…パチンコで負けた。それも、ボロ負け。財布の中身は見事にすっからかん。小銭すらない。
お陰で、ずっと滞納してる家賃も、飯を買う金さえも無くなった。どうすんだよ明日から。どうやって生活してきゃいいんだよ。ガキ共に何て言えばいい。
だからといって、金を使わずに貯金をしようという考えは最初からなく、俺が後悔してるのは、あの台にしなきゃ良かった、あそこで止めときゃ良かったかな、とそればかりだ。どうやら、金に対する堅実さは、生まれた時に母親の腹の中にでも置いて来たようだ。いや、そもそも俺は金に縁が無かったな。ついでに女運もねぇけど。


「………チッ」


昔の下らない事の数々を思い出してしまい、胸糞の悪さをこじらせながら歩いていると、前方に、路地裏に行こうとする男と、手を引かれながらもそれを嫌がっている女がいた。どう見ても、男はスケベな事を企んでるようだが、女はこれからの関係を気にしてるのか、それとなく遠慮している。まあ、よく見かける光景というやつだ。男の俺からすると、こういう場面では、はっきり「嫌」と言わない女もどうかと思うが。あー、くだらね。
ところが、男と女が薄暗い道の先へ曲がる寸前、俺の目はその二人に釘付けになった。どうにも、あの女には見覚えがある。まさか…。いや、でも…、だとすると……。
二人の後を慌てて追うが、遅かった。
体半分がでかいゴミバケツに埋まってる男と、此方へ平然と歩いてきた女。昔の事を思い出してムカムカしてた胸は、いつの間にか鼓動を早め、顔や背中には寒くもないのに汗が流れる。


「あれ、銀時だ」
「………」


親には親の記憶がほとんどない。気付くと一人で生きていた。だから、親のいないガキが生きる為にした事といえば、大概はロクでもない事で、大人からは「手の付けられない悪タレ」扱いを受けてた程だった。
そんな俺を拾ってくれた人が松陽先生という寺子屋を開いていた人だったわけだが、連れて行かれた先には何人ものガキがいた。高杉の様に大概のガキには親がいたが、俺のように親のいないガキもいて、男をゴミバケツに突っ込んで平気な顔をしている目の前のクソ女も、そこにいたガキ共の一人だった。
年は俺より幾つか上のこの女は、皆の飯を作ったり、率先して小さなガキ共の世話をしてたりして、周りからの評判は悪くなかったが、如何せん、女らしくなく、俺と高杉が喧嘩をするとすぐにげんこつで頭を叩く、頬を平手打ちしてきた事だってあった。
そんな事をしてくるもんだから、しょっちゅう「男女」と馬鹿にしていると、何の気まぐれか、女はある年、俺の誕生日にケーキを作った。甘いものが好きな俺は、大して飾りのない白いだけのケーキを興味半分、嬉しさ半分で口にしてみたが、これがあまり美味くない。スポンジはパサパサ、クリームの甘みも足りない。色とりどりの飾りも無ければ、どこを食べても果物の缶詰めさえろくに入ってない。そんな有様だった。
飯はまあまあ美味い。家事はそこそここなす。良い所といえばそれだけなもんだから、未だに嫁の貰い手がなく、俺との長い付き合いの中で男がいた気配だってあまりない。それどころか、たった今、折角の候補を自分で握り潰しやがった。


「おい、あの男、どうすんだよ。まさかあのままにしとくんじゃねぇだろうな」
「いいよあのままで」
「いいよって…」
「だって、あの人の家、あのゴミバケツだから」
「………あっそ」
「あ、そうだ。家、来るでしょ」
「何で」
「いいから、いいから」


腕を掴まれたまま、家に来いという女と一緒に近くのアパートへ行くと、女は次にケーキを作ると言い出したので、そのまま待つ羽目になった。俺の誕生日、とはいっても、俺は自分が何時生まれたのか知らないので、松陽先生に拾われた日を周りが勝手に誕生日にしたのだが、今日がその日だというのを覚えてたらしい。
久しぶりに作るから、と言い訳を並べながら楽しげに手を動かす様は、ガキの頃と変わってない。昔のままだ。
そして、二時間ほど経ってようやく出来上がったのは、昔のままの白い物体だった。食べてみても、スポンジはパサパサ、クリームの甘みも足りない。色とりどりの飾りも無ければ、どこを食べても果物の缶詰めさえろくに入ってない、あのケーキだ。正直に言って、俺の作ったケーキの方が美味い。


