急患一歩手前(7/13)

室内に戻ればあたたかい空気に包まれる。先程まで寒ささえ忘れそうな緊張感に苛まれていたため、余計に暖炉の火のぬくもりがありがたい。ほっと息をついてから私達は、カイル先生に導かれるままあてがわれた席へつく。昨日と同じ、淹れたてのあたたかいお茶まで用意してもらえるのだから至れり尽くせりである。
せめてお茶の準備ぐらい手伝おうと厨房へ向かえば、小狼さんと一緒にカイル先生へ申し出れば砂糖やミルクを準備する役目を与えられた。

「えーっと、これが砂糖と、ミルク、ですね。小狼さん、塩も砂糖と同じデザインの容器に入っているのでお気をつけて!」
「ああ、本当ですね、気をつけないと」

Sugar、Salt、Milk、ラベルに書かれた名前は私と小狼さんには簡単に理解できる文字だった。他にも調理場の壁に貼られた食事のメニューについてのメモだとか、この国の料理の簡単なレシピ本だとか、生活に密着した教材が溢れかえっている。
レシピについては、町の奥さん方に教えてもらったのだという。それも私の知る英語で書かれているようで、なんとか読むことができる。私達の知識が共通のものであると分かり、学者肌の小狼さんにとって思わぬ学習の機会になったようだ。義務教育とは言え英語を勉強しておいてよかった、と学びの奥深さに感動してしまいそう。

「お勉強はほどほどにして、朝食にしましょう」
「はーい!」
「はい、ありがとうございました、カイル先生」

あれやこれやとお互いが読める文字を読み上げ、確認しあっていると苦笑いのカイル先生からストップがかかってしまう。慌てた私達は今度こそ、お茶を皆さんの待つ部屋へ運んでいった。


***

湯気の立つ温かい食事を前にする頃になると、まずカイル先生から改めて労りの言葉をかけてもらっていた。町の人々に疑われ続けることは気持ちの良いことではないから、と痛ましげな顔で私達へ頭を下げる。

「先日から町の者が本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ、元はといえばわたしが金の髪の姫を見たと言ったからで……」
「金の髪の姫を見たんですか?」
「…はい。でも、ごめんなさい。わたしがあの時外に出ていれば…」

サクラ姫もまた俯き、もどかしそうに呟く。だけど、サクラ姫は眠りと目覚めを繰り返してばかりの身だった。夢だと思っていても不思議ではない、とカイル先生が嗜めるように告げる。そう、本来ならばそれでおかしくはなかった。それを町の人が許さなかったけれど。

「町の人達はそう思ってないみたいでしたけどー」
「"スピリット"の人達にとってあの伝説は真実ですから」
「史実ということですか」
「この国"ジェイド国"の歴史書に残っているんですよ」

"三百年前エメロードという姫が実在し、突然王と后が死亡し、その後次々と城下町の子供達が消えた"
"いなくなったときと同じ姿では誰一人帰ってこなかった"

町に来る前に訪れた酒場では口伝に過ぎなかった物語は、歴史書という形をもって現実味を帯びてくる。サクラ姫の羽根に気を取られていた時には、感じる暇もなかった寒気が押し寄せてきた。
消えた城下町の子供達、それはかつて神隠しにあった"私"と同じだ。

「そりゃあ生きて帰ってこなかった、ともとれるな」

フォークを咥えて歴史書への考察を語った黒鋼さんの声に、思わず生唾を飲み込む。私もまた、いなくなる前と同じでいられなかったのだ。生きて帰れはしたとはいえ、もしかすると私は死んでいたのかもしれない。口が渇いて、何も言えなくなってしまいそうだ。ため息をあたたかい飲み物で流し込むべく、カップに口をつけた。そんな私を横目に、話は続いていく。
伝説の再現と表現しても過言ではないほどよく似た城について。そして町での金髪のお姫様の目撃情報について。

「サクラさんとおっしゃいましたね、貴方が初めてです。そのことでグロサムさんがなにか言ってくるかもしれません」
「サクラちゃんは初めての目撃者かもしれないものねー」

私達のことを強く警戒していたとはいえ、グロサムさんは町の人達の混乱を鎮めてくれた一人だ。今はそう悪いことにはならないと、淡い期待を込めるしかない。ただでさえ余所者として町を混乱させている私達が騒動を起こすわけにはいかないのだ。
我ながら珍しく保守的な思考である。どれもこれもズキズキと痛む頭のせいかもしれない。せっかく歴史書を読みに行こうと話が進んでいるというのに、会話についていくことさえ難しい。

「………」
「立花さん?」

何かを思い出しそうな、むしろ思い出せと言わんばかりに頭が揺れた。きっと町に来た時と同じように、汗が滲んでいるのだろう。あの時は黒鋼さんが視界を隠してくれたおかげで事なきを得たけれど、今回はその手も遠い。
目に見えて具合の悪くなっていそうな私に、正面の席に座っていたカイル先生が心配そうに声をかけて。カイル先生に呼ばれると、それは一層強さを増した気さえした。とうとうふらつき始めた私を、斜め隣の席のファイさんが支えてくれる。

「この国に来てからだよねー、立花ちゃんの具合が悪くなったの」
「あの、高麗国の時から、ですよね。あの時よりもずっと辛そうで…」
「ああ、サクラ姫…そんな大げさな話では…」
「…!そんなにも前から」
「立花ちゃんったら、もっと早く言わないとダメでしょー、めっ」

居ても立ってもいられない様子で、ファイさんへ補足したのはなんとサクラ姫だった。高麗国でのサクラ姫はふわふわしていて虚ろだったけれど、私の異変だけはしっかり覚えてくれているらしい。
サクラ姫の進言によって、小狼さんやモコナさんは明らかに心配を前面に押し出している。子供を叱るようなファイさんもいつのも笑みはどこか力ない。やっぱり一人だけ険しい顔の黒鋼さんは、視線をカイル先生に向けて立ち上がろうとしていた。促されるようにしてカイル先生も席を立つと。

「医師っつってたな」
「ええ、私が診ましょう」

短いやり取りの末、私は診察室として使われている部屋へ運び込まれることになった。見慣れた医療機器よりも、少しばかりレトロな道具が目の前に並べられる。聴診器と思しきそれを前にして条件反射で体が動いた。学校の内科検診で慣れきった現代人の体は、お医者さんに協力的にできているのである。

「……」
「…!」
「なら、オレら出てようかー」
「へへ、お手数おかけします…」

慣れなさと頭痛から覚束ない手付きでドレスの背に手をかければ、まず黒鋼さんが無言で診察室を出ていった。続いて顔を赤くして一瞬動けなくなった小狼さんを連れて、にこやかなファイさんがその場を後にする。更にサクラ姫がモコナさんを抱いて、ファイさんにひよこのようについていった。そして最初に出ていったはずの黒鋼さんが、ドアマンよろしく最後まで扉を支えていてやや乱暴にドアを閉めようとしている。

「終わったら呼べ」
「すみません…歴史書が…」
「歴史書は逃げないから大丈夫だよー、それにオレたち立花ちゃんを置いていったりしないから」
「はい、部屋を出てすぐのところで待っていますから」
「モコナも立花のこと待ってるー!」
「気にせず、ゆっくり診てもらってください」
「はあい…」

皆さんの言葉に慰められる様子を、カイル先生は微笑ましそうに黙って見つめている。どこからどう見ても優しい町のお医者さんだった。
それなのに、どうしてこんなにも不安になるんだろう。出ていった皆さんをつい、呼び止めそうになったけれど、それは叶わなかった。



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