近藤さんの元へ連絡をするなら、チャンスは一度、署へ行く前日の夜。そう決めていた。

狭いユニットバスの中でシャワーを出しっぱなしにしながら、バスタオルを頭から被り、プリペイド式の携帯の番号を押す。

明日になれば全てが終わる。だからこの携帯電話も今晩も限り。料金が底を付けばもう用はない。

ところが、三回、四回、とコール音が続いても繋がらない。

しかも、伊東に電話をかけても、同じ音を聞くだけだった。

病院か。仕事か。

二つの選択肢以外は完全に排除し、頭の中にある次の番号へかけると、今度の相手は、二回目で出た。


「あ、私。…先日はありがとう。お金は倍とっていいから」

「…俺の仲間が奴を助けただけで、俺自身は仲間に居所を知らせただけだ。だが棗がそうしろと言うなら、そのようにしよう」


勿論、普段のお金の管理は、自分でしている。

でも私がお金の管理をするのに無理な状況に陥った場合、その最中の管理や、私が死ぬような事があった後の分配の仕方は、電話の相手でもある桂へ頼んである。

普通の人なら弁護士にでも頼むのだろう。ただ私には、桂に手数料を払ってまで頼まなければならない事情があった。

学生の頃、ある貿易会社で手伝いをしていたのだが、その会社は、今でこそ、経済誌や新聞で名前を見掛けない週はない程、成功しているものの、私がいた頃はまだ公に言えない様な物ばかりを扱っていた。

だからそこから得た収入は、警官の年収なんかよりずっと多かった。それに何とかする必要もあった。

そこで地下へ頼った。信頼のおける桂に管理を頼む必要も生まれた。


私が、情報も、欲しい物も入手出来たのは、そのお金があったからだと言える。

だから人に言えないような事を散々したけど、あの仕事をして後悔をした事は一度もない。

その仕事をしていたお陰で、人脈だって広がった。

服部も、その頃に出会った中の一人。


昔を少し懐かしんでいると、電話の向こうが何やら急に騒がしくなり、いきなり、電話の相手が変わった。

ほんの数秒前には、記憶の中にしかいなかった、その貿易会社を築いた男に。


「棗かあ?久しぶりじゃなあ〜。元気にしとったがか?」

「ああ、まあ。何だ、日本に戻ってきてたんだ。また病気でも移された?」

「あっはっは、相変わらず手厳しいのお〜」

「そう?」


大きく笑う坂本は出会った頃から何も変わってない。今日もまた能天気な男だ。

でも彼の洞察力は中々優れたもので、会社に大きな穴を開けた事なんて、今も昔も聞いた事がない。それどころか裏の世界においても勢力を拡大し続けている。


それから、桂や高杉とは高校の頃に知りあったとかで、坂本はあの店へ出資もしている。

その関係で、一年の大半は外国にいても、日本へ戻ってきた際には店へ寄るのが習慣になっていた。

今日がたまたまその日だったとしても、よりによって今日とは。随分とタイミングの良い。


「どうした〜?電話なんか。何かあったがか?」

「別に何も」

「じゃあ…死ぬのが惜しくなった…とか」

「…何でよ」

「いやあ〜、何があっても動じなかったおんしのそげな頼りない声、初めて聞いたもんじゃき」


そうなんだろうか。

…でも、そうかもしれない。

鳳仙の時とは違い、今回は警察のやり口を熟知している人間を相手にする。

それに署の中には内通者もいる。姿がまるで見えない裏切り者が。

味方だって近藤さんしかいない。その近藤さんに何かあったら。仕事でたまたま出払っていたら。


胸の前でまた腕を組んでいる事に気が付き、無理矢理頭を振った。

…ここまで細かく考えなくても、どうせ予想出来てたのに。何を今更。

それに覚悟だってしてた筈だ。生きて帰れる保証は低い、って事くらい。


久しぶりに電話で声を交わしただけで、坂本が何を根拠にそう思って言ったのかは知らない。私が今どんな状況にいるのかすら知らないだろうし。

でも、だからこそ、坂本の言った事を、馬鹿げてると突き放せない。何も、言えない。


「ま、棗なら大丈夫じゃろ。次会った時には陸奥が薦めてくれた店にでも連れてくき、楽しみに待っちょれよ」

「勿論皆で行くんでしょ?」

「二人きりに決まっとろうが」

「はいはい、分かった。皆でね」

「相変わらず愛想の無い女子じゃのお。そういう所もそそられるんじゃが…。アハハ、アハハ」

「…あっそ」


…全っ然、変わってない


女好きなのは出会った頃からだったけど。今は輪をかけて酷くなっている気がする。

今の秘書の陸奥さんのうんざりした顔を思い出しながら、それに同調しかけた時、桂に変わった。


「すまんな、いきなり」

「いいよ。相変わらず軽い男だって、そう言っといて」

「その言葉は直接会って言ってやれ。男の言う事なんざ聞く奴じゃない」

「まあね。あ…じゃあ切るから」


風呂の外から話声が聞こえる。誰かが部屋に入ってきたようだ。

…会話が聞かれてただろうか。

平静を装って電話を切ろうとすると、桂が不意に声のトーンを落として、私の名前を呼んだ。


「何?」

「言っておくが、お前の骨を拾うなんて仕事は、幾ら金を積まれたって、真っ平御免だ」

「…薄情者」

「フンっ。何とでも言うがいい」


その言葉を最後に電話を切り、そのままシャワーへ当てた。

これでもう退路は無い。



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