「美味い?」
「んー」
「昔はクソ不味いクソ不味いって言って高杉と食べてたのになあ」


それからは、ヅラがどうだの、坂本はあーだの、話の内容は普段と同じ様に昔の話にもなったが、どうにも奥歯に何かが挟まってるような物言いになる。このクソ不味いケーキのせいか。いや、違う。高杉の話が出てこない。
前にこの女から聞いた話じゃ、高杉はたまにここへ来て、黙って酒を飲んで行くそうだ。高杉は何だかんだと悪態を吐きながらも何気にこの女を気に入っていたので、聞いても驚きはしなかったが、まさか、あいつ…。
いや、流石にこの歳になっても、この女に執着する程、あいつは女に不自由してないだろう。女運の無い俺と違って。
この女だって、敢えて中二病満載のテロリストを選ぶわけない。…知らねーけど、多分。

再び胸糞の悪さを覚えながらケーキを食べ終わると、「誕生日だから、いいから、いいから」と誰に対してなのか訳の分からない言い訳を繰り返し、女は無理矢理俺の頭を自分の膝の間に収め、俺の髪の毛を指でくるくる巻いて遊び始めた。昔も何度かこうされた事があったが、何が楽しいのか、今の俺にすら理解出来ない。だが、無理矢理逃げようものなら、このクソ女は躊躇なく俺の髪の毛を引っこ抜く。一度やられたから間違いない。髪の毛を担保にとられてるようだが、俺が大人しくしてればいいだけだ。触られるだけなら嫌な気もしないし。
それから、女はテレビをつけて一丁前にニュースを見始めた。俺はというと、そんな女をちらっと見上げる。今までに何度も会ってはいるが、こうして下から女を見上げるのはガキの頃以来だ。
こうして見ると、化粧をしてるからだろうが、見れたツラだ。男に路地裏に連れ込まれそうになっていただけあって、端から見てもブスではないのだろう。
………。
何が悲しくて誕生日にこいつとこんな事になってるわけ。パチンコに勝ってりゃキャバクラ行って豪遊してたのに。つくづく女運ねーな。
俺の視線に気付いたんだろう。三十センチ上から、にこにこする女に見下ろされた。


「ん?」
「ババアになったもんだなーと思ってよ」
「白髪天パに言われたかないね。大体、そんなに違わないでしょ」
「五歳だろ。ババァじゃねぇか」
「四歳です。あ、でも誕生日だから三歳違いか」


大して美味くもないケーキを食い、膝枕を強要され、髪の毛をくるくる弄ばれる。
こうしてると、昔のままのような気もするが、ニュースの内容は今のものだ。それに、実際は松陽先生が亡くなり、辰馬は宇宙へ行き、全てを賭した戦争は敗戦で幕を閉じ、皆それぞれの生き方を模索し、色々な物に抗いながら、各々の道を歩き始めた。同じ釜の飯を食い、同じように松陽先生の元で学んだものの、元々別々の方向を見ていたからだ。
だからこそ、昔から変わらないこのクソ女に、俺はずっと手を焼いてきた。かといって、失ってから大切だと気付いたんじゃ遅い、というのは、これでも色々と経験してきて、百も承知の筈だったんだが。今になって気付くなんざ馬鹿だな。馬鹿。


「銀と…」


顔に伸ばした腕を引き寄せ、そっと唇を合わせた。昔の事や、この女に手を出した先程の男の末路が頭の中を掠めたが、女からは手も足も出てこない。
そのまま静かに押し倒すと、今度は俺が見下ろす番になった。
いつの頃からか待ち望んだ眼下には、ずっと知ってるようで、一度も見た事のない顔がある。


「…やっと襲うんだからさ、もっとムードってもんを…」
「うるせーな。こちとらそんな余裕ねーんだよ」
「そんなに私の事、好きだったんだ。ババア言ってたくせに」
「うるせーな!ちょっと黙ってろ!!」
「…まだまだガキだったか」


誰のせいでガッついてると思ってんだ。金運の無さはともかく、女運の無さはてめーが元凶なのはようくご存知の筈だろうが。
いや、これが大人ってもんなんだろう。相手の心をくすぐる。駆け引きをする。余裕を持って接する。好きな相手の幸せの為には自分の本心すら隠す。
なるほど、俺には難しい事ばかりだ。
だったら一つ年をとるにあたって、せっかくだ、これからたっぷりと大人ってもんを教えてもらおうじゃねーの。



しのごの言わずにここにいて


title:さよならの惑星
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -