「手に入れる」なんて言葉がある。その言葉の意味する所は一体何か。その物の全てを掌握する事か。思うがままに出来る事か。何れにしろ、そう実感するのは己の裁量一つ。結局のところ、どうとでもなる不確かなもの。

それに同じ状態を保ったままでいられるなんて。そんなもの何一つない。それは有形無形、形を問わずに言える事。例え今、手の上で収まっているにしても。大きかろうが堅かろうが。関係無しに、いつかは形が、在り様が変わる。そしていずれ費える。この掌から消え失せる。

要するに、その言葉は整列された単なる語彙そのものでしかない。誰にもその確認すら、所在すら示さず。ただ何となく雰囲気だけを取り繕った単語の集体。匂いや煙と同様、目にする事なく感じ取るだけのものなのだろう。


隣で寝ている要にそうなる事を望まないのはそうした理屈だ。それに端から望んでもいない。無駄だと理解しているからだ。要も欲していないだろう、そんな馬鹿げた事。それどころか少しでも手を伸ばそうとした事はあるのか。一瞬でも頭をよぎった事が今まであったのか。それすら疑問に思う。

互いの存在を軽んじているわけではない。無関心なわけでも。ただ先程までこの腕の中で抱き締め、この手でその体に愛撫をしたとしても。要はそれに対して嫌がりもせず、抗議もしない。ありふれた日常の一つとして受け入れているからだ。こんな事も、俺の事も。


「今何時」
「三時だ」


軽く返事をした要が手に取ったもの。それは乱れて広がった俺のシャツ。今日一日俺が着ていたもので要の手のすぐ側にあったもの。たまたまあったものを着ながら俺の側から体を離す。そして温もりと共にベッドの上から滑らかに降りた。

煙草の煙を一つ。大きく吐きだす。煙が生きている、その間に遠のく背中を目で追う。後姿は羽織られたシャツで真っ白いはず。なのに浮立って見えたのは先程の要の白い肌。覆われた煙の中、ほんの僅かに眉をしかめる。


窓の側でその体が行き先を失った。目には暗闇の先の小さな街灯り。興味を持って眺めるというよりは目に映しているだけなのだろう。この時間だ。タクシーの流れでも見ているのかもしれない。高杉、と俺の名を呼んでも。その視線の先にあるのは俺ではない、暗闇の窓の外。


「明日仕事だから。送ってって」
「嫌だと言ったら」
「だったら私がタクシーで帰るだけ」


一度も視線を合わせる事なんてない。淡々と交わされる言葉のやり取り。昔からそうだった。今に始まった事ではないし、気にするような間柄でもない。それは俺が背後に回っても、そうだ。昔から変わらない。揺れる事のない肩も、髪の毛も。振り返ろうともしなければ気配すらない。側にいるのに、視線を俺の方へと移さない。

そのまま要の肩を両の手で包む。互いの煙草と香水、汗の匂い。それぞれが混じり合って鼻を掠める。それは先程の激しい交わりを思わせた。そしてシャツの襟首をそのままに、覗く白に誘われるように、唇を耳元へ。薄い皮膚のお陰かどうか、感じたのは高めの体温。舌を這わせて確かめてみる。今度は心臓の僅かな鼓動が、舌の上で打ちつけられた。

小さな声が漏れ出たのをきっかけにして無理矢理に合わせた唇。躊躇もせずに決して引く事のない互いの舌。絡みつくように、丸め込むように。動きは衰えを知らない。少しして呼吸が苦しくなったのか。喉元を反らせていた要が唇を離した。そこでようやく、俺はその目を通じて自分と向き合った。


「高杉?」
「何でもねぇ…」


要の顔がほんの一瞬。不可解そうに歪む。それから腕の中でゆっくりと体を、此方へ向けた。そして否応なく意識したのは、ほんの少しの隙間から見えた白い肌。着ているシャツなんかよりも白く、闇に溶け込む様子もない。


頬に手を添え再び唇を合わせる。そしてシャツを少し開けようと空いてる手を肩へ。拒絶は覚悟の上だった。子供じみている、引き止めようとするこの行為に。先程の続きに。なのに違った。単に受け入れるどころか、要の舌は熱を帯び、動きは激しさを増していく。触れた肩の熱は既に十分な熱になっているのか、先程から強まる交わった匂い。


「どうした、帰らなくていいのかよ」
「もういい」


首にまわされた腕の中。要はタクシーの流れを背にしながら、そのまま突き進むように口内を掻き乱す。中々離される事のない唇をそのままに、また帰宅を意識させないよう、抱きしめる。すると回された腕に少し、力が込められた。

瞬間、要の表情と共に一つの疑問が頭をよぎる。だがそれはすぐに打ち消し去った。


要にこだわる理由。それは同情なんてする女ではないからだ。承知でこの女を選んだ。例えほんの僅かな一時の遊びだったとしても。単なる暇つぶしでしかないとしても。俺達の間に情なんて。そんな大層なもの、どうだっていい。思考や、ましてや感情なんてものも。

それは結局、後から生まれる産物でしかない。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ付随してくるだけのもの。互いを必要としている、単に本能がそう求めるのであれば、情だのなんだの、とってつけた様な下らない物に塗れた理由なんか。あってどうなる。必要にすら思わない。

だから現在のこの腕の温もりを手放す気などさらさら無いのも、じんわりと溶け合う互いの温度が自分を蝕んでいるのも、それだけで言い訳がつくと思っている俺はどこまでも不正直で不誠実な人間なのだと思う。

そしてこうして要を乱す事も何とも思わず、また同じ事を繰り返しては煙草と香水と互いの汗の匂いと熱に、耽ては沈む。



包む指先、別つ体温


title:星喰い


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