裏切り者のレッテルを貼られるのは心外だ。私は軽い嘘を吐いても、寝返るような事などしていない。そもそも忠誠を誓った覚えがない。
それは自分自身に対しても言える。相手に信用される事はあっても、自分に対して正直であってはならない。その場限りの感情と、格好のつかない屁理屈に素直に従うなら、潜入なんてこの仕事は務まらないし、きっと今ここに私はいない。順当にいって刑務所か、地獄で針のむしろにいるのが、関の山だろう。
自分を切り捨てる。忠誠を誓っているものがあるとすれば、生き残る為、それに対してだけだ。


石鹸で適当に体を洗い流してから、湯船に体を沈めた。お湯の量は十分とは言えないが、温度を熱めに設定したお陰で、体の芯はすぐに温まった。
だからこそ悟った。体が震えているのは気のせいじゃない。肩を抱く。それでも震えが止まらない。当たってくるだけのシャワーでは何もかもが不十分に思えたから、わざわざ浸かってるのに。撃ち抜いた男の顔が、のぼせてもいない頭の中でフラッシュバックしている。もう寒さを理由に出来ない事が、余計な現実味に尾ひれをつけ始めていた。

すると、ここにきて怖くなった。恐ろしさにまた肩を抱いた。でも何に対して?

殺した事?違う。慣れてる。どうでもいい。死んだ男の恨めしげな目?それも違う。あれは意思の宿ってない抜け殻だ。私のやった事が皆にバレる事?別に知られたっていい。仕事は済んだ。彼に私の正体を知れらてしまう事?頭を振った。

…分からない。

そこまで考えて、頭からお湯をかぶった。あと少しで、仲間の河上が迎えに来る。それまでにやっておかなければならない事は山程あるし、ここに身も心も浸かりきっていては、きっと、私が私じゃなくなる。


確信ともいえる予感に襲われ、濡れた髪を絞りもせず、すぐに脱衣所へ上がってバスタオルを体に捲きつけると、自然と鏡と向かい合った。本来なら私の姿が映っているはずのその鏡面。今は水滴を含んだ空気に輝きを奪われている。今更ではあるが曇り止めのスイッチを入れ、ドライヤーを手にし、何も映らないその鏡の前にわざわざ立った。
時間はあまりない。分かっている。だからきっと意味もない。自分がとった行動の意味と髪の健康は気にせず、温風でがしゃがしゃと乱暴に水気を飛ばし、低いモーター音に聴覚を預けていると、さっと冷たい空気が背中を襲った。ドライヤーを止め、肩越しに原因を探る。

この目で見た現実に、思った事を努めて顔には出さないようにした。気付かなかった。でも意外にも思わなかった。ドアの開く振動、這うような足音、そして殺気じみた気配が近づいて来る事に。
単純だ。彼も、私も。


「今日の風呂はやけに早ぇじゃねぇか」
「来てたんなら入ってくればよかったのに」
「まだ仕事中なもんでな」
「そう。残念」


自分のシャンプーと石鹸の香りに混じって、体に染みつきかけた彼の煙草の匂いが、再び体にまとわりつこうとしている。それは綺麗になりかけている鏡を曇らせはしないが、私の顔は曇らせた。
舌打ちが漏れそうだ。心の中では更に毒吐く。彼の無感情な目と後頭部に押し当てられているものの狙いは、私に定められたまま遠のく気配がないのを、徐々に見易くなってきた鏡越しに目の当たりにしたからだ。
それをただ黙って見つめ返す。気どりない会話なんて今更。

彷徨う視線はすっかりと輝きを取り戻していた鏡に辿り着いた。そこに映し出されているのは、知らない顔の女。どこか悲しそうに目を細めてはいるが、嬉しそうに口元を歪めて、私をじっと見つめている。


「てめぇ…、一体何者だ」
「…私もよく分からない」










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