「坂田さん、坂田さん」
「あ?何」
「…あのさ…、料理、教えて」
「…何で。んなもん、ネットで調べられんだろ」


何で今更、と呆れ半分。残り半分は、何でわざわざ俺?だ。この情報化社会にネットで分からないものはそうそうないはずだし、料理教室に行ったっていいだろ。女は「お稽古」とか好きだろ。わざわざ俺でなければならない理由はない、のであれば、はっきり言って面倒臭いだけだ。遠慮する必要がない相手なだけあって、デカい溜息混じりにジャンプを読みながら、そう答えた。
吉乃の母親は料理が得意な人で、俺が遊びに行くと、かなり手の込んだ洋食から、素朴な味の和食まで、よくご馳走になったもんだった。弁当だって、栄養と色どりがよく考えられていたので、周りが羨ましがってたのを今でも覚えている。
だから、吉乃は元々あまり料理をしない。母親の料理が好きだったし、幸いな事に、家族の元にいた頃は作る必要性に迫られる事もなかった。それに、学生の頃に付き合っていた男共も実家暮らしのこいつに大して料理を求めてこなかったようで、一人暮らしをする際にやっと母親からいくつかの料理を教わっていた程度だ。
その代わり、吉乃は菓子をよく作った。中学までは、クッキーやらトリュフやらプリンやら、あまり手の込んでいない物をよく作っていて、高校の頃は、ケーキやらアップルパイやら、手の込んだ物を作るようになっていた。俺はよく覚えちゃいないが、ガキの頃に、俺が冗談半分で何か甘いモンを作れと迫った事から作るようになったらしい。
今回、ようやく料理を作る気になった理由は、どう考えても土方君だ。男の好みに合わせるという、吉乃のパターン化された歴史から、なんとなく分かる。
だが、俺を実験台にするのは今に始まった事ではないし、どうせ俺だって飯を作って食わなきゃならない。それに、社会人一年目で金が要り様な時期にタダ飯を食えるとなると、悪い話ではない。財布と銀行に入っている今現在の金をなんとなく思い出そうとしたが、好きな漫画のコマの切れ間から浮かんできたのは、財布にある何枚かの千円札が何枚だけだった。…給料日まで、持ちそうにねぇな。


「金は出さねぇぞ。それでいいならやってやるよ」
「え…っ、本当?」







菓子作りが得意な事を考えて、先ずは菓子でも使う卵を使った料理から教えることにした。だから、一発目は卵焼きにする。
教えてやると言った翌日、早速二人でマンションの狭い台所に並んだ。ふざけて「何で裸エプロンにならねーの」と言ったが、吉乃は俺をゴミを見るような目で見た。馬鹿野郎、裸エプロンは男のロマンだ。エプロンの下には少年の頃からの夢と、二日酔いの濁った目でも一瞬できらめかせてくれる輝かしい希望が詰まっている。これなら一発で土方君も気に入る筈なんだが。
卵を割り、かき混ぜて、出汁と調味料を合わせたものをその中に入れる。油をフライパンに薄く引き、卵液をフライパンに薄く入れては巻き、油をまたフライパンに薄く引き、何度も同じ作業を繰り返して層を重ねた。
形はまあまあ出来たと言っていいだろう。あとは、味だ。
包丁で綺麗に切り分けられたものを一切れ摘むと、吉乃から期待を込めた目を向けられたが、それは昔に菓子の試食を散々させられている時に見たものそのものだった。


「…美味しい?」
「俺はもっと甘い卵焼きがいいけど…まあ、いいんじゃねえの?」
「あんたの好みなんてどうでもいいから」


それからは、母親に教わったシチューやカレー、野菜炒めといった物を改めて作らせ、徐々に、唐揚げ、ハンバーグ、肉ジャガ、と定番のもの教えていった。
土方君に食わせる機会はあまりないようだが、なんだかんだで上手くやってるらしく、たまに一緒に帰ってくることもあるようだ。俺が風呂を借りに行くと、機嫌の良さを隠し切れていないので、嫌でも分かる。結構な事じゃねーか。俺は俺でタダ飯にありついているので、有り難い限りだ。


卵焼きを作った日から三週間程経った日の会社の会議室で、土方君が女と二人きりでいる場面に、たまたま出くわしてしまった。会話の中身に大して興味はなかったが、その会議室に用事があったし、正直に言うとサボりたい。新入社員だからといって俺が仕事熱心な方でないのは俺に用事を頼んだハゲのあのおっさんだって知ってる筈だから、直ぐに戻らない事くらい想像の範囲内だろう。俺に用事を頼んだおっさんが悪い。
そこで、少し空いているドアの外で待つことにしたが、あからさまとも言える女の嬉しそうな表情を見ると、土方君をかなり気に入って。しかも、その女は中々可愛い顔をしていて男の中でも人気のある女だったので、恐らく、この状況を嫌がる男は滅多にいない。
面倒臭い事にならなきゃいいがと思いながら少し待っていると、嫌な予感は的中した。


「土方君てさ、彼女いる?」
「いや」
「じゃあさ、立候補していい?」


舌打ちが漏れた。仕事中だし。ここ会議室だし。だが、ここで立ち去るわけにもいかない。こいつらの為に何故俺が気を使う必要がある。
すると、俺のではなく、土方君のと思われる溜め息が聞こえてきた。中の空気が一変し、廊下に立っている俺は自分の耳を疑った。そっと中の様子を伺うと、土方君は自分の手元を見たまま、淡々と仕事を続けている。視線すら合わそうとしていない。


「止めとけ。時間の無駄だ」
「えー」
「そんなもん作る気はねぇし、俺達は仕事覚える方が先だろ」


吉乃の事を好きになってなくて当然だといえば当然だが、飯を作っている時の様々な顔が不意に浮かんだ。それに、人を好きになるのに時期なんざ関係あるのか?
……………。

そのまま帰るのが嫌で、居酒屋へ飲みに行き、家に戻ったのは夜遅くになってからだった。顔と髪の毛を洗面所で適当に洗い、酔いと疲れに任せて冷たいシーツの上に寝転がると、トンと一回、隣の壁から合図があった。それを無視する。数分後にまたノックが一回合図があったが、動きたくねーわ、放っておいて欲しいわで、それをまた無視する。
そうしてしばらく無視していると、馬鹿が合い鍵を使って勝手に部屋へ入ってきやがった。土方君に見られたらどうすんだ、俺が一人遊びしてたらどうするつもりだ、てめぇ。チェーンをかけなかった俺を棚に上げて心の中で毒吐く。
寝てるふりをしようにも、玄関のドアから俺がいる場所の距離は短すぎた。


「どしたの?何かあった?」
「…別に。飲み過ぎただけだって」
「あっそ。じゃあ落ち着いたら来れば?この前教わった卵焼き、一人で作ってみたんだけど、甘めの味付けにしてみたからさ」


吉乃の能天気な声に、返事を奪われる。わざわざ甘めの卵焼きを作ってみたと言われて、いらねぇとは言いにくい。酒を呑んだ後なので風呂にも入りたい。体を無理やり起こすと、アルコール臭い舌打ちが漏れた。

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