、と蛇口から噴き出る水のように血が噴いて、自身の青い軍服と彼女の灰色の囚人服を鮮血が染める。思わず顔をしかめて彼女を幹の根本に横たえる。木漏れ日から差し込む陽射しが彼女の黒髪の上から降り注ぎ、最初に会ったときのことを思い出した。ユレーは埃が星屑のほうに舞う家のなかからこちらを見て、小さな天窓から差し込む光が黒髪を緑閃輝石のように輝かせていた。入所してすぐ短く刈り上げた髪がやっと肩まで伸びてきていたから、脳裏で重なったのだろう。
 彼女は震えながら両手を持ち上げて、わずかな力を振り絞って腹に押し当て、青白い光を放った。

「つまんなそうな顔してるね」

 かろうじて喋れるだけの力が戻ったらしい。キンブリーは彼女の傍に膝をついて「そうですか?」と聞いた。

「やっとわたしを殺せるのに」
「わたしはあなたを殺したかったんじゃない」

 なぜ、この女はいつもわたしのことを全く見当違いな方向に間違えるのだ。この期に及んで――もう、死ぬというときにすら!
 キンブリーは憤った。まさか人に理解されたいと願う自分と、理解しないこの人に、毎回毎回飽きもせず苛立ち絶望する。怒りとは表層に噴出した感情であってその奥にその怒りの正体があるということは、軍に入って受けたアンガーマネジメントの講義で知っている。わたしの怒りは彼女への切望だ。願いだ。これが在るのがずっと鬱陶しかった。

「あなたはわたしの性根に気づいていたはずですよ。わたしは己を恥じも悔いもしないが、ただあなたには殺されてもいいと思っていたのに」
「なんでわたしが、殺さなきゃいけないの」
「わたしのような人間が許せないはずだからですよ。あなたの母とストークスの愛のためにわたしを殺すべきだった」
「ああ……そういうこと。それを勝手に、わたしの、本分に、しないで」

 血がたりないのか、吐いた血の跡か唇が真っ青だ。傷を塞いで血を増やしても、外に流れ出た血を補填することはできないくらい出血が多すぎた。キンブリーはそこで実に奇妙な心地に襲われた。焦燥だ。ユレーが死ぬ前に何かしておかなければならない気がする、という根拠のない焦燥。今までどの戦場でも、部下の死を前にしても、両親が死んだときでさえ感じなかったそれが俄かに浮かび上がった。人が人の死を目前にいきなり取り乱すことの正体がこれかと少し理解した。

「ゾルフ。あなたが、わたしの錬金術を理解してくれてて、嬉しかった。あのとき、あなたの生き方を否定してごめんなさい」

 ユレーの瞳から透明の涙が零れた。
 動悸がする。キンブリーは項垂れ、ため息をついた。どうやら本当にユレーのことを愛していたらしい。ここで殺す決断は正しかった。

「ユレー、わたしを見ろ。今度こそ目を逸らさずによく見ろ」

 ぼんやり此方を見るユレーの瞳が湖の底のような深緑色を映している。彼女の唇に唇を重ねようとしたら、彼女の睫毛の先端についた水滴がキンブリーの頬を掠めた。唇に触れる前にやめて、額に接吻を落とすと彼女の腕が動いてキンブリーの肩を抱いた。もういなくなる。自分をこうして抱きしめる人はもう、これでやっと、いなくなるだろう。

さよなら、ソーネチカ

ゾルフ・キンブリー(享年34)
西部クレタ国境付近で生まれる。クレタ国境戦で両親を亡くし孤児院で育ち、11歳から溶解の錬金術師アイゼン・ストークスに師事。十七で国家資格を取得、紅蓮の錬金術師の名を戴きそのまま士官学校に入学。27歳で少佐に昇進、イシュヴァール戦にて金軍勲章を受章するも五人のアメストリス軍人を殺害、同じ師を仰いだ塑性の錬金術師、ユレー・コスモクロア・レイリーに罪を被せる。一年半後、レイリーを刑務所から連れ去り殺害、前述の事件を自ら認め出頭。
5年後、大総統から恩赦を得て出所。以降■■■陣営に加担し暗躍する。傷の男〈スカー〉を追跡しブリックス要塞へ赴き、ドラクマに助力し第三次ブリックス強襲事件を起こす。"約束の日"、■■■との戦いの最中死亡。



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