胸の苦しみというのは誰しも一度や二度、経験した事のあるものだと思う。しかしそれが日常生活において頻繁に起こるようになり、不快に感じるようでは注意が必要だ。

原因として考えられるものは苦しみ方や部位によって違ってくるが、心電図やレントゲン写真によって原因を調べようにも異常が見当たらないのが大半である。それは自律神経からくるものがほとんどであるから。

しかしそれが病気でないとは言えない。精神的な刺激、主にストレスが原因で心臓の筋肉や血管が収縮を起こしている為だ。そのメカニズムは狭心症や心筋梗塞といった命にかかわる病気のシステムに似ている。だからそれをきっかけにして、そういった重い病気に100%かからないとは言えない。

とにかく、本当に心臓そのものに疾患があるのなら、いち早く治療に当たらなければ患者の命が危ういし、そうではなく自律神経からくる胸の苦しみだとしても、ストレスは他にも様々な病気を引き起こす原因にもなり得る。対処した治療法を出来るだけ早くに受けた方がいい。


相手の状態を正確に把握し、的確で素早い判断を下す。私達医師はそういった目を培わなければならない。また、そういった努力も怠ってはならない。

私もそれらを必要とする医師の一人。

特に私は緊急外来を担当している為、様々な症例の患者と接する機会が多い。軽微なものから重篤なもの。ありとあらゆる種類の怪我や病気、精神的なものまで様々。臨機応変に的確に診断し治療を施していく。それが私の務めであり、職務である。医師としてのプライドもある。

この日は2人程、風邪の症状だと思われる患者が来ただけで、わりと穏やかな時間を過ごしていた。しかし明け方頃、うつらうつらしている私の元へ、申し訳なさそうに看護婦が声を掛けてきた。あの患者だ、と。




「どうされましたか?」
「胸が苦しい」
「息を吸う時はどうです?」
「それもちょっと…」


この患者が胸の苦しみを訴えてここに来たのはこれが初めてではない。約1ヶ月程前から何日かおきに、こうしてやって来ている。前回は確か2日前に来たばかりだったはず。カルテを確認してみてもそうだった。

患者が言うには、たまに胸が締め付けられるよう苦しみだし、少しの間だけ呼吸をするのも楽ではなくなるとの事。胸が苦しいと最初に聞いた時、この歳でそんな…、と嫌な予感を覚えた。

しかし検査をしたところで何の異常もなく、念の為に昼間に心臓外科の専門医に掛かる様勧めたのだが、時間がなく中々行けないのだという。それで夜中、こうしてまた私の元へと来るのだろう。

目の前にいる患者はいたって普通の表情をしていた。顔色も目の下に薄いくまが出来ているだけで、特段悪そうには見えない。しかし今でも苦しいのかと問えばそうだと言う。取りあえず聴診器を当て心臓の具合を耳で確認する。

どくどくという音が平常時より早い様に思えたが、雑音が聞こえてきたりしているわけでもなく、異常だとは思えない。やはり精神的なものからきているのだろうか。


「最近よく眠れていますか?」
「ああ…」
「本当は眠れていないんですよ」
「え、エリザベス…っ、何故その事を…!」


側にいた付き添いの方の言葉に何故か慌てた様子の患者。私に知られるのが恥ずかしのではなく、その付き添いの方に気付かれていた事に動揺しているようだった。酷く焦っている。

どういう関係なのかは知らないが、二人はどうやら一緒に暮らしているらしい。きっとお互いがお互いを信用し合っている間柄なのだろう。見ればわかる。普通は診療中に中々他の者を入れたりなどしないし、入ってもこないものだから。

患者が眠れないのを知っているという事は、付き添いの方もまた、そんな患者と同じく眠れていないのかもしれない。きっとそれは患者を心配するが故。だからこそ患者は気を遣わせないようにしていたのかもしれないが。周りの人は意外と気が付いているというものだ。

なるべく早い内に患者の胸の苦しみの原因となるものを探らねば、患者だけではなく付き添いの方の健康にも害を及ぼしかねない。不眠というものもまた、様々な原因の一つにもなり得るのだから。うかうかしていられない。患者自身にもその辺を認識してもらわないと。

しかし不眠に陥るという事は、それ程までに酷い苦しみなのだろうか。それともその苦しみが何なのかという精神的不安からくる不眠なのだろうか。ストレスが胸の苦しみと不眠を引き起こしているのか。とにかく、不眠と胸の苦しみに因果関係があるのかどうか、調べない事にはどうにもならない。


「夜中になると苦しみが酷くなりますか?」
「…そうでもない」
「眠る前だけ苦しいですか?」
「…そなたの事を想うと胸が苦しくなる」





取り扱い




「…ここにはもう来ない方が良さそうですね」
「貴様、医者のくせに目の前で苦しんでいる患者を見捨てるつもりか!」
「違います」
「ええいっ、女とはいえ容赦はせん!そこへなおれぃ!」
「見捨てるんじゃありません。それこそ救いです。そして私の事も忘れて下さい」
「何をォォ!見捨てる上に己の職務や責任まで放棄するつもりか!貴様、それでも日本女子か!」
「違います。それが最善の方法だからです」
「俺は絶対に忘れてやらんぞ!むしろ治してもらうまで通い詰めてやる!」
「そんな事したら益々苦しくなりますよ」
「そうですよ。桂さん、落ち付いて…明日採用試験もあるんですから」
「ええい…っ、どうせ苦しいままなら、もうどうでもいいわ!この女先生のせいで苦しいわ!」
「きゃああ!暴れないで下さい!警察を呼びますよ!先生、どうしますか!?」
「この女先生に胸の痛みを治してもらい、幕府の連中に天誅を下すまで捕まってたまるか!あんな連中、恐るに足りん!あ、今のカツラップに使えそうだな。どうだ、エリザベス」
「…イマイチ」
「………」
「…仕方ないですね。じゃあ、どうしてもとおっしゃるなら…」
「そ、そうか…。いや、取り乱して申し訳ない。…って、何だこれは」
「紹介状です、真選組へ持って行って下さい」
「…え」
「これを持っていれば警察病院に入れてくれると思いますよ。そこで心臓外科だけでなく、脳外科の専門医にも診てもらえるよう、これに一応書いときましたから。頭をかち割ってもらって下さい」
「………」
「大丈夫ですよ。私なんかよりよっぽどいい先生方に診てもらえますから。大物テロリストをそう易々と死なせやしないと思いますので」
「………」
「ごきげんよう、さようなら」

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