神が作られし人間の女・パンドラはその神に仕組まれた罠とも知らず、開けてはいけないと言われていた小箱を開けてしまう。そこから人間の災厄の歴史―犯罪、嫉妬、貧困、憎悪―が始まったとされている。

嘘を吐くのが当たり前、人を騙しても何とも思わない、迷惑をかけた事に対しての謝罪をしない、それどころか逆に開き直ろうとする。いい顔をしたって必ず裏の顔がある。

災厄とはいえ必要以上に人間も憑いてしまうとは。神もそれらを撒き散らす様考えた時に予想は出来ていたのであろうか。そして人間を作り上げたのが神自身であるというのに、その神自身への尊敬もままならなくなってきた事も。それも意のままだとでも?

その為か、それともやはり神自身の予想をも凌駕したことに対する罰なのだろうか。敬う事も尊重する事も知らず、災厄にまみれた人間の目は、歪み、濁っている上に、定まりがない。

仕事上、私はそういう災厄を直視しなければならず、そういった朽ちた目に接する機会が多い。そしてその目に見止められ、その目と対峙する時には、自分もその汚濁に飲み込まれまいと懸命に足掻く。私もそうならないように、歪みに捉われて溺れないように。

だけど必死に足掻き空気を求めた所で吸い込む物は、腐敗と悪臭に塗れてしまった不快なもの。それはそういった人間らから吐き出される呼吸のカスそのものなのだから当たり前と言われればそうなのかもしれない。お陰様で息をするのもままならないけれど、生きていく上で無呼吸のままでなど生きていける筈もない。

結果、不本意ながらも私は毎日そういう目と汚れた空気に晒されて、それらに生かされているという事になる。


そんな世界に生きていても私は人を求めずにはいられない。人間を作り出した全知全能の神・ゼウスに刃向ったプロメテウス神の様に。周囲の悪しき状況に染まらず己の信念に反する事を拒み、自分の意志で行動を移す人間がいる事も私は知っているからだ。

また、その弟の妻・パンドラが空けた箱の最後に残っていた「希望」。それが作用しているせいかもしれない。

その希望が私に与えてくれたもの、それは銀時との出会い。瞳の奥にある髪の色と酷似した真っ直ぐな光を恒間見て、私はそれに導かれるように惹かれていった。そして「あいつは止めておけ」と言う同僚の土方の忠告も無視して銀時と付き合うようになったのだけど。

それが今ではどうだろう。そんな光の残像ですら見る影もなく、それは単なるモノを見る目に成り下がってしまった。私が普段接してる目に比べれば遙かにまだましである事に変わりはないのだが。




銀時の誕生日、やりかけの書類を無理やり早くに近藤さんに押し付けて銀時の家に来てみれば。煙草と甘い匂いの混じっている散らかった部屋の中、苺牛乳を飲みながらジャンプを読んでいる一応高校教師の銀時の姿。教師らしくないどころか、むしろ生徒と同化しているのではないかと思う。


「お誕生日おめでとう、とか言ってきた生徒にセクハラ紛いの事してたんじゃないの?」

「してねぇよ、ンな事。誰が高校生なんか相手にするかっての。俺はもっとこう…大人の女。あ、そうそう、結野アナみてぇな、いるだけでいい匂いのしそうな大人の女っての?そういう女がタイプなの」

「さあ、どうだか」

「何、お前。彼氏の事も信じらんねぇの?出会ったあの頃の純粋さは一体どこ行っちまったんだよー」

「しょうがないでしょ。署内のロッカーにでも置いてこられるならとっくにそうしてる」


あーあ、銀さんがっかりー。とぶつくさ言いながら2人で小さなお祝いのケーキを食べた後。そういった匂いが私からもしてるのか確認するかのように、私の首筋へと頭を埋めてきた。微かにかかる鼻先と、優しい温度の唇と、そこから吐き出される熱い吐息。そして少しだけ当たる歯が冷たくてくすぐったくて、一瞬だけ眉をしかめる。

本当はケーキの皿を早くに片付けたかったのだけれど、銀時の体を押しのけたり止めるようには言わなかった。先程までいた世界とはまるで違う感覚に、全てが欲しくて愛おしくて堪らなかったから。だから私も銀時の首筋の僅かな香りを吸い込みたかった。吸い込んで早く全身を銀時で一杯にしたくて、先程まで自分が吸っていた体の中の空気をどうにかしたかった。だから自分と銀時にとって都合のいいように首を傾げてもっともっととねだる。

そうすると私を覆うのはその柔らかく癖のある髪の毛と、僅かに香る煙草の匂いの染みついたシャツと。そしてそれに包まれている平常時よりも少しだけ熱い、締まった体。ああ、これでやっと私はまともに呼吸が出来る、生きていられる。

