「いらっしゃいま…」
「よお」
「…いつものでいいですか」
「おい、一応接客業だろ。露骨に嫌な顔しないでもらえます?」


ここの店のオーナーは、私と同級生の高杉という金持ちのスケコマシで、私が大学に入ってからは、高杉の手伝いという名の元、ここでずっとバイトさせてもらっている。それにかこつけて、毎度毎度ツケで飲みに来る高校の時の元担任を、私は常連客どころか、客としても認めていない。
まともにお金を払ったのは、週に二回程呑みに来てた内の、ほんの数回。前回はというと、私の就職先が決まった数ヶ月前だった。就職先は小さな出版社に決まったが、希望してた業界だったので、先生がお祝いと称して好きな物を飲めと珍しく奢ってくれた時でもあった。
そういうわけで、一応はその元担任に、ビールとおしぼり、お通しを出しはしたが。

…実は、このアホには、毎年バレンタインにチョコをあげてきた。
高校一年の時には、ふざけた気持ちで義理チョコを。二年の時には、冗談半分、もう半分は自分の気持ちを認めつつあったチョコを。三年の時は、私が学校を卒業する事もあって本命チョコを。
結局その時に告白は出来なかったものの、この店に先生が訪れてから、それなりに会えるようになり、大学四年の二月、つまり、先月までに、計七個ものチョコを渡している。
勿論、その間、銀八先生に彼女がいた様子は無く、私は他の人にもチョコをあげたりもしてたが、他の人と先生には違いを付けていた。他の人にはアーモンドチョコなのに、先生にだけトリュフをあげたり、ハート形のチョコにしてみたり。大っぴらな差別はしなかったが、明らかな区別はしてあった、と思う。

ところが、何もない。嬉しそうな顔をして貰ってくれるくせに、小さい飴の一つでもくれるどころか、「美味かったわー、あれ」と言うだけで何も気付いていないらしかった。普通気付くだろ、馬鹿。
そんな人を相手に、いつか気付いてくれるんじゃないかと期待して、諦めきれずにだらだらと想いを引き摺りながら、先生がこの店に来るのを楽しみにしている私も、馬鹿だ、間抜けだ。

今日だって、そういった行事自体が面倒臭さくて気付かないフリをしてるのか、本当に忘れているのか。はたまた、私にはお返しをくれたくないのか、鞄どころか荷物の類を一切持っていない。
財布はポケットに入っている様だが、大した金額は入ってなさそうな薄さから推し量ると、お返しどころか、今日だってツケで呑む気だろう。

あ、でも生徒の誰かにはお返しをあげたって事も考えられる。
先生は頭が白髪で、天パで、中身もくるくるパーで、下品でいつも金欠だし、考えたくはないが、皆からは本当に好かれていた。それは事実だ。
先生からみたら、生徒は生徒、どうせ今の私も生徒の一人なんだろうけど、就職してる来年は、私はここにいないのになあ。ああ、もう。

潮時かなあ

コップを拭きながら思わず溜め息を吐くと、煙草を吸っているだけが仕事のスケコマシの高杉から、徐に封筒を渡された。
中を開けてみると、高級ホテルのペア宿泊券が入っていて、ホワイトデー用プラン、と書いてあるパンフレットまで同封されている。
高杉にもチョコはあげたが、本命のチョコをあげた訳ではない。それなのに、これ。さすがスケコマシ、女のツボをよく分かっている。ほとんどの女の子は落ちるだろう。
感心する私の目の前で、坂田先生は高杉を少し据わりかけた目で見た。


「高杉、お前、何してくれちゃってんの」
「ホワイトデーのお返しってやつだ。俺も一応貰ったからな」
「…あっそ。へ〜。ふう〜ん。そうなんだ」
「銀八、じゃあてめぇは何くれてやったんだよ」
「ガキじゃあるめぇし製菓会社に乗せられて一々お返しなんて用意しません〜」
「…いや、先生からはいらないから。どうせ義理で渡したんだし、お金だってないんだろうし」
「金がねぇのに何でこんなくそ高い店にわざわざ来てたと思ってんだよ。金欠をなめてんじゃねぇっ」
「誰もなめてませんよ」



この店に来てたのも、お返しがなかった理由も、やっぱりそれか。でも、坂田先生らしい理由ではある。妙にそれで納得出来てしまったのは、長年坂田先生の事を見てきたからだ。
何も貰えない事がほぼ確定したって、悲しくない。この感じだと、他の人にもお返しをしてなさそうなので、自分だけが悪い意味で特別じゃない、と自分を慰められる。
坂田先生は大きな溜め息を吐いた。そして私をじっと見た。お酒が弱い筈なのに、目が全く泳いでいない。


「つーか、お前、俺にくれてたのずっと義理だったの?んなわけねぇよな。俺にだけ別のもん寄越したり、ハートの形にしてきたりしやがって。それとも誰にでもああいうのやってるわけ?」
「…いや、あの…」


気付いてたんだ。そのくせ、今までに何もしてこなかったなんて。私は私で、知られていながら、毎年毎年チョコをあげてきたわけだ。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。これってつまり脈はなかったって事か。

動揺と混乱と恥ずかしさで何も言えないでいると、天パ頭をがじがじ掻き、髪の毛をさらにぐりぐりにした先生。推測を促す私の中途半端な返答のせいだろう、思いきり「面倒臭せぇな」と顔に書いてある。
そして先生は憮然とした顔のまま、財布からお金を出し、「これしかねぇわ」とぶつぶつ言いながら、五千円札を人差し指と中指で挟んだ。
珍しく、今日はお金をちゃんと支払って帰るようだ。はっとなって手を伸ばす。

すると、ぐっと手首を掴まれた。次に、その手首を引っ張られた。
それで、当然、体が前のめりになったわけだが、何故か、カウンター越しにあった坂田先生の顔が目の前に現れた。先生をずっと見続けてきたものの、こんなに近くで先生の顔を見たのは初めての事だ。

あ、先生の匂い…

目を開けてたのか、自然と瞑ってたのか、先生の目は開いてたのか、瞑ってたのか、それすら覚えてない数秒だったが、その間、私の唇に何かが触れてたのは、はっきりと分かった。それが、先生と生徒の間では、普通しない事だというのも。
ゆっくり離れていく先生の死んだ目の中には、魂を吸い取られたかのような私だけがいる。


「俺は誰にでもこんな事しねーけど」




あおげば愛し

title;さよならの惑星
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