それと同時に、全てが自分のものだと頭では理解していても、いずれ離れてしまいそうで、他の誰かの物になっていそうで。猜疑心にも似た感情も愛しいという想いと一緒に、さざ波の様にゆっくりとじわじわと押し寄せてきた。

あって欲しくない感情が入り混じっている事にどうしようもなくて、量りにかけて振い落したい衝動に駆られる。どうかこの揺れる胸の内を支える物が欲しい。そこで何かに捕まりたくて、左右の両腕を銀時の首に絡めた。


「ねえ、銀時」

「ん?」

「私、疑う事が仕事なのよ?もしかしたらそういう性分になってしまったのかもしれない。だから私だけっていう証拠が欲しい」

「証拠?」


耳元でくぐもった声が頭の中に直に響いてくる。


「証拠って何。何すりゃいいの」

「そうだなぁ。国語教師らしく、普段は言わない様な愛の言葉を吐いてみるとか?」

「…俺のパンツを洗って下さい、とか?」

「あーあ。国語教師のくせに何よ、それ。ジャンプばっかり読んでないで、ちゃんとした本でも読んでボキャブラリーの勉強でもしたら?」

「別にいーんですー。どうせよぉ、俺だって好きで国語教師やってる訳じゃないしさぁ。だったら保健とか体育とかの先生の方が良かったんですけどー」


ほら、保健体育が得意なのはお前だって知ってんだろ?と言いながら私の履いているスカートをたくし上げる。銀時の指の腹がストッキングによって独特の感覚を帯びていて、くすぐったさを感じる。それでもそこから伝わってくるのは銀時の熱い指先の温度。

そして私の首から少しだけ頭を離し、しゅるという絹独特の音を晒してネクタイを緩める。いつもならそれを機に自制してたものを一気に解放する様に私を求めるのだけれど、この日は違った。

空気を一つ、吐き出した後に溢れてきたのは、言葉。


「愛してるなんて言葉を言うのは簡単だがな、安っぽくてありふれてて使いたくねぇんだよ」


幾人もの人間がここぞという時に囁いた愛の言葉を、銀時はいとも簡単に否定し斬り捨てた。そしてそれ以上の意味のある言葉を私に紡いでみせた。ああ、こんなの、反則だ。

これはきっと国語教師としての技量だけでなく、銀時が積み上げてきた経験だったり、元々の感性が言わせた愛の言葉で。私は銀時のその言葉の重みに畏怖するどころか嬉しくて、普段濁りきった目と接している私の目頭からは、濁りのない透明な色の液体が少し。指に滲ませた。


こんなにも銀時は私を想い、慈しんでくれている。なのに私はどうだろう、銀時を信じるどころか疑う事さえ惜しまなかった。きっと今の私の目は、普段接している人間らの目と何ら変わりはない朽ちた目であろう。そして彼等から吐き出されていた空気は私の全身を覆っていただけではなく、私の全身へと巡り巡って浸食を果たしていたらしい。そして私はいつのまにか完全に毒され感化されていたようだ。やはり私も神が作りし人間の一人なのだと思わされるのだけれども。

先程、私の瞳から滲んできたのは紛れもなく何色にも染まっていない透明できらりと光る液体だった。

一筋の光をも霞む程に淀んだ空気に覆われたこの狭小世界において、私にこんな色の涙を与えてくれるなんて。きっとこんな風に私を浄化してくれるのは銀時しかいない。

その事に改めて気付かされるのに銀時のその言葉は、十分すぎた。


人間らしい温かな肌に直接触れたくて絡めていた左右の腕を解き、自分を包む甘い匂いから少しの間だけ距離を置く。頬にそっと手を掛け銀時の瞳を覗くと、真っ直ぐに射抜くような一筋の光によって映しだされていたのは、私だけ。

それを見て気付いた。銀時にその光を与えているのは紛れもなく私である事を。その光を吹き返す事によって淀んだ空気に覆われた世界に惑わされず真っ直ぐに生きていられる、そして私の元へとやって来てくれる。私もそうである様に銀時もそう。そして生きていく為に私に銀時が必要であるように、銀時もまた私を必要としてくれている。


全てに気がついた瞬間、その瞳の光に導かれるよう私も真っ直ぐに言葉を繋いだ。


「生まれてきてくれてありがとう。私に、生きる存在価値を与えてくれてありがとう」


それはお互い様だろ?という銀時の言葉が完全に言い終わる事はなく

銀時の吐く息と共に私の唇から全身へと、その言葉は解き放たれた。



遺人



I love you so mutch!
ginntoki・sakata 2007/10/10
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -